2008年9月アーカイブ

朝から王立美術館とベルギー・バンド・デシネ・センター(ガイドブックでは漫画博物館となっているが少し違和感がある)を尋ねる。

王立美術館は15世紀から18世紀にかけてのフランドル派絵画の宝庫であり、また19世紀末から20世紀前半にかけてのコレクションもすばらしい。

オランダの静物画、ルーベンス、ダヴィッド「マラーの死」、ボッシュ、ブリューゲル「イカロスの墜落」、クラナッハ、メムリンク、ゴーギャン、スーラ、クノップフ、カルダー、アンソール、マグリット、デルボー、キリコ、エルンスト等等。美術館全体の雰囲気も大変ゴージャス?な感じである。


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ベルギー・バンド・デシネ・センターはその建築がアール・ヌーボーの巨匠、ヴィクト

ール・オルタによるものである。(元はデパート)

フランス語に翻訳された日本の漫画も見ることができる。


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タンタン


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タンタンの登場人物相関図


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この後、昨日荷物が届かなかったので最悪の場合(当分届かないか、紛失)を覚悟し、必要最低限の衣類などを買いに行くことにする。(着るものがほとんどないのだ)

はじめはガイドブックにあるデパートに行ったのだが靴下が一つで2500円くらいするので、「ふざけるな」と思い町を歩いて勘で探すことに。ベルギーのユニクロのようなところを探して(ユニクロよりも4倍くらい高いが)を見つけてなんとか購入。

でホテルに戻ると

なんと!荷物が戻って来ていた。

買い物は無駄となった。まあ得てしてこういう間が悪い時はこんなもんだよねと妻とため息。

後で電話で話をしたベルギー在住の方に話を聞くとベルギー空港は一日で100個荷物がなくなっているとのこと。

シンジラレナイ。

それで今回アリタリア航空倒産ショック(イタリアの国営にもかかわらず!)の混乱もあるのではないかとのこと。

2日で荷物が戻って来た僕らは幸運だったということらしい。

いや、本当に「やれやれ」ですわ。

荷物がなくなったからといって旅を中断するわけにはいかない。

しかし今後の最悪の場合を想定して日程を若干変更。

予定よりも一日早く、今日はゲントに行くことにした。


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バーフ大聖堂


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東フランドルの中心地、ゲントはブリュッセルの西にありICで40分の距離である。

訪問の目的はバーフ大聖堂にあるヤン・ファン・アイク作「ゲント祭壇画」通称「神秘の仔羊」を見ることにある。これは油絵の具による絵画史上最高の部類に入ることはまちがいない。これはヤンの兄、フーベルトとの共作であるがフーベルトは謎の人物でほとんど知られていない。ヤンには他にも傑作が残されているがフーベルトはこの一点のみである。

今日一日この絵一点だけだとしても充分以上だと思える程の傑作であった。

聖バーフ教会も建築、装飾、空間ともにかなり素晴らしい。

地下にある博物館も想像以上に充実していた。


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写真は当然撮れないのでこれはイメージです。


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その後繊維ホールにある鐘楼に昇る。


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鐘楼の巨大なオルゴール。


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町の中心を流れるレイエ川にそって、中世からギルドによって栄えた町並み、市場を見、フランドル伯居城まで歩く。


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大肉市場内部


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フランドル伯居城


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ゲントのデザインミュージアムを偶然見つけたが時間がなく入れなかった。


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その後駅に歩いて戻る途中、1936年に建てられたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデのゲント大学図書館を見る。正面に見えるのが図書館の高層部。


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最後は駅の近くにあるゲント美術館へ。

この美術館も展示空間、展示物ともに豊かである。

ボッシュ、アンソール、クノップフ、マグリットなどを見る。

しかし特筆すべきは特別展で何とピラネージの大展覧会をやっていたことだった。

まるで長旅をする私の為に用意されたような展覧会であった。ローマを巡りながらずっと「帰国したらピラネージをちゃんと見なきゃ」と密かに思い続けていたのだ。

ここでも何度か書いたがローマ人がローマに気づいた最初の人々の中に確実にピラネージはいたのだ。

これだけまとまったオリジナル(といっても大半は銅版画であるけれど)ピラネージを見ることはもうないのではないかと思う。


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ピラネージ


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「神秘の仔羊」といい、ピラネージといい至福の一日となった。


しかしこの日、失われた荷物は届けられなかった。


午前中、ぎりぎりまで宿でブログの更新をした後、フィウミチーノ空港に向かう。

3時発の飛行機でベルギーのブリュッセルへ。約2時間の飛行である。


空港で大トラブルが発生。

なんと預けた二つの荷物のうちの一つが出てこない。これで空港に1時間以上足止めをくらう。

「多分、ローマで荷物が飛行機にちゃんと載せられていないのだろう、遅れて到着したらホテルまで運ぶから明日まで待て」という説明なので一応、明日を待つことにする。

そのバッグの中身はほとんどが衣類で、本当の貴重品は入ってなかったのは不幸中の幸いであった。

ブリュッセルはさすがに寒くしかも小糠雨である。

ホテルにチェックインした後、もう7時半になっていたが、とにかく元気を出してグラン・プラスまで散策し途中夕食をとる。

明日、荷物がちゃんと届くことを祈ろう。


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フィウミチーノ空港


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雨でしかも肌寒く、傷心のブリュッセル第一日目となった。


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グラン・プラス


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この街も24年ぶりである。

午前中フィウミチーノ空港まで帰国する息子を送る。
約23日間、一緒に旅したのだがあっという間であった。
普通ならば親子でこんな長旅をすることはありえないことだ。おそらく一生に一度であろう、こういった機会が与えられたことに改めて深く感謝している。

一緒にいる間は別にどうということもないのだが、いなくなると急に寂しくなるものですね。


午後からはローマから東30kmのところにあるティボリという街へ行く。

ここは山の上にできた古い街である。


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ティボリからの眺め。


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ティボリの街よりもはるか昔、ふもとにヴィラ・アドリーナというローマ皇帝ハドリアヌスの別荘が作られた。今回はそこが目的地である。

ハドリアヌスはローマがまだ質実剛健だった時代の皇帝であり、ローマがもっとも広大に世界を支配した時代の人である。戦争と領土視察に明け暮れた人だが、とても広大な敷地にかつて自分が見た建築や景観(ギリシアやエジプトなど)を再現しようとこの別荘の建築を始めている。


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復元模型


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哲学者の間、読書室だったらしい。


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島のヴイラ(海の劇場)


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彩色回廊。ここは柱廊に囲まれていた。


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右上側が彩色回廊


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小浴場


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大浴場


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博物館


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カノプスと呼ばれる池と神殿


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ニンフェウム(セラーピスの神殿)


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倉庫、商店、兵舎


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大浴場内側


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養殖池と消防士の宿舎


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ドーリス式付柱の門


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皇帝の宮殿からティボリの丘を見る。


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皇帝専用図書館。この他にギリシア語図書館、ラテン語図書館が別にある。


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皇帝の食堂


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皇帝のテラスからの眺め。


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朝、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にてミケランジェロの「モーゼ像」を見る。

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いかにもいわくありげなボルジアの階段を通って、トラヤヌスのマーケットに入る。この遺跡はトラヤヌスの記念柱、トラヤヌスのフォロ(広場)と近接し幸運にもかなりよく保存修復されたところである。遺跡の中に作られた博物館も大変よく設計されていると思う。


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トラヤヌスのフォロ(広場)、トラヤヌスの記念柱

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その後昼食をはさんで、フォロ・ロマーノへ。前回ここは上から眺めただけなので、今回はゆっくり歩きながら見た。

これ程の巨大な遺構の上(中?)に暮らしながらローマ人自身が19世紀の考古学的発掘がなされるまで、このローマの中心を忘れ去っていたとは本当に信じ難いことである。


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エミリアのバジリカ


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クーリア(元老院)


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セヴェルスの凱旋門


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サトゥルノの神殿


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ユリウスのバジリカ


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アントニヌスとファウスティーナの神殿、後世に作られた後ろの教会はなんとも無粋である。


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マクセンティウスの巨大なバジリカ


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その後パラティーノの丘に昇る。ここは二度目となるので写真は省略。


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フォロ・ロマーノを再び通ってコロッセオに入る。前回来た時に工事中だった闘技場の床の部分的な再現がほぼ完成していた。

その後バスでサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行く。

かなりハードに歩き回った一日であった。

息子のヨーロッパ滞在も今日までである。明日は飛行機で帰国する。


今日のローマは快晴である。 
再びバチカンへ。

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市バスでスペイン広場へ。夕刻大変な人だかりである。サンクティス設計による有名な階段を昇りトリニタ・ディ・モンティ教会へ。


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地下鉄のフラミニオ駅そばで夕食をとりトラムに乗ってサッカー・スタジアムへ。約20分ほど。

ローマ対レッジーナの試合は3対0でローマの勝ちであった。

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フェリーは朝7時に定刻通りアンコーナの港に到着。
アンコーナ情報は全くなく少し不安であった。港から駅までの距離、所要時間もよく分からない。
タクシーで駅に移動し、7時50分の列車に乗ることができた。
これを逃すと次の列車は12時頃になってしまうのだ。

ローマに12時少し前に無事到着。宿に荷物を置いて市街へ出る。
あいにくの雨となった。
テルミニで遅めの昼食をとり、息子は初めてなのでまずは大雑把に街を見て歩くことにした。
ヴェネチア広場からコルソ通りを歩いてコロンナ広場へ。
ここで翌日(土曜日)のサッカーの試合のチケットを購入。
歩いてパンテオンまで行き近くの、サン・ルイージ・デイ・フラチェージ教会でカラヴァッジョの傑作3点連作を見る。やっぱり何度見ても素晴らしい。
次に国立アルテンプス宮で彫刻を見る。(ルドヴィシの玉座のあるところ)
ナボナ広場に出て、広場に面したサンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会に入る。
ここは初めて内部を見る。
次にバスでコロッセオに行き、外観をながめる。
最後にテルミニ駅のスーパーで買い物をして宿に戻る。
今回は前回とダブるので写真は少なめです。

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アンコーナの港

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ローマ再訪。

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コロンナ広場にある、サッカーチームローマのチケット売り場。

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パンテオン、天窓から雨が降っていた。

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国立アルテンプス宮

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サンタ・ニェーゼ・イン・アゴーネ教会
早朝、まずスプリットの北5km、市街からもほど近いソリン(solin)、かつてサロナと呼ばれた遺跡に行く。
ここはローマ帝国ダルマチア(バルカン半島西岸地域)の州都であったところである。
ジュリアス・シーザーの時代ここはローマに組み入れられたのである。

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向こうに見えるのはスプリット市街。

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向こうに見える山と遺跡の関係から、ローマ人が都市を建設する場所のパターンが分かるような気がする。

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サロナ遺跡の後、以下スプリット考古学博物館へ。
ここはクロアチアで最も古い博物館で1820年の開館である。
他のミュージアムにも言えることでかつ特筆すべきと思うのはここスプリットのmuseum はどこも古い建物と新しい内装のバランスが大変良い。クロアチアの中でも頭抜けて洗練されているように感じる。多分理由はあるはずだが現時点の私には分からない。

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穴空きのサンダイヤル。初めて見ます。

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ここからまた宮殿内に戻り散策。

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前庭のドーム。

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20世紀のスプリットの人々。
ここからは宮殿内にある民俗学博物館。ここも内装、展示ともレヴェルが高い。

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こういうのを見せられるとバルカン半島に限らずいかにオスマントルコの影響がヨーロッパに強くあったかということになると思われる。にもかかわらず現在のヨーロッパの人々はそれを忘れ去りたい過去にしようとしている気もする。
なにせ今やユーロに加われば勝ち組ですもの。
湾岸戦争以降の出来事もそのような文脈で読み直す必要があると思いました。僕個人の感想ですが。

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これは特別展。最近アドリア海で発見された青銅のアポロを修復した記念展。その様子が詳しくドキュメントされていた。

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僕は歴史学の専門家ではないが、歴史とは固定化されたものではなくて今の発見から(あるいは未来の新たな知見から)常に更新されるべき世界だと考えると、とても魅力的な学問だと思えます。

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海底に沈んでいたアポロ。

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ここからまた宮殿内散策。

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城壁

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港。

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ここからアンコーナへ向かうフェリーの船上。

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9時にスプリットを出航。

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今日は僕の51回目の誕生日。僕の知らない間に妻と長男が用意してくれたプレゼント。

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モバイルのサンダイヤル!
これは私がいかに方向音痴であるかを示しています。
また東京にいる次男からもうれしいお祝いの言葉をもらいました。
本当に有難いことだと思います。
しかし、この年齢になって(情けないことに僕は)誕生日というのは人から祝ってもらったりする日ではなく、自分を生み育ててくれた両親に感謝すべき日なのだと「やっと」実感するようになりました。
今日はプリトヴィッツェから南下し、クロアチア第二の都市スプリットへ向かう。
バスは予定を30分遅れてやってきた。結局1時間程待たされる。10時15分に出発。
バスは西南に向かいアドリア海の港町ザダールに出た後、湾岸沿いに南下していく。
途中の景色は大変美しい。やはり世界遺産でもある、美しいシーベニックの港も通り過ぎる。
このあたりは世界で最も美しい海岸としてバーナード・ショーやヒッチコックなどが誉め讃えていることでも知られる。
冬の気候から一転して再び夏に戻る。
予定より1時間遅れて4時にスプリットに到着。

港町スプリットの旧市街は、かつてのローマ皇帝ディオクレティアヌス(ローマ帝政後期)が隠居するために作った宮殿が中世以降そのまま街となったところで、城壁に囲まれ内側は215メートルから180メートルのこじんまりとした空間である。(その成り立ちのユニークさから世界遺産となった)

私たちは着いてすぐにこの街が気に入った。

理由はこの街のベースがキリスト教以降ではなく、それよりも以前にある点だと思う。

ローマ時代の遺構はかなり破壊され、あるいはかなりの部分が中世以降の建築物に覆われているものの、古代の雰囲気が充分残っていることによる。

クロアチアの一都市というよりもあきらかに地中海のギリシア人による植民都市的な印象が強く感じられる。

むしろ地形、自然ともにトルコの西南岸、ギリシアのポリスを彷彿とさせる。

宿は旧市街つまり宮殿内にあったので荷物を置き、早速迷路のような宮殿内を散策。

大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)、宮殿の地下(イスタンブールの地下宮殿ほどではないにせよ、ここもかなりの規模でありしかもしっかり残っている。)、その後夜の9時まで開いている市立博物館へ。


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プリトヴィッツェ、バス停そば。


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やっぱりこの風景はギリシア、トルコを思い出させます。


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ここからスプリット。


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ディオクレティアヌスの宮殿


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地下宮殿の一部。ショップになっている。


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宮殿復元図。約1700年前


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以下地下宮殿


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大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)と鐘楼。


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鐘楼の鐘


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鐘楼からの眺め


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大聖堂内にある宝物庫


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大聖堂内部は素晴らしい構造体であるが撮影不許可なので天井のみ。


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礼拝室天井


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ここから宮殿内にある市立博物館


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宮殿、城壁


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港。


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朝6時、バスセンター発のバスでプリトヴィッツェ国立公園へ。途中、ミニバスへの乗り換え等があり、当初3時間と聞いていたが結局4~5時間を要する。
ここクロアチアは交通事情に関しては正直に言ってかなり劣悪である。まず鉄道があまり発達しておらずしかも貨物がメインなので普通の旅客便が大変少ない。その点はトルコ、ギリシアと同様であるが、替わりに長距離バス網が発達しているのに比してクロアチアは全く貧弱であり、またそのルートは大変分かりにくい。
例えばプリトヴェッツェに行くにしても観光地(世界遺産)にもかかわらず、リエカからは朝6時のバス一本しかない。そんなはずはないだろう、乗り換え等を含めれば、本当はあるはずだと思いバスセンターやインフォメーションでもさんざん調べたり聞いたりしたがどうやらやっぱり一本しかないようなのだ。

10数年前のユーゴスラヴィアからの独立戦争の影響がまだ残っているせいなのかよくは分からない。


今回行くプリトヴィッツェもその戦場となった世界遺産であり危機リストにも加えられていた。途中、廃墟になった住宅がいまだに痛々しく残っている。

この国立自然公園は約400メートルの高低差の中に(階段状に)大小16の湖があり、それらを92カ所の滝が結んでいるのだ。途中、ボートとエコロジーバスを利用するが約7時間のハイキングである。

ここはバルカン半島の内陸部に位置するため、いきなり気温は10度以下となった。日本で言えば12月の気候、時折雨がぱらぱらと降るあいにくの天気であったものの湖は大変美しく変化に富み見応えがあった。

湖のそばのムキエネ村の宿に泊まる。

夕食には大きな川魚が出た。


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内戦の傷跡


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町に出てバスセンターとフェリー会社に行き切符を購入。

終日、明日からの旅の支度。

息子のリエカでの滞在もこの日で最後となる。 


終日、次の旅の準備に追われる。
息子は一人でクルック島へ。

ここではいつも「旅の準備」と簡単に書いているものの実際は、宿やバス、列車、フェリー、飛行機などの予約や確認作業はとても煩雑で手間がかかる。しかも日本国内と異なりほとんどが英語でやりとりしなければならずそれも面倒である。
この作業は僕は信用されてないので普段は妻がやってくれている。

今回、当初決めていたクロアチアのスプリット〜アンコーナ(イタリア)のルートをソボルさん達の強い勧めもあって今週になってドブロブニク〜バーリに変更したのだった。それにあわせて宿の予定もキャンセルし新たに探すという作業も行う必要が生じた。
その作業を今日やっていて、ほぼ終わった段階になって、僕らが予定していた日に限りフェリーが運行していないことに妻が気づいたのだった。(もし気づかないままで出発していたらどんなことになっていたか考えただけでぞっとします)
それから大慌てで対策を講じることになった。例えば日程を一日ずらすとか、フェリーをあきらめて飛行機の便を探すとか。こうなると時間的にメールでは間に合わなくなり直接電話するしかない。またその変化にあわせて宿の予約とキャンセルを再々度やり直さねばならない。
そんなこんなで半日が潰れてしまった。


8時頃帰って来た息子とともに近所にある名物レストラン(我々も行くのは初めてである)に行って夕食。
終日調べもの、資料の整理、読書。 
夜、インターネットで吉本隆明さんの昔の講演テープを聴く。約130分。テーマは「思想としての聖書」。
吉本さんの声を聞くのも始めてだったし、話し言葉を目を閉じて聞くという経験も久しぶりで大変新鮮であった。

次にここを発つのは16日の予定である。
プリトヴィッツェ国立公園に行きクロアチアを南下しフェリーでアドリア海を渡る予定である。古代のギリシア人やローマ人のつもりになってみたいのだ。

ヴェネツィアで壊してしまったカメラの代わり(これまで使っていたものと全く同じ機種。ヨーロッパでは手に入らない)を東京にいる大田君に頼んでいたのだが、今日無事に到着した。16日の出発までに間に合うかどうかヒヤヒヤだったがなんとか間に合った。
大田君は何かトラブルがあるといつも迅速に軽やかに対応して助けてくれる。彼は私たちの旅を見守る守護天使の一人である。天使は子供とは限らないのだ。ヴィム・ヴェンダースの映画に出て来るブルーノ・ガンツやピーター・フォークの例もあるように。
終日調べもの、次の旅の準備。
息子は一人でポレチュへ。

恩師からメールでカメラ事故お見舞い(+励まし)をいただいたのだが、同時にリンツでショーダさんに会った折、(今回、旅で)行けなかった展覧会の記録写真をもらった。
こちらリエカに戻りゆっくり拝見させてもらっている。
とにかく強烈なインパクトを受けている。
展覧会会場の記録写真でしかないので肝心のディテールは見ることができない。(多分今日可能な印刷技術をここまで使い倒しているものはないのだろうと推測はできるけれども)
しかしこれを見ていると何か「僕は今ここでこんなことしていていいのか?」と妙に落ち着かなくなってくる。
しかし当然、今更引き返す訳にはいかない場所にいて「いやとにかく色々考えるのはこの旅を全うさせてからだ」とも思うのだが、正直気持ちが乱れるというか何と言うか...。
結論としては「今やれることをもっと徹底的にやらねばならない」ということになったのだが。
...支離滅裂なようですが分かってもらえる人には分かってもらえると思います。
多分これを現場で見た人(デザイナーや先生の教え子)の多くは僕と同じように感じたのではないかと想像する。
旅半ばにしてここには書けないが年相応にそれなりに悩み、のたうっている自分には、言葉をこえた強烈なカンフル剤となった。
しかしこのカンフル剤は取り扱いに注意が必要です。
だってこれだけの集積をいきなり見せられたら上空2000メートルを飛んでる飛行機を見上げるようにリアリティがなくなってしまうから。
先生もこれらを日々こつこつと積み上げてきたのだと思うことにしよう。
自分は地面の上をただ歩くしかないスピードだったとしても。

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それにしてもこのオブジェはどう見えるのだろう?現物を見たいものです。
昨日のうどんパーティーの後、ソボルさんが明日是非連れて行きたいところがあると言って来た。行き先は言わなかったがとにかく翌日朝、迎えに来たので黙ってついていった。
連れて行ってくれた先はリエカの町の中心地にあるビルの一階である。隣はセルビアの大使館であった。
ここは新しくできる曼荼羅文化センターであった。ソボルさんは「私たちのドージョー」と言っていた。日本でいえばいわばお寺ができたということだ。この十数年、ソボルさんが真言密教の修業を始めて、最も望んでいたのは拠点であるこのお寺をつくることであったのではないかと推測する。
ここはリエカの市長のバックアップもあり、借りることができたのだそうだ。
とても広い空間である。
この空間をこれから2〜3年かけて修業の場所に作っていくらしい。これも全てソボルさん達の手弁当で行われるという。
「おめでとうございます」というととてもうれしそうにうなずいていた。おそらくヨーロッパ最大の真言密教の拠点になるのだろうと思う。

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その後息子と妻はオパティアへ。
僕は自宅で調べもの。

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今日は日頃お世話になっているソボルさんマイーダさん夫婦とその両親(我が家の大家さん)であるダリンカさん、ユーリッチさんを招待してお昼の食事会(3時頃だが)を開く。
ソボルさんがこのところ忙しいらしくこの時間となった。
メニューはソボルさんが好きだといううどんと寿司である。
まず朝早く妻と慧(息子)はバスで町の市場に行って新鮮な魚を探し、その後、僕と息子でスーパーマーケットに酒の買い出しなどに行く。

日本では何の問題もない簡単な料理でもいざここでやるとなると種々細かい問題が発生しそれなりに大変である。(妻はこの夏帰国したおりそれなりの食材を買って来てくれたのだが)前にも書いたが水の味の違いや、お米の違い、魚の匂いや新鮮度、みりんや酢等の調味料、すべてにわたって日本との微妙な違いがどうしても気になる。日本では当たり前のことが実行できないと何か重大な問題のように感じるのだ。

結局はソボルさん達はそもそも日本に来たことがないのだし、その違いはどっちみちわからないのだからあまり気にするのはやめようという(アバウトな)結論に達したのだが。


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市場


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マーケットに行く途中


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歩いて30分くらいのところにあるマーケット。


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ユーリッチさんは実は大型船の設計者でユーゴスラビア時代、しょっちゅうロシアに行って船を造る仕事をしていたらしい。ソボルさんは前にも書いたがプラハのロシアンスクールの卒業だし、僕がリシツキーの研究をしていることを知っているマイーダさんはあなた達はまるでロシアン・マフィア、KGBねと冗談を言っていた。それならば僕の弟の方が筋金入りだという話にもなった。(弟はロシアー日本史が専門で嫁さんがロシア人なので)マイーダさん驚いていた。


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ダリンカさんは寡黙な人なのだが(私たちがお互いしゃべれないからかもしれないが)とてもしっかりしたお母さんという印象。夫のユーリッチさんはのんびりしたというか、とても大らかな優しい(何と形容したらいいのかわからないのだが)人で何とも言えない素晴らしい人柄を醸し出す。

いろいろ話を聞けたのだけど、私たちが住んでるこの家について。

2〜30年前ここトルサットは人が住んでなくて馬が放牧されていたようなところだったらしい。(今は高級住宅地になっているけれども)そのころここに土地を買ってユーリッチ夫妻は自分たちの家具製作をする工房を作ったのだと。

それが今私たちの住んでいる家の一階部分であったと。この家もそれから少しずつ手作りで現在の三階建てのものになったということが分かった。基本的には手作りなのである。

以前話したユーリッチさんの船もそうだが、実はどんなすごいデザインにもまして彼らのそのような自分たちの環境を手作りで作っていく感覚に僕は強い影響というか感銘を受けているように思う。日本でもそのような人は何人か知っているが、社会全体からみれば本当に廃れてしまっている。

ここクロアチアは社会システムからいえばいろいろ問題もあって、住んでいると不満も沢山あるのだけれど、自分の住む家は自分で作るの当たり前という感覚とそれを金と他人に迷うことなく任せるという感覚の違いは大きいですね。

モノツクリの人間としてはこのことは深く考えさせられます。






9月5日のリンツで登場した武藤君のホームページの紹介を失念していました。興味のある方は参照下さい。

http://mutoh.imrf.or.jp/


朝から荷物の整理、壊れたカメラからのデータ救出、メールの送信、たまったブログの更新等で一日過ごす。


息子はこれから一週間程ここに滞在する予定である。

今日は妻と近所のトルサット城や街を散策に出た。


我が家にはもう一人息子がいるのだが、昨年の夏からプロ棋士になったのでお兄ちゃんよりも早く社会人になっている。

私たち親にとって全く未知の世界にいる。

今回の旅も短期間でも来るか?と誘ってはみたものの、全く関心を示さず、またそれどころじゃないということで来ない。

ちょうど今回私たちが旅している同時期には、中国の杭州という所に行って碁を打っている。

滞在期間中、9日間朝から晩まで囲碁を打ち、一日だけ観光日があるそうな。


私も妻も囲碁はほとんどわからない。

この夏妻が一時帰国したおり、クロアチアで暇なおり二人で囲碁の勉強をしようと簡便な囲碁盤を持って来てくれた。

やる時間があるかどうかわからないけれども。

朝7時57分の列車でリエカへ向かう。約10時間の行程である。
バスもありそちらのほうが早いのだが月曜日にはその便がないのだ。
列車の出発駅を僕が勘違いし、地下鉄の電車の中で気がついて慌てる。
なんとか出発8分前にたどり着く。
実際走ったのだが本当に冷や汗ものだった。

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ヨーゼフ・シュトラッセ駅前の公共自転車

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日本の新幹線ならば2〜3時間で着きそうな距離だが列車は緑の中をとろとろと走る。

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夕方、無事リエカ到着。

二日目。
時間があまりないのでつい欲張りな旅になる。(いつものことか。)
今日も息子を引き連れ街を駆け巡る。
結局先にバテてしまったのは僕の方でした。

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朝トラムでリングへ。フォルクス公園を歩いて新王宮へ。

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新王宮

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国立オペラ座の横を通ってケルントナー通りを歩く。

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シュテファン寺院へ

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日曜朝のミサの時刻なので奥には入れず。

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シュテファン寺院斜め向かいにあるハンス・ホライン設計の「ハース・ハウス」を見学。
ホラインは(写真を取り損ねたが)「シューリン宝石店」という小さな店舗も見た。
ハンス・ホラインは学生時代から好きな建築家であった。

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ペーター教会

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内部。ヴィヴァルディが鳴り響いていた。やはり音楽の都である。

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アドルフ・ロース設計、ロースハウス。現代建築のエポックとなったもの。
建てられた当初のスキャンダルが信じられない程周りの街並にとけ込んでいる。

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再びフォルクス公園に戻る。
この日は街のお祭りらしくとても賑やかなイヴェントがあちこちで行われていた。

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公園のイヴェントは見るからに楽しそうだったが、誘惑に負けず最初の予定通り自然史博物館へ。
期待通りの素晴らしい博物館である。
息子の携帯電話カメラで激写(?)してもらった。

彼は私が何を撮りたいか理解しているのでディレクターとカメラマンは阿吽の関係です。「見る」だけに専念することがこんなに楽なんて。


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カメレオン・プロジェクト・メンバーに捧ぐ-1


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ここにある一連のオーム貝の化石の美しさには息をのんだ。


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この博物館がすごいのはこの再現実証映像(一万年前の石像を一万年前の技術で再現する)である。

説得力満点である。


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ドイツとはまた異なった模型のセンスである。


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カメレオン・プロジェクト・メンバーに捧ぐ-2

http://chameleon.musabi.ac.jp/


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博物館でお茶休憩の後、シェーンブルン宮殿へ。室内を見た後公園を散策。


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宮殿内にある温室。ロンドンのキューガーデンに匹敵する。


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ここで博物館での激写がたたって(?)息子の携帯の充電がきれる。

このあとトラムで産業技術博物館へ向かう。閉館まで一時間ちょっと前。僕は疲れ果て入館しなかったが息子は入館する。僕はエントランスでメモなどをとる。博物館から出て来た息子が興奮した面持ちで「お父さん、ここ見なきゃ駄目だよ!」とその素晴らしさをまくしたてる。

またウイーンには来るのでその時再訪しようと思う。

一旦ホテルに戻り20分程携帯の充電をし、地下鉄で5駅程離れているフンダートヴァッサーの「ゴミ焼却場」へ向かう。



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焼却場隣りの建物


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夜遅くお店も開いてないのでケバブ屋でサンドウイッチなどを買ってホテルで夕食。

夜大雨。暑い一日だった。


しかし、ウイーンという街は見るべきものが目白押しです。
ここは旅全体の中でも重要中継地点の一つなのでまた来ることになるだろう。
午前中にリンツから列車で向かう。この旅二度目のウイーンである。
前回滞在した地下鉄ヨーゼフ・シュトラッセの近くの同じホテルなので交通に関しては心配がない。
荷物を置いてトラムでリングへ。
息子は美術史美術館に行き、僕はミュージアムクオーターという美術館複合施設の中のMUMOKルードヴィヒ財団近代美術館へ。(常設展シュレンマー、ナギ、カンディンスキー、モンドリアン、デュシャンとここは近代芸術が大変充実)加えて他の二つの意欲的な特別展「Bad Painting Good Art」「Expand Mind」が行われていた。前半に時間を取られすぎて後半は駆け足となってしまった。

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ヨーゼフシュトラッセ駅そば。

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息子の見たムンカーチ。ティエポロに次いで気に入ったらしい。同じような浮遊感覚。

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美術史美術館

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こちらは僕の行ったMUMOK。写真は不可なのでイメージはないが(そもそもカメラがない)建物も展示も素晴らしい。

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息子と合流しレオポルド美術館へ。ここはエゴンシーレ、クリムト、ココシュカが中心。途中オーストリア19世紀絵画のコーナーがあるがそれはかなり他と比べてレベルが落ちる。

そこに時間をとられすぎて最後のシーレが閉館のため駆け足になってしまったのが大変惜しまれる。圧倒的にシーレは良かった。


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フンダートヴァッサーの建築を見る為にトラムを二本乗り継いで移動。途中郵便局の外観、ドナウ川を見る。


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大田君から「先生は嫌いかもしれませんが(笑)」と紹介してもらったフンダートヴァッサーハウス。特に嫌いじゃありません。むしろなかなか興味深かったです。ウイーンの街におけるコントラストに何とも言えないものがありますね。

異和しているようだけど、逆に最もウイーン的な感じがします。

似ていないけどハンスホラインも同様ですね。


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数分歩いて同じくフンダートヴァッサーのクンストハウスウイーン。

閉館時間だったので中には入れない。

傍で夕食(息子はでかいシュニッツェル、僕はスープとパンとビール)をとり帰宅。


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ここリンツに来たのは欧州で最も伝統のあるアルス・エレクトニカというメディアアートのイヴェントに行く為であり、またそこに今回は1999年度の卒業生、武藤君がコンペ部門で受賞し、作品を展示しているからであった。
出不精の僕はもし8月頃彼からの連絡がなければ行かなかったかもしれないが、彼からのメール連絡を受けて行かずばなるまいと思ったのだった。イタリアの滞在を予定よりも短めに切り上げて息子と二人でリンツに向かった。この後せっかくなのでウイーンに寄る予定である。
以下今日は長い一日です。

朝6時、車掌に「着いたよ。次でおりなさい」と言われ降りたら何と!一つ手前の駅であった。なんということか。

しょうがないのでその駅で顔を洗い、次の列車に乗る。

結局リンツに到着したのは7時過ぎとなった。


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リンツ、ドナウ川


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駅で朝食をすませ、駅から少し遠いホテルに荷物を預ける。ブルックナーハウスでイヴェントを見る為あらかじめ予約しておいたワンデイチケットを発行してもらう。


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コンペティション部門展覧会場で無事武藤君、正田さんと再会。

武藤君は学生時代ムトゥーと呼ばれていた。多分そのころ何故か踊るインド映画がブームだったせいだと思う。この4月にイギリスで会ったユミッペと同級である。現在は国際メディア研究財団の研究員で、科学技術振興機構さきがけの研究者でもある。この夏はロスで行われているシーグラフにも作品が招待され大活躍中である。となりのショーダさんも7年前の卒業生で現在勝井先生の事務所でデザイナーをしている。二人は夫婦であるが僕らは学生のときの名前のままショーダさんと呼んでいる。今回僕がカメラを駄目にしたというとすかさず彼女は「私のを使って下さい」という(彼女のカメラも僕が使っていたのと同機種なのであった)。ここらへんの臨機応変の心使いがさすがです。ありがたくカメラを一日借りることに。

まずはOKセンターという建物でコンペ部門のその他の受賞作品も含めてムトゥーに案内してもらう。


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武藤君の作品。

以前東京で見せてもらったものに比べ格段の改良が加えられ(プロダクツの完成度と、そのオブジェの動きに合わせて外環境の色彩のウオールがアナログで視覚的に変化することを加えて)ぐっと良くなっていました。このレヴェルになるとコンセプト云々はむしろ邪魔(説明的になってしまうの)で作品の完成度のみが問題なのだと実感できました。

とにかく展示物の中でも完成度が図抜けて高いことに安心しました。


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以下入賞したその他の作品。

世界各国からかなりの数のエントリーがあり、その中でも日本人作品が4〜5点はあった。日本勢はかなり頑張っている方だと感じた。ただ大賞作品はデンマーク人だったか、かなり政治色が強いもので、審査はかなり国際的なバランスが配慮されている印象を受けた。国際コンペはそのような性格を持たざるを得ないのかもしれない。

全体を見て大変興味深かったし、思う所あるけれども長くなるので省略します。

ただ誤解を恐れずに言えば視デのライティングスペースの作品もコンセプトレヴェルでいえば全然負けてないなあという印象は持ちました。

問題は多分、教師を含めてこういう場所に出て行く気になるかどうかなのだと思う。そのつもりならば大学の支援体制も含めて考えなければならないことが沢山あるように思った。

ただ僕の興味はコミュニケーションにあってアートではないから。

そこらへんは今回ムトゥーと一日中歩き回りながら、「いったいメディアアートって何なんだ?」を巡って喧々諤々語り合いました。


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ドイツ在住、彫刻家出身の日本人の作品。音を体感する装置。


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これは武藤君の同僚の作品。鳥のコミュニケーションを学習する装置。


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これはかなり面白い。ことばによる説明は難しいけれども。


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デジタル一辺倒ではなくこのようなアナログインタラクティブな作品もある。というかムサビでも実感していることだが、むしろテクノロジー礼賛からアナログ見直しにシフトしているのかも知れない...。


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これは従来のメディアアートの王道のような...。すごくかっこいいのだが、それはインターフェイスがものマニアックな所為でもあって...。


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肘の骨を通してドレスデン大空襲の音をドナウ川で聞くという、かなりコンセプチュアルな作品。僕自身この間ドレスデンに行ってこのブログにも記したけれど、やっぱり戦争の傷跡を感じずにはいられなかったので、この作者の気持ちはよくわかりました。


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この他大賞作品はよく分からなかったので写真を撮り忘れました。(確かこの左奥の作品です)あとアニメーションでかなり素晴らしい作品がありました。


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会場のOKセンター。この近くで4人で昼食。

その後アルスエレクトロニカセンターのビルにある19歳以下のメディアアート作品や歴代のメディアアートの常設展などを見る。


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そろそろ、メディアアートという言葉の再定義が必要な時期なのだろうと思う。


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川沿いにあるレントス美術館に向かう。

常設のクリムト、シーレ、ココシュカの他、写真の歴史をたどる展覧会が行われていた。空間も広く気持ちのよい美術館であった。


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オスカー・ココシュカ。先ほどのOKセンターとは彼の名前からとったものである。多分。


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日本人科学者の宇宙に紙飛行機を飛ばそうというプロジェクト。息子が強く反応。


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その他リンツ芸術大学で行なわれている日本の超有名某国立大学大学院の展示が3フロア借り切りで行われているのを見た。

コメントは遠慮しよう。


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その後4人で古本屋をまわりお茶。


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一旦ホテルに戻りチェックイン。シャワーを浴びて夕方8時に再び街の広場へ。


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夜は国際メディア研究財団をここ20年以上実質的に率いている大野さんも合流して下さり共に食事をする。大野さんには歴代の卒業生が随分お世話になっています。


今回は沢山の刺激を受けました。やっぱり現場には行くものですね。

とにかく何らかの刺激は受けるものです。

普段、出不精がちの自分を反省。

武藤夫婦には一日中お世話になりました。

これからもがんがん頑張って下さい。


ドナウ川沿いを30分ほど息子と歩いてホテルまで帰る。


ヴェネツイアを訪れたのは24年前に次いで二度目だけれども、改めてここの運河と島と空の光、織りなす光景もやはり特別なものだと思わされる。
光景に関してはアイルランド、イギリスもスペシャルだった。そして次に尋ねるつもりのオランダのデルフトがある...。

今日はもう移動の日である。朝、宿を出て荷物を駅に預け、ヴァポレットでジューデッカ島に渡り散策。ここは岡田君の推薦であった。確かにこちら側から見る、対岸の本島の眺めは素晴らしい。僕はカメラがないのでスケッチをする。そして隣のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島に渡る。

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ジューデッカ島

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会の鐘楼からの眺め。

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向こう側がジューデッカ島

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サンマルコ広場の鐘楼

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サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会

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その後サンマルコに渡りサンマルコ寺院を見学。

内部は撮影禁止なので床のタイルのみ。この床を見ただけでも一時期のヴェネツイアがいかに豊かであったかがわかる。


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その後、街をぶらぶら歩きながらサンタルチア駅に向かい、ひとりで一足先にリエカに戻る妻を駅で見送る。

息子と二人で遅めの昼食をとり、アカデミア美術館へ。ここは14~8世紀の北イタリアの絵画が中心である。特にヴェロネーゼ、ティントレット、ティツアーノ、ジョルジョーネなど。息子はジャンバティスタ・ティエポロが気に入ったようである。(撮影不許可なので画像はない)今回のヴェネツイア滞在は出来る限り船に乗りこの島の様子を見ることが主眼なので基本的には美術館はここだけであった。


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この間いろんな美術館でカナレットを随分見たせいか、現実の風景からカナレットの絵を思わず想起してしまいます。


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町中の現代美術のギャラリー


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その後サンマルコ広場のカフェで一時間ほどお茶。息子の数学における抽象的な美と表象された美との関係に関する小難しい質問をめぐり会話をする。

話をしながら直接は関係ないのだけれど、「そういえばどうしてここにあの偉大な人文主義者アルダス・マヌティウスの博物館がないのだろうか?」と考えた。

ヴェネツイアの人たちはある意味グーテンベルクよりも偉大ともいいうるこの同国人を忘却したのだろうか?まさか。

多分僕が知らないだけなのだろう。どなたか知っている方がいたら教えていただきたいものだ。

ここには冬にもう一度来るつもりなので。


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再び夕暮れの中ジューデッカ運河をわたりサンルチア駅に戻る。

7時から30分程のクルージングであった。

陽がほとんど落ち光がグレーに染まる残照の中、ジューデッカ運河の中央あたりを波を切って進む船。

運河と両サイドに島影を見ながらドラマチックに変容する空、そして空間全体の色彩を見る(体感する)という、まことに言葉にもならない至福の視覚体験であった。


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私たちは8時半の夜行列車でオーストリアのリンツに向かう。

以下携帯電話のカメラで息子が撮影したもの(解像度は悪いが何とか撮れていた)。

午前中、ヴァポレット(水上バス)でリド島に行く。最初各駅停車だったので小一時間かかる。しかし大小の運河、島の様子、観光客や島の住人など見ていると飽きることはない。


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ヴァポレット乗り場


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リド島へ


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リドに着いた後陸上のバスでヴェネツィア映画祭の会場に移動。写真は会場受付、切符売り場。

見れる映画には上映時間の関係などから限られたものになってしまった。

もちろん僕が見たかったのは「崖の上のポニョ」であったが上映はされていなかった。

息子は宮崎駿も押井守も既に日本で見たと言っていたが。


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本会場正面


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赤い絨毯に金のライオンのディスプレイ


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ポスター


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ヴィスコンティのあの映画で有名な砂浜。


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付近を散策したあと映画祭の為に設営された大型テントで午後の上映を観る。

ロシア映画の「paper soldier」監督はアレクセイ・ゲルマンJr.。映画はロシア語で、大きな字幕がイタリア語、画面外の下に小さな字幕で英語という環境なので良くは理解できなかったが、あまり好きな映画ではなかった。昔のタルコフスキー的な芸術映画を少し気取りすぎているような印象を受けた。もっとシンプルでもいいのにやたらとカメラのフレームが凝りすぎていて監督の「僕は芸術家です」的な気持ちがうるさい印象。(昔は僕もタルコフスキーは大好きだったのだが最近はどうも枯れて来たせいかもしれない)

例えばウエス・アンダーソンの映画は言葉が仮に全然わからなくても面白いじゃないですか。そういった映画ならではの上手さというのが感じられなくて。言葉、言葉、言葉ばかりで映画的ではなくて文学的。

しかし後でこれが銀獅子賞を受賞したことを知る。

うーん。少し納得できないなあ。

そう、後で改めて考えたのは要するに「タルコフスキーを今やる古くささへの違和感」だったのだ。

勝手な印象ですいません。


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その後一旦サンマルコ広場へ戻り、船を乗り換えてムラーノ島へ。

ここはガラスで有名なところである。


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宿の近くにある中華料理屋で食事。


リエカに戻った後確認したら9月2日分までのカメラのメモリカードのデータは生きていたので以下写真をアップします。 

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ブレラ絵画館(ミラノ)にて

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ミラノ北駅外観

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ホテル傍

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ここからヴェネツイア

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鐘楼からの眺め

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右手に鐘楼、正面がサン・マルコ寺院

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サン・マルコ広場

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この空間についてエドワード・ホールが「隠れた次元」で言及しているのを思い出しつつ。

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夜(息子の携帯写真より)



ミラノからヴェネツィアへ移動する日。

午前中にトラムでブレラ絵画館へ向かう。ここはミラノで最も大きな絵画美術館である。北イタリアのルネッサンス初期のものから18世紀のものまで。

マンテーニャの「死せるキリスト」は有名な絵であるけれど実物を見るまではそれ程とは思っていなかった。その他ベッリーニ、ティントレット、ヴェロネーゼ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ラファエロ、そしてカラヴァッジョもあった。なかなか見応えあります。大学(アカデミア)と併設しているらしく、同じ建物の中にアトリエや教室が見えた。建物の中のカフェで休憩。

その後歩いて街を散策しながらミラノ中央駅まで戻り13時55分の列車でヴェネツィアへ。16時15分ヴェネツィア、サンタ・ルチア駅到着。宿は駅の近くローマ広場の近くなのでまず荷物を置いて街の散策に繰り出す。

今回私たちの滞在はちょうど、ヴェネツィア映画祭とぶつかったわけだが、これは始めから意図していたわけではない。全くの偶然である。ミラノでテレビをたまたま見ていると、宮崎駿さんと「崖の上のポニョ」の映像が結構長く映っていたので「これは何事か」と思い「あー。今やっているのか」と気づいた次第である。もちろん、ヴェネツィア映画祭が行われていることや、宮崎さんや押井守、北野武の映画がエントリーされているという一般情報は知っていたのだが、それが自分の旅と関係するなんて考えもしていなかったのだ。宿が異常に高く、かつ予約がとりにくかった理由が今更ながらわかった。(分かっていたらここは避けたかもしれません)

映画祭の拠点はリド島なのでヴェネツイア本島の町中が映画祭一色とは全然なっていない。フェスティバルに関連した上映をやっている映画館は探してみたが本島では一カ所だけであった。


ローマ広場からリアルト橋、サンマルコ広場まで迷路のような街を歩き、ちょうどサンマルコ広場で夕日が落ちる時間帯に鐘楼にのぼり、夕暮れるラグーナとヴェネツィアの街を小一時間程眺める。途中頭上で鐘が鳴りだした。(結構うるさい)

サンマルク広場ではカフェ専属のミュージシャンたちが映画祭に合わせてか映画音楽を演奏していた。

その後サンマルク広場とリアルト橋の間で食事をし、暗くなった街(9時くらい)を歩いて帰る途中、道に迷った。まあ街自体が迷路みたいなものなので三人で行ったり来たりしていて行き止まりに来た。

その後ちょっとしたアクシデントに見舞われた。(詳細省く)...それでカメラが水浸しになってしまったのだった。(事件に遭遇したとかではないので心配しないで下さい)


ということでこの日一日撮影した画像が全て駄目になるとともに明日から写真が撮れなくなってしまった。これは僕にとって大変大きな痛手である。今回、妻はカメラをリエカに置いて来ているので代わりもない。代わりにあるのは息子の携帯(!)のカメラのみである。


ということもあり、これ以降の交信はリエカに戻った後数日後になりそうです。


※※※※

上記は9月3日に書いた日記である。で今このブログを更新しているのは9月6日、ウイーンにいます。この間ヴェネツイア、リンツと滞在してきたがネット環境が悪いので更新が遅れました。

また上記の深刻な理由で写真がないので9月3日以降の日記はリエカに戻って更新します。


とにかく私たちのような旅行者にとって日曜日と月曜日をその旅程の中にどのように入れるかが大変重要なポイントとなる。

言うまでもなく月曜日はどの美術館も休みとなるからであるし、日曜日はお店が休みだったり、早く閉まったりするので要注意なのだ。

昨日のダ・ヴィンチ記念博物館閉館ショックが癒えないまま、今日は月曜日なので私たちは街歩きをするしかない。トラムでガッレリアに行きここのインフォメーションでいくつかのことを確認。

オペラではないが本日スカラ座である公演のチケットが手に入るかもしれないと期待して切符売り場に行くも今日はこの秋シーズンの初日とあって満席。やっぱり駄目だった。

どうも時期が悪いのか全てにわたってタイミングが悪すぎる。


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ガッレリア


気を取り直しつつ、とりあえず最初の予定地ドゥオーモへ向かう。これはゴシック建築の傑作である。恐らく長い時間をかけて修復をしたのだろう、大体どこにでもあるようなゴシック建築独特の黒ずみがきれいに取り去られている。元の大理石の色が戻り輝かしいまでに白い建造物に生まれ変わっていた。エレベーターで屋上に行けるのだがこれは結構スペシャルな視覚体験ができる。


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以下ドゥオーモ


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地下宝物庫


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屋上の手前


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屋上


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ドゥオーモ、正面ディテール


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その後トラムを何本かはしごし、街を散策。結構暑い。


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王宮

ガッレリアのそばで遅めの昼食をとり唯一開いているギャラリーのある王宮へ行く。

ここは特別展が行われていて最初、最後の晩餐に関する映像が上映されていると聞いても全然期待していなかった。

すると何とその展示はピーター・グリーナウェイによる映像インスタレーションだったのである。

王宮はこの街のかつての統治者ヴィスコンティ家の館で大変広大である。

そのインスタレーションとは王宮の中の大きな部屋に立体的にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」の部屋が原寸で再現され、空間の中央に最後の晩餐のテーブルが原寸で(立体的に、多分石膏で)再現されている。(そのディテールとサイズがなかなか興味深いのだが)観客はこのテーブルのまわりに立って見ることになる。映像は主に最後の晩餐の画面部分とその反対側壁面に投影され、部屋のライティングが映像とシンクロして変化する。約30分弱の上映である。

これが大変に素晴らしく驚いた。一つは高精細のダヴィンチの最後の晩餐が完全に3次元化され、そこ(最後の晩餐の画面上の空間)で自在に様々な光が変化するのだ。例えば昼間からだんだん夜に変わっていくように。またその光が画面こちら側の現実空間にも同時に投影される仕掛けだ。

そして同時に反対側の壁には(最初はダ・ヴィンチのその他の絵も投影されるのだが特筆されるべきは)最後の晩餐をマクロ撮影した高解像度画像が流れるのである。絶対肉眼では見ることのできないディテールが画面を舐めるように見れるのである。(よくこんな撮影を許可したものだ)

音楽はいつもグリーナウェイとコンビを組んでいるマイケル・ナイマンではなかったがとても良かった。


見終わった後は少し呆然とする。グリーナウェイらしい灰汁の強さと実験的な遊び心が横溢している。

このインスタレーションを経験するために今回のミラノ旅行はあったのかもしれないと少し思った。


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インスタレーションパンフレット


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昨日のレオナルド博物館休館ショックを引きずり、このような本を購入。


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ここミラノに来たのは「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」を訪ねる為であった。今回一緒に旅する息子の興味が、どちらかといえば理科系なのでこの博物館ならば良かろうと思い、随分以前から合流地点としてわざわざここミラノを選んだのであった。

ここで一日過ごすつもりで行ってみるとなんとこの3ヶ月、館内システム改変の為に休館中なのであった!!(そんなこと想像だにしていなかった)。

9月16日から再会すると言われても...。

これにはこの旅の早々、絵に描いたように出鼻を挫かれた私たちであった。


...考えてみればそもそも10日程前リエカから電話でサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に電話し「最後の晩餐」見学の予約を入れた時、既に予約が一杯で駄目だった時から暗雲が立ち籠めていたのかもしれない。

「最後の晩餐」に関しては実は別にどうしても見たいとは思っていなかったので「しょうがねえなあ。」くらいで済ませていたのだが。

こっちの博物館がだめだったことはかなりショックであった。


やむを得ず、その日一日いろいろうろつき回りましたが最初のこの失望はなかなか晴れませんでした。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館前。おかしいのはわざわざ切符売り場までは開いていて、来た人にいちいち閉館の説明をしていることだ。


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サンタン・ブロージョ聖堂


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文字の入ったグラス。市立考古学博物館


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市立考古学博物館


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ミラノの最も古い城壁の一部が市立考古学博物館となっており、その中に上記のような遺構がある。


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旧ミラノ城壁模型、左上アクリルの直方体が上の遺構です。


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アンブロジアーナ絵画館の中庭。ここは撮影禁止なので以下の画像はイメージです。これらの他にも小品ながらボッティッチェルリの色彩の大変美しい作品やラファエロの「アテネの学堂のデッサン」があった。これはバチカンのタブローの原寸大デッサンである。このデッサンの為に大きな薄暗い部屋が用意されている。さすがのラファエロ嫌い?の僕もこのデッサンには感動しました。これは大変素晴らしいと思いました。


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ダ・ヴィンチ「音楽家」


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カラヴァッジョ「果物籠」


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レオナルド像


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ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のガッレリアに一旦戻る。


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以下スフォルツァ城市立博物館


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ミケランジェロの遺作「ロンダーニのピエタ」


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中庭


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天球儀


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地球儀


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ドレスデンの城と同様、王様の為のウンダーカマー(の部屋)があり秘宝(?)的なものがここにも沢山あった。


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博物館の窓から


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11時にマイーダさんの車でバスセンターに送ってもらう。

12時発リエカートリエステ間は珍しく渋滞のため50分遅れて15時着。

15時28分ミラノ行きの列車に乗る。ミラノ北駅20時50分。約5時間半。

ホテルは駅の傍である。

東京からやってきた妻と息子は既に到着しており無事合流する。


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ミラノ北駅、夜。


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