東京計画1960

インタビューをしながら感じた事。この自分が生きてきた時間と日本の戦後のデザインが初めてちゃんと結びつく感覚があったこと。実はこれが本当に初めての事。人に教えられるのではなくて(もちろん知らない事は山ほどあるのだが)自分のパースペクティブが持てた感覚。なんと言えばよいかわからないが自分もそこに生きてきた(生きざるを得なかった)感覚とでもいうもの。歴史なんて傍流にいる自分とは何の関係も持ち得ないと思っていたのだ。しかし原弘や粟津潔や亀倉雄策や及部克人や勝井三雄とH.バイヤーの名前が出てきて、自分がH.バイヤーにかなり批判的な気持ちをもって、昨年ノイラート展を組織したことを思えば、それをやった以上自分も結局そのスパイラルから無関係ではないのだと。ましてやそれの大本のリシツキーに自分は触れてもいるのだから。それはこれから解読すべき複雑なパズルを前にした気分だった。片山利弘や勝見勝、浅田孝などその他多士済々の名前がインタビューからこぼれ出た。具体的には帰国後になるだろうがとてもありがたい宿題であった。

東京計画1960をめぐって.jpg

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