港町スプリットの旧市街は、かつてのローマ皇帝ディオクレティアヌス(ローマ帝政後期)が隠居するために作った宮殿が中世以降そのまま街となったところで、城壁に囲まれ内側は215メートルから180メートルのこじんまりとした空間である。(その成り立ちのユニークさから世界遺産となった)
私たちは着いてすぐにこの街が気に入った。
理由はこの街のベースがキリスト教以降ではなく、それよりも以前にある点だと思う。
ローマ時代の遺構はかなり破壊され、あるいはかなりの部分が中世以降の建築物に覆われているものの、古代の雰囲気が充分残っていることによる。
クロアチアの一都市というよりもあきらかに地中海のギリシア人による植民都市的な印象が強く感じられる。
むしろ地形、自然ともにトルコの西南岸、ギリシアのポリスを彷彿とさせる。
宿は旧市街つまり宮殿内にあったので荷物を置き、早速迷路のような宮殿内を散策。
大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)、宮殿の地下(イスタンブールの地下宮殿ほどではないにせよ、ここもかなりの規模でありしかもしっかり残っている。)、その後夜の9時まで開いている市立博物館へ。
プリトヴィッツェ、バス停そば。
やっぱりこの風景はギリシア、トルコを思い出させます。
ここからスプリット。
ディオクレティアヌスの宮殿
地下宮殿の一部。ショップになっている。
宮殿復元図。約1700年前
以下地下宮殿
大聖堂(ディオクレティアヌスの霊廟)と鐘楼。
鐘楼の鐘
鐘楼からの眺め
大聖堂内にある宝物庫
大聖堂内部は素晴らしい構造体であるが撮影不許可なので天井のみ。
礼拝室天井
ここから宮殿内にある市立博物館
宮殿、城壁
港。
あ、ディオクレティアヌス宮殿!
それはノイラート展で使った「世界中心」(あの特大本)の設計担当の建築家エブラールが復元したものではないですか。
見たことのある復元図があったのでびっくりしました。
どこの辺りの仕事をしたのかはわかりませんが、写真を見る限りなかなか良い仕事のような感じですね。
今度詳しく聞かせて下さい。
うむ、理由はよく分からないけど直感的に僕が気に入ったのはそういう縁というか理由があったのかもしれませんね。写真を見ると若干わかると思うけど結構修復の手が入っています。話によると19世紀までこの地下宮殿はゴミ捨て場になっていたそうです。なので地上階のような破壊を免れていたのです。
ヨーロッパ各地における、ローマ時代遺跡の復元修復のなかでもこれはかなり早い時期のものではないかと思われます。ギリシアのものも同様でした。
しかし、僕に分かるのは直感的な部分だけなので(笑)。
ちゃんと調べれば修復プロセスは必ず書籍になって残っているはずです。
大学、あるいはネットで検索してみたらどうでしょうか。
今ローマにいますが近代の出来事としての古代再発見と修復のプロセスという大きな括りになると思いますがこれはとても興味深いテーマだと思います。
ここにいる人たちが現地人だからといって必ずしも歴史に詳しいわけではないのです。彼らは千数百年にわたってローマやギリシアを異端としてなきものにしてきたのですから。
今ローマは自分たちが作ったといった顔をしているローマ人たちには皮肉の一つも言いたくなる気分です。
あのシュリーマンのトロイ発見ですら19世紀の後半なのですから。
そこは政権が交代したとしても、奈良、京都と1200年歴史意識が少なくとも持続した日本とは随分異なる印象を持っています。
信じられないことですが彼らは一旦過去を激しく忘却しているのです。