2008年10月アーカイブ

久しぶりに家を出て歩いて30分程、妻と日常品の買い出しに近所のスーパーへ行く。
明日、友人が東京から訪ねてくるのでその準備も兼ねて。

外に出るのは5日ぶりか。
天気は相変わらずあまり良くなく雨の合間を見計らって出かけた。
昼間は20度前後なので暖かい。マイーダさんは異常気象と言っていた。

その後はいつもと変わらず自宅で調べ物や次の旅の準備などをして過ごす。
旅の準備もザグレブ用、パリ用、エジプト用と頭を切り替えつつ行わなければならない。
だからやっぱり時間が足りないのだ。

調べ物もここにある資料だけでは全く足りず、日本にあったあの本、この本持ってくれば良かった...と後悔に苛まれ部屋を無意味に歩き回っている。
本を今更取り寄せるべきかどうかで少し悩む。

まあ、基本的にはできる範囲で何とかするしかないですが。

HDLU(ザグレブのクロアチア芸術協会)を訪ねたさい、フランチェスキさんにいただいた今年のヴェネツイア建築ビエンナーレ、クロアチアの出品作SEA ORGAN & GREETING TO THE SUNのヴィデオ(DVD)を見た。
建築家NIKOLA BASICの環境建築作品。
ザダールの海岸で打ち寄せる波が音に変換され、太陽のエネルギーが光に変換される海浜公園の装置である。とても素晴らしいものであった。
似たようなインスタレーション作品というのはこれまでもいろいろあったし、見て来たが完成度が高くかつ詩的である。
現場に行ってみたくなった。

明日から少し慌ただしくなるのでこの日記の更新は一週間程遅れるかもしれない。


終日、家にこもって調べ物とブログの更新。
ブログの更新は長期間怠ると、何かあったのではと心配をかけることがわかったので、やっと正常に追いついてきて一安心。
こちらに戻ってからは一歩も家を出ておらず、写真もないのでラクチンだ。
そのぶんくだらない独り言を書いているので恐縮ですが。

2日後に東京の友人がわざわざここリエカに訪ねてきてくれるのでその連絡と、次のザグレブとパリ行きに関する連絡などもする。
ザグレブではフランチェスキさんの紹介でユーゴスラヴィアアヴァンギャルドの研究家とザグレブ芸大の先生と会う事になっているので楽しみだ。ちょっと緊張しますが。
パリでは浪人時代(もう30年以上経ちます!)の友人とパリフォトを見て回るつもりである。

今回の旅では旧友はもとより、知り合った人が次から次へと新たな人を紹介してくれて、新たな出会いが生まれる。
自分は本当に恵まれているなあと実感、感謝する。
一期一会、出会いを大切にしたいと思います。

朝おきて昨晩の夜中でサマータイムが終わった事を知る。
日本とは8時間の時差に戻る。早速部屋の時計を修正する。
8時半に起きたらまだ7時半だったという単純なことではあるけれど。
日本では経験できない事なので少し楽しい。
ここ数日リエカは日照時間もどんどん短くなる上に天候不順で一日中暗い。
眼に弱点がある僕はこれくらいの暗さの方が楽なのであるけど。

そういえば森田さんからのメールに皆(特に旅行者)が嫌うベルリン(ヨーロッパ)の冬の夜の長さについて

「ベルリンの冬の暗闇が僕は好きです」
とあった。

...ちょっと感動しました。


終日、資料の整理。調べものなど。 
以下の記録でとりあえず、前半の旅のメモは完了。

こうやって振り返ると改めておびただしいものを見て来たのだと実感する。
可能であれば(必ずしもこのブログの形態でなくとも良いのだが)見て来たすべての画像データに場所や作者や年代その他の分かりうるテキストデータを加えて相互リンクできればよいと思うのだが。
実現は現状では不可能だろうな。アシスタントはいないし。コンピュータソフトじゃなくて自分の頭(ソフト)でやるしかない。
例えば「時の視覚化」というキーワードに対してこれまで見て来た全ての情報、ストーンヘンジやアンカラ、ニュルンベルクでみた無数のサンダイアルや古代時計、ギリシアで見たユダヤのカレンダーや3700年前の青銅のカレンダー機械、これから見るであろうエジプトのピラミッド等などが時代別、構造別に比較検討できるような。
同様に例えば「アルファベットの変遷」とか、
例えば「グリッドの変遷」、「光の記述」「空間の視覚化」「行為の記述」「デザインのモダニズムの意味」「展示する(見せる)ことの歴史」とか...。
全てのヴィジュアルコミュニケーションの根源となるようなものたちの歴史をつなぎ比較検討する作業...。

それは(これまでも行なって来たが)これからも自分の頭の中で行なわなければならない作業だ。

以前(多分このブログを見ていない)ある人から「お前の旅はしょせん外遊だ」という意味のメールをもらって少しへこんだ。
「俺の今やってることは遊び?」かぁ...。
僕はこれまでデザインの仕事もそうだったが、それが「お仕事」だとはあまり感じたことがない。「仕事」というにはそのデザイン行為がもたらしてくれる結果、幸福感はもっと大きいと感じて来た。僕にとって研究や仕事や遊びの境界はほとんどないのだ。
義務とか責任というのは社会に生きている以上厳然とあるのだけれど。
それに人からどう思われてももちろんかまわないのだが、僕の旅を遊びだと揶揄したその人はどこか外国の大学に席をおき研究する事がアカデミックな研究に値するものと思っているようであった。しかし僕に言わせればそんなことならわざわざ1年間外国暮らししなくても(明治維新じゃあるまいし)、日本でもできるし(そのほうが効率的だし、必要があれば短期で旅行すれば事足りる)僕は20年間、大学でそうしてきたのだ。
今回考えに考えて各方面に迷惑をかけながらもこの旅に出たのだが、どっかの大学に腰を落ち着けるなんていう選択肢はどこを探してもなかった。
本を読んだり、人に聞けばわかることではないことを感じて学ぶ為にこの旅に出た。
それだけが今の自分に必要なことだと思われた。
それは実際やってみて、確かに楽しいが大変だ。

それが「遊び」と言われるならば、むしろ本望かもしれない。


旅の記録
●オーストリア
【museum/library 美術館/博物館等】
ウイーン・ミュージアム・カールスプラッツ/美術史美術館/応用美術博物館/ルードウィヒ財団近代美術館/レオポルド美術館/自然史博物館/シェーンブルン宮殿(以上ウイーン)/レントス美術館(リンツ) 以上8カ所

【camii/temple/church 教会/寺院/城/近代建造物等】
パビリオン・カールスプラッツ/カールス教会/国会議事堂/市庁舎/オペラ座/シュッテファン大聖堂/郵便貯金局/クーアサロン/カイザーバート水門監視所/フンダート・ヴァッサー・ハウス/クンストハウス・ウイーン/ハース・ハウス/シューリン宝石店/ペーター教会/ロースハウス/ゴミ焼却場/(以上ウイーン) 以上16カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
フォルクス庭園 以上1カ所

【academic ivent/university 大学/学会/イヴェント】
アルス・エレクトロニカ(OKセンター、アルス・エレクトロニカ・センター、ブルックナー・ハウス、リンツ芸術大学など)

●ドイツ
【museum/library 美術館/博物館等】
アルテ・マイスター絵画館/武器博物館/陶磁器コレクション/ドレスデン城緑の丸天井/(以上ドレスデン)/ライプツィヒ印刷博物館/造形博物館/バッハ博物館/(以上ライプツィヒ)/デューラー・ハウス/おもちゃ博物館/ドイツ鉄道(DB)博物館/ゲルマン国立博物館/フェンボー・ハウス(ニュルンベルク市立博物館)/(以上ニュルンベルク)/ドイツ博物館/ノイエ・ピナコテーク/アルテ・ピナコテーク/(以上ミュンヘン)/デッサウ・バウハウス/マイスターハウス/(以上デッサウ)/ワイマール・バウハウス博物館/ゲーテ国立博物館/ワイマール候の城美術館/バウハウス大学ライブラリー/(以上ワイマール)/バウハウス・アッシブ/ユダヤ博物館/ケーテ・コルヴィッツ美術館/文化フォーラム絵画館/旧ナショナル・ギャラリー/新ナショナル・ギャラリー/ペルガモン博物館/旧博物館/ハンブルグ駅現代美術館/(以上ベルリン)/ 以上30カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
ツヴィンガー宮殿/ゼンパー・オペラ/カトリック旧宮廷教会(以上ドレスデン)/トーマス教会/ニコライ教会/旧市庁舎(以上ライプツィヒ)/フラウエン教会/聖ローレンツ教会/カイザーブルク/(以上ニュルンベルク)/新市庁舎(ミュンヘン)/国民劇場/市教会/ヴァン・デ・ヴェルデ邸/バウハウス大学(旧バウハウス校舎)/シラーの家/(以上ワイマール)/ベルリン大聖堂/戦勝記念塔/カイザー・ヴィルヘルム教会/ソニー・センター/クライスラー・センター/ブランデンブルク門/ドイツ連邦議会議事堂(以上ベルリン)/ケルン大聖堂/ 以上23カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
メードラー・パッサージュ(ライプツィヒ)/職人広場(ニュルンブルク)/ポツダム広場(ベルリン)/ 以上3カ所

【academic ivent/university 大学/学会/イヴェント】
ベルリン芸術大学サウンドスタディーズ/

●ベルギー
【museum/library 美術館/博物館等】
王立美術館/漫画博物館/オルタ美術館/ルネ・マグリット美術館/ギャラリー34 36 SB/(以上ブリュッセル)/ゲント美術館/ 以上6カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
市庁舎/カフェ・ファルスタッフ/ストックレー邸/ホテル・ソルベ/ホテル・タッセル/メゾン・ペルソネル/シャンベルラーニ邸/オトレ邸/ファン・ネック博士の診療所/プリズン・サン・ジル/(以上ブリュッセル)/聖バーフ大聖堂/鐘楼と繊維ホール/ゲント大学図書館/フランドル伯居城/(以上ゲント) 以上14カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
グラン・プラス(ブリュッセル)/第肉市場/コーレンレイ(ギルドハウス)/グラスレイ/(以上ゲント) 以上4カ所

●オランダ
【museum/library 美術館/博物館等】
オランダ建築博物館/ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館/クンスト・ハル/(以上ロッテルダム)/マウリッツハイス美術館/エッシャー美術館/ハーグ市立美術館/(以上デンハーグ)/歴史博物館/国立美術館/国立ゴッホ美術館/レンブラントの家博物館/科学技術センター/アムステルダム大学付属アラード・ピアソン博物館/聖書博物館/写真博物館/(以上アムステルダム)/ディック・ブルーナハウス/セントラル博物館/(以上ユトレヒト) 以上16カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
カフェ・デ・ユニ/ゾーネンフェルド邸/ブラーク・オールド・ハーバー開発計画/レストラン・ポンピュ/エラスムス・ブリッジ/(以上ロッテルダム)/デルフト新教会/アムステルダム中央駅/シュレーダー邸(ユトレヒト)/エラスムス通りの集合住宅/ドム塔/ドム教会/(以上ユトレヒト) 以上11カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
デルフト/ダム広場(アムステルダム)/アムステルダム運河/マヘレのはね橋/ 以上4カ所
終日、資料の整理、様々な連絡、ブログの更新など。

先週からか世界的な金融不安、同時不況のニュースが流れている。
友人からのメールで「円高は追い風になってよかったね」といったコメントをもらうのだが、そもそも、4月から8月までの宿泊費や交通費が最も高騰する時期に、手数料を入れれば1ユーロ=170円以上という不条理な旅をずっとしてきた実感から言えば、ここ最近急に円高になったからといって、残念ながら得した実感は全くない。
しょせん、自分がコントロールできることではないし、今度の旅は一生に一度のものと覚悟してきたので一喜一憂しないことにしてきたし、今後も変わらないだろう。
達観しているのではありません。「もう、勝手にしろ」という感じです。
ただ前にも書いたけど、日本の生産力というか国力からして不当なレートではあると感じてはいたので、むしろ、今が正常に戻ったという言い方もできるのではなかろうか。
それにしてもイタリアやギリシアの美術館で入場料2500円などというのは無茶苦茶だなあと思ったものだ。今のレートでも2000円くらいだから日本での実感からすればまだ高いとも言えるのではないでしょうか。

それよりも、ヨーロッパの不況は今後、深刻になりそうな気がするし、クロアチアも含めた周辺国(旧東欧諸国や経済が安定していない国)は大変な状況になるかもしれない。そのことによる治安の悪化などが心配である。
昨日マイーダさんとも話したのだが、クロアチアでは最近ジャーナリスト2名がテロで殺害されテレビでも連日そのことが報道されている。軍隊上がりのマフィアの犯行とのこと。ここではボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の記憶もまだ新しく人々の間には暴力に対する不安も大きいようである。先日テレビで山奥にこもってひたすら銃を撃っている不気味な男のドキュメンタリーを放送していた。詳しくはもちろん分からないのだが、彼も軍隊出身者であった。映画「タクシードライバー」のデ・ニーロのようであった。
ベルリンで会った森田さんも、今オーストリアでは極右に近い政党が政権をとろうとしているなど、右傾化を憂慮していた。
ドイツでは第二次大戦の経験から右傾化にはかなり敏感で、今の所正常だそうだ。むしろ周辺諸国が全体的にナショナリスティックになっているようだ。旅をしているだけでは鈍感なせいか僕には良くわからなかったが。
経済の悪化とともにこれまでのユーロ統合の矛盾が出て来ているのかもしれない。
やはり一日、連絡作業に時間をとられる。
合間をみてベルリンの写真の整理に着手。 
ブログに上げるには写真を取捨選択しリサイズしなければならない。
お昼からリエカの警察署に滞在許可証の申請に行く。マイーダさんが付き添ってくれた。
窓口にはいろいろな人(ビザをとる外国人など)がいて、並んで順番を待っていると様々な人間模様が見える。
申請後、マイーダさんとお茶。
来週にイストラ半島のモトブンに行こうという話になる。ここは交通の便悪く、自力ではなかなか行けそうにない所である。実現すれば良いのだが。
夜にやっと一日分のブログの更新ができる。

自分のやってきた旅の意味について考える事あり。
もう少し落ち着いたらちゃんと書きたいと思う。

とりあえず、昨日に引き続き旅のメモをここにも残しておきたい。
分類が意外と難しいことがわかる。
単なる記録じゃなくて自分なりのデータベースにするならば考えなきゃならんなあと思っている。
経験の内容をどのように分節するかなのだけれど。

旅の記録

●チェコ
【museum/library 美術館/博物館等】
国立博物館/国立美術館/フランツ・カフカ博物館/チェコ・キュビズム博物館/プラハ城ライディングスクール・ギャラリー(以上全てプラハ) 以上5カ所

【camii/temple/church 教会/寺院/城/近代建造物等】
プラハ城/大司教宮殿/シュバルツェンベルク宮殿/聖ヴィート大聖堂/クレメンティウム教会/旧市庁舎/市民会館/キュビズムアパートメント(ヴィシェフラド地区)/キュビズムの家(2件ヴァルタバ川沿い) 以上10カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
ペトシーン公園/カレル橋/カレル庭園/ 以上3カ所

●ギリシア
【museum/library 美術館/博物館等】
国立考古学博物館(アテネ)/アタロスの柱廊博物館(アテネ)/エーゲ海海洋博物館(ミコノス)/考古学博物館(ミコノス)/ディロス博物館/ワイン博物館(ティラ島)/メガロン・ギジ博物館(ティラ島)/フィラ考古学博物館(ティラ島)/新先史期博物館(ティラ島)/考古学博物館(イクラリオン)/クレタ歴史博物館/コリントス考古学博物館/ミケーネ考古学博物館/オリンピア博物館/アンティリオン大橋記念博物館/デルフィ博物館/ 以上16カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
国会議事堂(アテネ)/アギオス・エレフテリオス教会(アテネ)/セント・ニコラス教会(ミコノス)/パラ・ポルティアニ教会(ミコノス)/ルサヌー修道院(メテオラ)/アギオス・ステファノス修道院/(メテオラ)/アギオス・エレフテリオス教会/ 以上7カ所

【ruins遺跡等】
ディロス遺跡/古代ティラ遺跡/クノッソス遺跡(クレタ島)/マリア遺跡(クレタ島)/フェストス遺跡(クレタ島)/ゴルティス遺跡(クレタ島)/エピダウロス遺跡/エピダウロス古代劇場/旧コリントス遺跡/ミケーネ遺跡/オリンピア遺跡/デルフィ遺跡/アクロポリス遺跡/アドリアヌス門/ゼウス神殿/アドリアヌスの図書館/古代アゴラ/ヘファイトス神殿/ローマン・アゴラ/風の神の塔/ 以上20カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
シンタグマ広場/アノ・ミリの丘の風車(ミコノス)/ディロス島/エル・グレコ公園/マリア・ビーチ/コリントス運河/アンティリオン大橋/メテオラ奇岩群、修道院 以上8カ所

●イタリア
【museum/library 美術館/博物館等】
ボルゲーゼ宮/ローマ国立博物館(アルテンプス宮)/ローマ国立博物館(マッシモ宮)/ローマ国立博物館(ディオクレティアヌスの浴場跡)/パラティーノ博物館/バチカン宮殿(ピオ・クレメンティーノ美術館、絵画館、システィーナ礼拝堂、エジプト博物館、キアーラモンティ博物館、エトルリア美術館、地図のギャラリー、ラファエロの間他)/ボルゲーゼ美術館/ヴィラ・ジュリア・エトルスコ博物館/国立近代美術館/クインティーリ博物館/カピトリーニ美術館/クリプタ・バルビ(地下都市跡)(以上ローマ)/市立考古学博物館(ミラノ)/アンブロジアーナ美術館(ミラノ)/市立博物館(スフォルツァ城、ミラノ)/王宮(現代美術館、ミラノ)/ブレラ絵画館(ミラノ)/アカデミア美術館(ヴェネツイア)  以上18カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
パンテオン/サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会/ヴィットリオ・エマヌエーレ二世記念堂/サンタネェーゼ・イン・アゴーネ教会/サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会/サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会/サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会/サンタ・マリア・マッジョーレ教会/サン・ピエトロ広場、大聖堂/サンタ・マリア・デル・ポポロ教会/サレジオ教会/ジェズ教会/サンタゴスティアーノ教会/テリニタ・ディ・モンティ教会/(以上全てローマ)/ドゥオーモ(ミラノ)/サンタンブロージョ大聖堂/ヴィットリオ・エマヌエーレ二世のガレリア(ミラノ)/サンマルコ寺院(ヴェネツイア)/鐘楼(ヴェネツイア)/サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会 以上20カ所

【ruins遺跡等】
フォロ・トライアーノ/トラヤヌスの記念柱/トラヤヌスのマーケット/フォロ・ロマーノ/コロッセオ/カラカラ浴場跡/パラティーノの丘/アッピア旧街道/サンセバスティアーノ門/クインティーリ荘/チェチーリア・メテッラの墓/ハドリアヌス邸の別荘/ 以上12カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
バルベリーニ広場/ポポロ広場/ナヴォナ広場/スペイン広場/共和国広場/ボルゲーゼ公園/ティボリ/トッレ・アルジェンティナ広場/大運河(ヴェネツイア)/サンマルコ広場(ヴェネツイア)/ムラーノ島/ジューデッカ島/サン・ジョルジョ・マッジョーレ島/リド島/ 以上14カ所

【academic ivent/university 大学/学会/イヴェント】
ヴェネツイア映画祭
昨晩から引き続いて必要なメール連絡にほぼ一日かかる。
内容は勤務している大学との必要なやりとり。旅で新たに出会った人やお世話になった方への礼状やその後のやりとり。これからのスケジュール相談のための様々なやりとり。日本の友人とのやりとり等々である。
ものによっては難しい内容でひとつに3時間程もかかる。
英語は日本語の4倍くらい時間がかかる(...情けない)。
頭の片方ではいつものように行って来た旅の記憶の意味を反芻している自分がいるが、じっくり考える時間が今はない。よってブログも更新できず放置したままとなる。

これまで訪ねた場所に関するメモを残したのは6月6日のトルコ関係のもののみであった。
旅も半分が過ぎたのでここでメモ代わりに前半の部分(の前半)を記録しておくことにする。名前等不正確な部分があるかもしれないがこれ以上放置しておくとますます億劫になりそうなので。
イギリス、アイルランド、クロアチアなどである。抜け落ちもあるかもしれない。

旅の記録

●イギリス
【museum/library 美術館/博物館等】
大英博物館/大英図書館(リーディングルーム+ギャラリー)/ヴィクトリア&アルバートミュージアム/ナショナル・ギャラリー/自然史博物館/キュー・ガーデンズ(+ギャラリー)/ボドリアン図書館(オックスフォード)/アシュモレアン博物館(オックスフォード)/自動車博物館(バートンオンザウォーター) 以上9カ所

【ruins 遺跡等】
ストーン・ヘンジ/ローマ浴場跡(バース) 以上2カ所

【camii/temple/church 教会/寺院/城/近代建造物等】
ソールズベリ大聖堂(オックスフォード)/クライスト・チャーチ(オックスフォード)/バーフォード教会(バーフォード)/バース寺院(バース) 以上4カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
オックスフォード大学群/バートン・オン・ザ・ウオーター/バーフォードの町並 以上3カ所


●アイルランド
【museum/library 美術館/博物館等】
トリニティ・カレッジ・オールドライブラリー/国立考古学歴史博物館/国立博物館/チェスター・ビーティー・ライブラリー/ブルーナ・ボーニャ・ビジター・センター 以上5カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
聖パトリック大聖堂/クライスト・チャーチ大聖堂/ダブリン城/中央郵便局(以上ダブリン) 以上4カ所

【ruins遺跡等】
ダウス古墳/ニュー・グレンジ古墳/ボイン川の古戦場/タラの丘/ドン・エンガス遺跡/ガララス礼拝堂/ダンベックの砦 以上7カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
モハーの断崖/イニシュモア諸島/ディングル半島/セント・スティーブンス・グリーン/キラーニー国立公園 以上5カ所


●クロアチア
【museum/library 美術館/博物館等】
自然史博物館(リエカ)/市立博物館(リエカ)/海洋歴史博物館(リエカ)/リエカ大学図書館/イストラ歴史博物館(プーラ)/イストラ考古学博物館(プーラ)/地方博物館(ポレチュ))/ロマネスクハウス(ポレチュ)/民俗学博物館(スプリット) 市立博物館(スプリット)/スプリット美術館/考古学博物館(スプリット)/考古学博物館(ザグレブ)/クロアチア歴史博物館(ザグレブ)/HDLU(ザグレブのクロアチア芸術協会)  以上16カ所

【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
トルサット城/トルサット聖母教会/聖ヴィート大聖堂/聖セバスチャン教会/クルック大聖堂/聖ルチア教会(バシュカ)/聖ニコラ教会(プーラ)/大聖堂(プーラ)/聖エウフミヤ教会(ロヴィニィ)/エウフランシス聖堂(ポレチュ)/大聖堂(スプリット)/聖母被聖天大聖堂(ザグレブ)/聖マルコ教会 以上13カ所

【ruins遺跡等】
ローマン・アーチ(リエカ)/ヴィラ・アンジョリーナ(オパティア)/クルック城塞/バシュカ旧市街/アウグストゥス神殿(プーラ)/円形劇場(コロッセオ、プーラ)/双子門、セルギ門(プーラ)/バルビ門(ロヴィニィ)/ネプチューン神殿跡(ポレチュ)/ディオクレアヌス宮殿跡(スプリット) /宮殿地下遺跡(スプリット)/サローナ遺跡(スプリット) 以上12カ所

【city/nature 街並/自然景観等】
オパティア/プリトヴィッツェ国立公園 以上2カ所

●スロベニア
【camii/temple/church/ Castle/ Modern building 教会/寺院/城/近代建造物等】
三本橋トロモストウィエ(リュブリャナ)/リュブリャナ城 以上2カ所

朝宿を出て8時半頃の電車でハノーファー中央駅へ約2時間。
中央駅で乗り換えて空港へ約20分。
リエカ空港へ3時頃無事到着。
ベルリン─リエカ間の直行便がない為にこのような行程になる。
これから冬になるとリエカ発着の航空便がますます少なくなりそうなので気が思い。
今後クロアチアから他のヨーロッパ諸国に出国する場合、バスで3時間半かかるザグレブかバスと電車で4時間半はかかるイタリアのヴェネツイア利用となりそうだ。

ともあれ約1週間のザグレブ、ベルリンのショート・トリップから無事に帰宅する。
ベルリンでの滞在期間が充分だったかというと全くそうではないものの、まあしょうがない。
今回はベルリン芸大、博物館島、リベスキンドのユダヤミュージアムに行けたことで満足しなければならないだろう。
後半の4日間ネットが使えない環境にいた。こういう時に限って重要なメールがたまっている。
荷物もそこそこに返事を書かねばならない。

旅の間「法句経講義」友松圓諦著(講談社学術文庫)を読了。
これはこの夏来た息子が置いて行ったもの。
原始仏典の最古層に属する、釈尊が直接語った言葉の解説で昭和9年に刊行され昭和の仏教革新運動の起点となったと言われるものである。
仏教書とベルリン?と一見無関係に見えるのだが(実際はじめから関係ありと思ったわけではないけど)、ヨーロッパとアジアの死生観、自然観、自我認識の違いについて考えさせられること多く興味深かった。
またこういった言説の解釈と(今私たちが行っているような)遺跡や歴史の断片を見る作業は意外と似ていて、まさに解釈する側の想像力が問われているのだとしみじみ思った。
ベルリンを動き回れるのは今回は今日まで。
ハンブルグ駅現代美術館はかつてのターミナル駅を美術館にしたもの。
信じられないくらい広い。普通の美術館4つ分の感じである。
実は常設展を見たかったのだが芸術の秋のせいか、常設展はやっておらず、芸術家の儀式(cult of the artist)という大テーマの元に大規模なヨーゼフ・ボイス展、アンディ・ウォーホル展、その他多くのデコンストラクション・アーティストの集合展などをやっていた。
その後どうしても19日に行った文化フォーラムの絵画館、昨日行った博物館島のペルガモン博物館、旧博物館のもので再度見たいものが出て来たので今度は絞り込んでそれらを見て回った。
朝10時から夕方6時まで時間を気にしながらであったがとても神経の張りつめた1日であった。
その後はもう気が抜けた状態でふらふらと既に暗くなった夜のブランデンブルグ門、ドイツ連邦議会議事堂(フォスター設計のガラス張り中央ドーム)に行った。

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Ayşe Erkmen展(下も)

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白い壁がゆっくり動く。まるで...。

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ウォーホルのエルビス

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マックス・ビル

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ジェームス・ギャグニー

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実は初期の広告のためのイラストレーションが最も興味深かった。

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ボイスは写真に撮ってもなあと思ったがとりあえず記録として。

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とにかく広い。大スクリーンで映像を映している部屋も何室もあり、広さ自慢しているのか?とも思う程だ。でもその分個人的には何か空虚な印象も受けた。

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膨大なドローイング

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ボイスについて書くと長くなりそうなのでやめます。
25年前もすでに大作家であったが、現在はそれ以上の扱いですね。かつて彼の作品(そもそも「作品」という言い方が良いのかどうか?)を見て強く感じる所あったけどよく理解できなかった。
それでルドルフ・シュタイナー(今回も触れられていたが)の本を読んだりもしたが結局良くは理解できなかった記憶がある。
やっぱりドイツ語が理解できない事には判断しかねるような...。

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宿の近くの中央駅

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ペルガモン博物館と旧博物館を再訪。今回は写真はあまりとらずに見る事に集中。

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文化フォーラム入り口

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25年前には見る事ができなかった東側からみたブランデンブルグ門

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西側

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ドイツ連邦議会議事堂屋上

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移動した宿はベルリン中央駅のそばで、ここからは博物館島にも徒歩で行ける距離である。
博物館島はドイツ統一によって旧東西にあった博物館、美術館が再編成、再統合している中心地である。私の大きな目的のひとつであったペルガモン博物館もここにあるが19日まで工事中で入れなかったように、工事等で公開を中止しているところもある。
また博物館同士の収蔵品の調整や博物館の名称もまだ統一されていない部分があるようだ。実際かなり混乱させられた。
ともあれ、ここの収蔵品も素晴らしい。分野によっては大英博物館をしのぐものもあり、到底1日では見切れるものではない。


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博物館島へ行く途中にあるシナゴーグ。

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向こうに見えるのは旧東ドイツ時代からあったテレビ塔。

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ペルガモン博物館。今回何とか入れたのは良かったが、その三分の一、バビロニア、シリア、アッシリア部門は閉鎖されて見る事ができない。
とても残念である。いつ再開されるか掲示板には触れられてなかった。

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朝一番なので人もまばら。この後あっという間に人が押し寄せてきた。
ここは有名なペルガモンのゼウスの大祭壇が置かれた場所。
この遺構は私たちが5月31日に訪れたトルコのベルガマにあったものを移築したものだ。その現地の様子と比較して見て頂けると分かりやすいと思う。
BC180〜159のものである。
http://www.esporre.net/terayama/2008/06/531.php

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左に見える白い円形の劇場跡は現在でもかなりはっきり残っている。
その下の構築物が失われているので現在では観客席から急角度に谷に落ち込んで見えるので高所恐怖症のぼくにとっては大変怖い場所であった。
この模型を見てなるほどと納得。

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ゼウスの大祭壇の元々あった様子。
ローマ人はこの上方に自分たちの祭壇を作っていた。

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神話が描かれたこの壁面は何時間見ていても見飽きることはない。

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隣のギリシア、ヘレニズムの建築遺構を通って、古代ギリシア、ヘレニズム、ローマ時代のものが展示されている。

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ミトレスの市場門。この先にバビロニアなどの展示があるはずであったがクローズされていた。

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ペルガモンはこれでおしまいかと思い、一旦美術館を出ると工事現場の横のドアから入れた先にはイスラム美術の博物館があった。

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旧博物館から左手に見えるベルリン大聖堂。

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旧博物館。設計はカール・フリードリッヒ・シンケル。
ここも二階と一階は別々のミュージアムかと思うくらい分かりにくかった。
二階ではエジプト美術の大展覧会、一階は古代ギリシャ、ローマの彫刻など。
収蔵品の質は極めて高い。

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書記1

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書記2

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書記の用いていた筆記用具。板の上に蝋を塗ったもの。これに鉄筆でメモをとる。
今日のバインディングされた(綴じられた)書物の原型ともいわれる。
これを見るまでこうやって板を何枚も重ねていたいたことは知らなかった。

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ナイルにそってそれぞれの地域ごとの神が展示された一種のダイヤグラム(一部)。大変興味深い。

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一階。ここは新古典主義者シンケルの傑作といわれるがなるほどと思わされる。中央の円形大ホール。18本のコリント式円柱。
純粋な幾何学的空間である。

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午前中に宿を移動してから文化フォーラム(ポツダム広場近く)の中の絵画館へ。

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文化フォーラムは複数の美術館と芸術図書館からできた複合文化施設である。
ここは国立で、とてもゆったりした敷地内に絵画のみならず版画、図書資料、工芸デザイン資料などの美術館が布置されていることに感心させられる。
ドイツの文化的豊かさ、というか国をあげての本気度を実感。博物館島もそうだが。
以下は絵画館。マスターピースが目白押しである。

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フェルメールが二点

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カナレット

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ベリーニ

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メルジ

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ボティッチェリ(下も)

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アントニオ・デル・ポライウォロ

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リッピ(だったか、あまりにも多すぎてどれが誰だか混乱してしまいます)

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ワイデン(だったと思う)

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デューラー(下も。彼はまとまって6点ほどが展示されていた。出来にかなりのムラがあるのがかえって興味をそそられた)

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ホルバイン

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ヤン・ファン・アイク(下二点も)

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この後、そばにある新ナショナル・ギャラリー(主に近現代美術を扱う。ミースの設計)に行くも展示準備中で閉館。これまでは写真家杉本博司の大展覧会が行われていたようだった。
中に入れず。


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博物館島にある旧ナショナルギャラリーへ。
ここは写真不可なので画像はない。フリードリッヒやベックマンなどロマン主義、象徴主義の作品が多く収蔵されていた。
かなり玉石混合というか混乱している印象あり。
建物はギリシア古典様式の堂々たるものである。

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シュプレー川、右手が博物館島、ボーデ博物館
今日の主な目的はベルリン芸大の大学院、サウンド・スタディーズSound Studiesを訪ねることであった。
午後まで時間があったので、カイザー・ヴィルヘルム教会を訪ねた後、のんびりと6月17日通りと博物館島のふたつの蚤の市をはしごする。

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宿の近くのカイザー・ヴィルムヘルム教会。
これは大戦中の悲惨な記憶を残すため破壊された旧教会と新しい教会がふたつ並んで建っている。

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新教会内部。合唱団のリハーサルが行われていたのでしばしの間楽しむ。

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森田さんの作品
ベルリン芸大の修士課程、サウンド・スタディーズは9月5日にリンツのアルス・エレクトロニカで(http://www.esporre.net/terayama/2008/09/0905linz-ars-electronica-longe.php)知り合ったベルリン在住のアーティスト森田さんが、昨年度(この夏)修了したところである。彼の作品は音を耳ではなく骨で触覚的に聞くというユニークなアプローチで大変興味深いものであった。
彼がこの日は大学の新学期でオリエンテーション・ワークショップがあり、各授業の様子が分かりますから来ませんかと誘ってくれたのであった。ちなみに森田さんは学部、院と日本の大学で彫刻を学び、ドイツで活動した後この出来たばかりの院に興味を持ち入学したという。このコースは10年の準備期間を経て森田さんが第一期の修了生なのでできたばかりである。
彼はこのコースをサウンド・コミュニケーション・デザインと言っていた。

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校舎。ベルリン芸大は沢山のコースに分かれているので校舎もベルリン市内のあちこちに点在しているという。
サウンド・スタディーズについての詳しい説明は長くなるので省略するが、学生数25名から30名。旧来の音楽学部とは全く異なるコンセプトで出発したという。専任は4名、サウンド人類生態学(基礎言語学的)、コーポレート・サウンド(アドバタイジング的)、実験的メディア・サウンド(コンピュータサウンド的)、空間サウンド・デザイン(建築、環境的)といった大まかに4つのコースに分かれている。今日は全体説明と前学期の特別プログラムの発表会の後、それぞれの教授たちが自分のコースの考え方を説明しながらのワークショップを行った。
僕は実験的メディア・サウンドとサウンド人類生態学のワークショップを見学した。

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最初にオリエンテーションの後、昨年度の特別プロジェクトの発表会が行われた。
これは環境サウンドの学生たちの作品。

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実験的メディア・サウンドのワークショップ。この日は学生の他卒業生、興味のある人(入学希望者など)の見学も自由であった。このコースの先生はあのクラフトワークのカール・バルトスである。僕はさほどテクノにのめり込みはしなかったが、やはり僕らの世代にとってクラフトワークの名前は絶大、特別なものがある。(ちなみにクラフトワークに関しては松岡さんの以下に詳しいので興味ある方はどうぞhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0965.html)

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その場で集めた言葉をサンプリングするカール・バルトス。

この他コーポレート・サウンドはメタデザインという会社を率いるヴェスタマン(ヨーロッパの主な企業のサウンドロゴを手がけている)など企業との現実対応もしっかり押さえた上で、しかしサウンド・コミュニケーションの根本は音経験をどのように言語化するかにあるとして、かなり年若いサウンド人類生態学のシュルツェ教授(哲学出身)が学科長として全体のバランスをとっているようであった。
授業の進め方、考え方が私たちのライティング・スペース・デザインと驚く程似ていたりして興味深く、思う所沢山ありました。
最後にシュルツェ教授に挨拶をして辞した。

その後森田さんと串焼き屋でお酒を飲みながらいろいろ突っ込んだ話を聞けた。
森田さんはリンツ以降、すでに次の展覧会の予定もいくつかあるようだ。
また彼の触覚サウンドの仕組みは大変ユニークなのでいくつかの企業も注目しているようであった。
これからの活躍が楽しみな人だ。日本に来たらムサビに来てもらいたいと思う。

ベルリンは紅葉真っ盛りである。東京の11月半ばの感じである。
既にデッサウやワイマールで25年前には見れなかったバウハウスに関係する展示を見て来たが今回あらためてバウハウス・アッシブを訪ねた。
撮影不可なので展示物の写真はない。
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展示内容に関して、またこの美術館が出来た経緯(グロピウスの設計)に関して思う所あるけれども省略。

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ベルリン、秋

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リベスキンドの設計で有名なユダヤ博物館はここベルリン博物館から入場し地下通路を通って行く事になる。

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この美術館は何と言うべきか、彫刻としての建築というか建築化した彫刻というべきか、少なくとも25年前はこのようなコンセプトの建築が実現できるとは思えなかった。思えばこの間日本でも(タイプは全然異なるにせよ)荒川周作の養老天命反天地のような建築化した彫刻とでもいうものが出来たのであった。

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荒川さんやリベスキンドに先立って、かつてヨーゼフ・ボイスによって社会彫刻というコンセプトが既に出されていたこと思い出す。

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肝心の展示内容について。興味深い点は多々あるものの若干の違和感もあった。それはユダヤミュージアムといいながら10世紀以降のドイツにおけるユダヤ人の歴史に限定していることであった。ユダヤ人のことを考えるならば少なくとも4000年からの歴史にざっとではあっても触れる必要があるのではないかと。
また第二次大戦中の悲惨な歴史に関して驚く程あっさりした展示であった。(それは下の写真にあるリベスキンドの設計した地下が代替しているという考えもあるかもしれないが)考え過ぎかもしれないがある種の政治的配慮があったのかとも思った。
あくまでも現時点での感想ですが。


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リベスキンドによるホロコーストの象徴。人の顔の形をした無数の鉄板。

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最後にケーテ・コルヴィッツの美術館に行く事ができた。
コルヴィッツは学生時代から好きで尊敬していた作家である。彼女の作品、生き方も含めて深く感動。

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美術館中庭。

ザグレブ空港からベルリンへ向かう。
前日は2〜3時間しか眠れず、少し意識もうろう。
ベルリンの宿(ツォー駅そば)に4時頃到着。荷物をおいて散策。4時過ぎにすでに町は暗い。

ベルリンは25年ぶりの訪問となる(当時は西ベルリン)。ヴェンダースが「ベルリン天使の詩」を撮影した年であった。あのサーカス小屋のあったクロツベルクを歩き回った記憶がある。(映画が公開されたのはその2〜3年後であったか)
今回は旧東側であるザグレブからの入国なのでショーネンブルグ空港から各駅停車の電車に乗ってベルリン入りをした。
25年前、たしか一日50マルクを使う事を条件に東側の町を半日観光したのだが、今回の印象とは全く異なったものだった。
その他思う所あり。

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ザグレブ空港待合室

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以下ベルリン

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クロアチアの首都ザグレブに早朝のバスで向かう。
5月のトルコ旅行の前に寄った「例の」画廊にまず訪ねる。
今回は1970年代旧ユーゴスラビアの前衛芸術家たちのドキュメントが展示されていた。
ここで来意を告げると、いろいろ細かい経緯はあったのだが、デヤン・クリスィチ(Dejan Krsic)氏(多分クロアチアで有名なデザイナー)という人に近くのカフェで会う事になる。一緒にいた美術史家の女性(名前を忘れた)とも話をする。ユーゴスラヴィア時代のアヴァンギャルド研究についていろいろ教えてもらう。(詳細省略)また、資料になる本を探すためにクリスィチさんは私たちを本屋に連れて行ってくれる。(結局三件はしごしました。)
その後HDLU(ザグレブのクロアチア芸術協会)というクロアチア現代美術で最も活発な活動をしている美術館に、ディレクターのフランチェスキ氏を訪ねる。(ソボルさんマイーダさんの紹介)
ここで偶然ニューヨークのアーティスト、ダリオさん(来年ここHDLUで個展をする予定)とそのガールフレンドで同じくニューヨーク在住の日本人女性アーティストの桐谷さんという方がいて、一緒に話をしたのだが成り行き上、結局厚かましくも彼女に通訳のようなことをさせてしまった。
フランチェスキさんは興味深い人で僕とほぼ同世代だと思うがクロアチアの現代美術において中心的な活動をしている人であった。今年のベネツイア建築ビエンナーレ、クロアチア部門のキュレーターもしている。
ここでは僕の興味のあるユーゴスラヴィア・アヴァンギャルドに関する情報を得る事ができた。
詳述するときりがないので省略します。11月の前半にまた来る必要ができた。
HDLUという美術館の建物も数奇な運命をもったもので、それだけで一冊の書物が発行されている。旅のあと落ち着いたら触れたいと思う。
今日は沢山の人にあったにもかかわらず、残念ながら写真を撮り忘れてしまった。それだけ話に忙しかったということだ。

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HDLU(HRVATSKO DRUSTVO LIKOVNIH UMJETNIKA /CROATIAN ASSOCIATION OF ARTISTS)

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HDLU内部

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明日から短い旅に出るのでいつものように準備に追われる。
たいしたことではないけど、荷造りは当たり前として
いつもの大掃除をします。

考えてみるとこれは何なんだろうと思います。
この長旅で東京の家を出る時もそうだけど、こちらに来ても、ここを拠点に短い旅に出る時も同じ心境になる。深く考えたことはなかったけれど
旅先で何かあっても恥ずかしくないようにというか、後で人様に迷惑をかけたくないというか、何と言うか。
一種の旅の覚悟とでもいうのでしょうか。

儀式の様に暗黙のうちに夫婦で大掃除をして家をきれいにしてでかけます。
15日からザグレブーベルリンの1週間程の旅が始まるのでその準備で少し慌ただしくなる。
町に行ってザグレブ行きのバスの切符を買ったり、買い物など。
町中のいつものカフェ(かつてチトー大統領のシェフをやっていた人が経営しているソボルさんお気に入りの)でマイーダさん、ソボルさんと待ち合わせし、久しぶり(1ヶ月ぶりか)にお茶をする。
こちらの旅の感想を巡っての話なのだが、ヨーロッパ2000年の主にキリスト教の変遷からオランダやら各国の国民性の話まで広がり全く大変な話になる。もちろんとても面白い話になるのだが自分の英語力がもどかしくもある。
ソボルさん達はもちろん僕の英語力にあわせて親切に話してくれますけど。
バチカンは異端としたのに何故あんなにギリシアやローマ、エジプトのお宝を抱え込んでいるんだ?とか何でヨーロッパは偉大なローマを忘却したのか?とか僕の乱暴な質問に対して、ソボルさん、マイーダさんはさすがに宗教家、とても鋭い分析で答えてくれる。(ここに書き出すときりがないので省略しますが)
印象深いソボルさんの言葉。
「ヨーロッパはこの2000年の間、日本が経験した明治維新のような激しい変革(あるいは歴史の断絶)を少なくとも20回以上繰り返してきたのです。テラヤマサンそれが理解できますか?」
...他にもあるけど刺激的すぎてやめます。
がソボルさんの比喩がとにかく面白い。僕がオランダの印象を当たり障りなくインターナショナルな印象を受けたと言ったことに対するソボルさんの意見。オランダ人の考え方は「臨済禅のようにlike a rinzaizen」strict(精密、厳格)だが、「臨済禅と違って」オランダ人は大都市のinternationalな印象とは裏腹に実は本質的には保守的なのだ、などという言い方なのだ。
確か僕の家は臨済宗だがそれが仏教の中でどれほど厳格であるかを残念ながら僕は知らないのだけれど。

僕らが旅していた間ここリエカは5度から15度ほどで大変寒かったらしい。
僕らが戻ってからインディアンサマーになったとのこと。

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ソボルさん家の庭でできたPOMENGRANATE。とても酸っぱい。

そいえば昨日の深夜テレビで「復讐するは我にあり」1979年をやっていて観た。
ここクロアチアに来て初めての日本映画である。九州弁や三河弁がことのほか新鮮である。(6月頃妻は小津安二郎の「晩春」1949年を観ているが朝早くだったので僕は観れなかった)緒形拳が亡くなっての追悼上映かどうかは分からない。監督の今村昌平は松竹の小津組にいたのだが反発して日活に移ったのだがこの映画は松竹の配給。緒方も凄いがほかの役者も凄い。三國連太郎、小川真由美、清川虹子、ミヤコ蝶々、倍賞美津子、加藤嘉など。映画よりも配役が凄すぎる。


アムステルダム(オランダ)ではこれまで書いて来たようにそれこそ気持ちが悪くなる程(?)たくさんの素晴らしいものを見てきたにもかかわらず、ずっと釈然としないというか引っかかるものがあった。
旅の途中ではその理由は当然分かるはずもなく、ただ単にもやもやした感覚だけが残っていて、それをこちらに戻ってからもずっと引きずっていた。(それは10月9日に書いたオランダ覚え書きにもある。

その理由が何となく分かったのはゴッホ美術館で買ったマーレヴィチの図録を読んでいてであった。
私が9月30日に見たマレーヴィチの素晴らしいタブロー群もウエルクマン(H.N.Werkmanヴェルクマン?)の作品もゴッホ美術館の収蔵ではなくアムステルダム市立美術館の収蔵品であった。この市立美術館(Stedelijk Museum of Modern Art)は2008年までの予定で改装中で、その間一部を中央郵便局に移転展示しており、しかも私たちが訪れた前日になんとその中央郵便局も工事で閉鎖され、結局見る事のできなかった美術館なのである。
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/0930rembrandtvermeerghghmalevi.php
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/1001-1.php

推測するにおそらくゴッホ美術館が展示場所のない市立美術館に場所を提供していたのだろう。
何故、アムステルダムにこれだけまとまったマレーヴィチがあるかというと上に記した図録、「1878-1935 Kazimir Malevich─Drawings from the collection of the kharzhiev-Chaga Art Foundation」によれば、革命後10年、国内での保守派との政治闘争に敗れた(本当はそんなに単純ではないがあえてそう書きます)マレーヴィチが1927年にワルシャワとベルリンで行なった展覧会の作品がその後の第二次大戦などの混乱でロシアに戻らず、それが(まるごと)ここ市立美術館にまとまって残っている理由だったのだ。
またそれに加えて、ロシアのマヤコフスキー研究家でマレーヴィチと直接つきあい、彼の重要なドローイングの多くを個人的に所持していたN.I.カルジエフ(発音はよくわかりませんKHARDZHIEV1903-1996)が、ペレストロイカの後1993年にアムステルダム市立美術に寄贈したものも加えられたのだった。
これにもドラマがあって90歳のカルジエフはそのドローイングの半分は持って来れたのだが、残りはロシアの空港で警察に差し押さえられ現在はモスクワにある。その後カルジエフはロシアに戻れず奥さんとともにアムステルダムで93歳で客死しているのだ。

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マレーヴィチのドローイング

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マレーヴィチのドローイングを見ていると自分の手で追体験(模写)したくなる程魅力的だ。
あのリベスキンドの初期のドローイングもリシツキーの影響というよりはむしろやっぱりマレーヴィチかと...。
この実感は僕にとって少なからず衝撃であった。

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マレーヴィチとカルジエフ。1933年。

結局、ここで言いたかったのはオランダがデザインのモダニズムに関する研究にとって最も重要な場所だと僕が感じていたのは、基本的にこの市立美術館によっているということなのだった。
これはおそらくこの美術館に歴史的に優れたキュレーターが何人もいる(いた)ということを示しているのだろう。
今回残念ながら僕はそれと出会う機会を逸してしまったのだ。
「せっかくオランダに来て、肝心のモダン・グラフィックのコアがないのは何故だろう?こんなはずじゃあないだろう」と感じたわけがやっとわかったような気がしている。もやもやと苛々の原因。

もちろん旅の出会いは時の運。その事自体は理由がわかった以上そんなにくやしいとは思っていない。もやもやが晴れたのでむしろすっきりしました。
帰国したら図書館でこの美術館(とハーグの市立美術館)が出した出版物を系統立ててちゃんと読んで、必要ならばそれから改めてまた来ればよいと思う。少なくとも3〜4年はかかるだろう。そのころにはいくらなんでも改装も終わっているはずだ。
新たに宿題が加えられました。
終日、資料の読書と長旅後半の計画に追われる。
夏は9時頃だった日没が今では6時である。これが4時頃までになっていくのだと思うと
ヨーロッパの冬は暗そうだ。これまで経験して来た春、夏とは全く印象が異なるのだろうと思う。

前から聞いてはいたものの、ヨーロッパ圏内は早めに予約をすると航空券が(列車などに比べて)大変安く手に入る事がやっと後半になって分かって来たし、ビビらずにネットで予約する度胸もついてきました。

やっとアバウトながら以下の旅程が決まる。
10月は後半に1週間ほど、ザグレブ、ベルリンへ。
10月の終わりから11月のあたまにクロアチア国内のドブロブニク、ザグレブへ。
11月の半ばにパリ、ウイーンを経由し20日間弱エジプト(シナイ半島)へ。
12月半ば過ぎに再びドイツ(ドュッセルドルフ、マインツ)へ1週間ほど。
1月前半に南イタリアとシチリアに約2週間。
2月の前半にクロアチアの拠点をたたみ、ポルトガル、モロッコ、スペインをまわる。
3月10日から20日までフランス(パリ)、その後ニューヨーク(約10日)を経て帰国の予定となる。

その他リエカ滞在中に出来る限り時を見計らって近隣のスロヴェニア、クロアチア国内のショートトリップ(バス)もしたいと考えている。
このあたりの冬の寒さがどのようなものか未知なのでどうなるかわからないけれども。

多分、11月のエジプトが冬とはいえ後半最大のハードな旅になりそうなのと、
ここリエカの拠点を引き払って後の放浪の50日間がどうなることやら不安ではある。

これまでの前半は全てが手探りだったし、様々なカルチャーショックもあったがその分、多分に新鮮でもあった。
後半は同じ旅でもその経験の受け止め方が変わって来るのではないかという予感がある。
うまく言えないが善かれ悪しかれ旅の質感が変わって来るのではないかと。


終日次の旅の準備。
でも家に籠ってばかりは何なので散歩しました。

テレビのニュースを見ていると同じクロアチアでも南のドブロブニクなどではまだ海水浴をしているのです。
しかしここトルサットはもう秋の気配です。
歩くと上着を脱ぎたくなるくらいの気温ですが。

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終日、家にひきこもり調べもの、読書、次の計画などに集中。

ここリエカの家は静かで気持ちよく引きこもりには最高です。
申し訳ないですが家事はなにもしていません。
感謝の気持ちを時々忘れるのでカミサンから顰蹙を買っているのが問題なくらいの
静かな日々です。

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画像が荒くて申し訳ない。1926年シュレーダー邸を訪れた左から建築家のマルト・スタム、リートフェルト、エル・リシツキー。リートフェルト38歳、老けて見えるが(急に頭が禿げたので)リシツキーは36歳。リシツキーの奥さんのゾフィーの書いた伝記では世界恐慌、ファシズムの前のアヴァンギャルドが幸福だった頃のワンシーンである。彼らはここで一般庶民の住宅の未来を終わる事なく語り合ったとある。

オランダ覚え書き。
今回のオランダではレンブラント、フェルメール、ゴッホ、エッシャー、モンドリアン、リートフェルトと(見落としも随分あるとは思うが)それなりに見れたのは良かったと思う。
そう、加えてウエルクマンやマレーヴィチなど思わぬ出会いもあったし。

ただ心残りがいくつかあった。
気をつけて(意識しながら)美術館や町の画廊などを見たつもりではあったが、戦後の優れたオランダのグラフィック・デザインがほとんど見れなかったこと。

リートフェルトは思った以上に評価されていたがデ・スティルのドゥースブルクがほとんど見れなかったこと。

そして最も大きな欠落はゲルト・アルンツがどこにもなかったことであった。
かつてゲルト・アルンツの大回顧展を行ったのはハーグの市立美術館である(今回モンドリアンを見たところ)。ここではモンドリアン以外にはイズラエルという画家の大展覧会をやっていてモダンデザインに関する展示は全くと言っていい程なかった。
まあ、こちらにも学芸員にわざわざ何故か質問する程の準備もしてなかったのでしょうがないが...。
オランダにいればなにか情報が入ると思っていたのだが...。
アルンツに関しては特に心残りではある。



終日家にこもり旅でたまった資料の整理。
旅の途中購入した書籍や、ゆっくり目を通せなかった資料に目を通す。
辞書を引きながら、またインターネットで確認しながらの作業なのでなかなかはかどらない。

しかし今回はあまりゆっくり振り返っている時間がない。
次の旅の当面の準備もあるけれど、ほとんどちゃんと決めてなかった後半の旅の見取り図全体を再度描かなければならないのだ。

もちろん、誰かが言ったように旅はちゃんと戻らなければ旅とは言えないので出発前に大きなアウトラインは作って来た。
これまでは若干の修正(例えば8月は少し休んだり、当初思ったよりイタリア滞在が少なくて北ヨーロッパが少し増えたり)はあったもののほぼ計画通りであった。
しかし後半についてはあまり考えてなかったのだ。

これは出発前にそれだけの準備をする時間やゆとりが全くなかったということにもよるのだが、半分は意識的に「行ってみなけりゃどうなるか分からんだろう。」という気持ちもあったのだ。
決めた事をそのままトレースするほうがどっかおかしいんじゃないかという気持ちがあった。

実際、見たり、感じたりするこということは、何かがその都度、自分に刻印され自分の感覚の何かが変化し続けているということだ。実感として。
これは当たり前と言えば当たり前のことではある。しかしこれまでの人生で少なくともこんな短期間にこれ程の量の情報を浴びた経験がないので圧倒されているということなのだと思う。
それで旅先で「やばい」と感じて思わず受信を遮断しよう(インプットを減らそう)とする自分がいるのだ。そしてそれを見ているもう一人の自分が「なんちゅうやっちゃ、お前は」と苛立っているのだ。

ここ最近、みっともないとは思うのだが「苦しい」だの「混乱している」だの弱音を吐いているのはそういうことです。
意外と弱い私をお許し下さい。

この迷いも旅に含まれた大事な要素なんだとここ数日、少しづつ開き直るようになってはいるものの。

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9月7日。ミラノで見たグリーナウエイのインスタレーションの様子。画像が小さくて見にくいですが。正面に見えるのが再現されたテーブルです。
http://www.esporre.net/terayama/2008/09/0901leonardos-last-supper-by-p.php

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終日、ブログの更新に追われる。

今回の旅の後半、ベルギー、オランダでの経験で書くべき事は目白押しではある。
が、頭からどうやっても離れないのはまずはフェルメールである。
フェルメールはこの旅の最初、イギリスのナショナルギャラリーに始まっている。
これまで行った場所で見れるものは必ず見て来た訳で、しかも彼に関しては今日いろんなところで語られているので今更僕が何か語る必要もないと思う。
いや、語りたい事は山ほどあるのだ。しかしそれをどう語って良いか分からないということなのだ。
このブログをご覧の方はもうすでに僕の見方が偏っている事はご存知だと思う。
レオナルドとヤン・ファン・アイクはまず別格として、デューラーとホルバイン、ボッシュとブリューゲル、そしてカラバッジョ、レンブラントがいるのだが、どうしても今語らねばならないのはフェルメールなのである。
時代も場所も異なるのにそれらを一緒くたに語る無茶苦茶さは承知の上です。しかももっと他にも優れた画家は沢山いるかもしれない。その点もごめんなさい。

ともあれ今はフェルメールのことを記さねばならないとおもうのだが今更何を語るべきなのか...。

「失われた時を求めて」を書いたマルセル・プルーストはフェルメールの「デルフトの眺望」を二度見ている。1902年マウリッツハウスと1921年パリでのオランダ絵画展覧会で。
そこで彼は書いている

「デン・ハーグの美術館で[デルフトの眺望]を目にして以来、私はこの世で最も美しい絵を見た事を知った」と
で彼の小説「失われた時を求めて」第五巻「囚われの女」の中に以下のテクストがある

「(...)しかし、ある批評家が書いているものによると、フェルメールの『デルフトの眺望』、彼が大好きでよく知っているつもりだったこの油絵のなかに、黄色い小さな壁面(それが彼にはよく思い出せなかった)が、じつによく描かれていて、そこだけ単独にながめても、十分に自足する美をそなえていて、すばらしい支那の美術品のように美しい、とあったので、ゴルベットは、じゃがいもをすこしたべ、外出し、展覧会場にはいった。階段をまず二、三段のぼったとたんに、彼は目まいに襲われた。いくつもの絵の前を通りすぎた、そしていかにもわざとらしい芸術の、うるおいのなさ、無用さの印象を受けた、(...)やっとフェルメールの絵の前にきた、その彼には、およそ知っているどの絵よりもはなやかで、他とはかけはなれていたという記憶があった、しかし彼は批評家の記事のおかげで、いまはじめて、青い服を着た小さな人物が何人かいること、砂がばら色をしていることに気がついた。そして最後にほんの小さく出ている黄色の壁面のみごとなマチエールに気がついた。...」

このプルーストの語る小さな黄色の壁面は本当に小さく、そう指摘されなければ探せないくらいのものだ。
しかしフェルメールの絵を見ていて実際、彼の本当の凄さはこの壁面にあると思う。
もちろんこの壁でなくても良いのだ。彼の絵におけるこの黄色い壁的なもの。
「牛乳をそそぐ」女の後ろの壁面でも、手紙を読む女の青い衣装でも、女の耳飾りでも。
そこには誰もが見えるのに誰もが描きえないものが厳然とある。
支那の美術品かどうかは知らないが少なくとも「自足する美をそなえて」いることは確かなのだ。
フェルメールと同時代の似たような題材を扱う優れた画家はいるものの、この感覚はフェルメールだけのものである。
これを何と言ったら良いのか。

僕には言葉が見当たらない。
抽象とか具象とかは全く関係のないことだけは確かだ。
ぼちぼちとたまっていた今回の旅、後半部分のブログの更新を行う。
余裕があると、あれやこれや考えてしまうので、一日分の更新に随分時間がかかってしまう。
自分が見たものを単純に見たということが簡単ではなくなってきた。

今回の旅の途中、たまたま別件についてであったが、尊敬するアーティストでもある友人の木本さんとメールのやりとりがあった。
いろいろ凄いものを見たりすることが単なる快楽では止まらずもはや、苦しみを伴う苦行でもあり、自分がどう受け止めれば良いか分からないカオス状態でもあることを正直に彼女に伝えたのだった。
その返信が
「寺山君、あなたの状態は不安定平衡といって、とっても素晴らしい状況なんだよ」であった。
さらに「腰が抜けるまでそれを徹底しなさい」でもあった。(実はもう腰は抜けかかっているのですが)

ともあれ「不安定平衡」とはとても難しい言葉である。
数学に対してまともに取り組んでいる数少ない芸術家である木本さんならばともかく
素人の僕がどうのこうのいう資格はないのだが、彼女の言わんとする事は何となく分かるような気もする。
普段、教師として学生を見ている時、ものを作ることにおいて学生がそのような状態に一度は突入しない限り本人における本質的な変容は現れないということは経験的に知っているし、それはいうまでもなく自分自身の経験でも知っている事だ。

旅を初めて6ヶ月。もう半分が過ぎてしまったという思いと、まだ半分かという思いが交錯する。
妻に正直
「他所様からは単なる贅沢に聞こえるかもしれないが...見続ける事はある意味本当に辛い事でもあるなあ」と弱音をはくと
「でもそれをあなたは望んだんでしょ」と答えられた。

そうだ、僕は無意識的かもしれないけど望んだのだ。
おそらくこの不安定平衡を。


ご存じない方のために木本さんのホームページは以下です
http://www.kimoto-k.com/index.html



今日は日曜日。

食料など日常品の買い出しに行かねばならない。

昼過ぎにいつものように荷物を運ぶためのキャリーバッグをごろごろ転がしながら

30分くらいのところにあるスーパーにのんびり向かう。

1時頃そこに我々が到着したとたんに店内の電気が消える。

いったい何事か、と思っているとこれで閉店なのだと知らされる。

「えーっ、何で日曜日のこの時間に閉店なの。今日は祭日でもないでしょう」

とか思っても始まらない。

これがクロアチア生活なのだ。

あきらめてそこからさらに2~30分かけて丘をおりてセンタービルにある大型スーパーで買い物を済ます。

荷物が重いので帰りはバスを二つ乗り継いで帰宅。

タクシーを拾いたくてもここには「流しのタクシー」というものがない。

日常の何ということのない買い物がここでは半日仕事となる。


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庭の主。名前は忘れた。今度ソボルさんに聞いておこう。
例のごとく、小旅行から帰った後の作業に追われる。
荷物の片付けや洗濯など。
疲れでかなりボーっとしながらも淡々と。

ここに戻ると本当にほっとします。
帰る場所があって本当に良かったと改めて実感。
食料は買い置きしていたもので済ます。

いつものことながら頭はそれまで見て来たものを
無意識に反芻している。
これもいつものことながら、夢遊病者状態が一時続くのだと思う。
朝の列車でアムステルダムからドイツのケルンへ。
今回はケルンーリエカという飛行ルートを見つけたので(リエカ空港は本当にマイナーでめったに飛行機は飛ばないのだ)その飛行機に乗るためである。
3時間弱。
この日の写真は全て妻が撮ったもの。

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ケルンでは駅前にある大聖堂を見る。飛行機の時間まで3〜4時間の余裕はあったものの、中途半端に町を歩く気にならず。
駅で昼食をとってケルン・ボン空港に向かう。

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夕方、無事飛行機は出発し夜の8時、リエカに到着。
心配していた空港から町までのバスもあった。
今回のオランダの旅も終わりに近づいてきた。
この旅の究極の目的のひとつにシュレーダー邸があった。
朝、朝食もとらず宿を出てユトレヒトに向かう。
シュレーダー邸はユトレヒトのセントラル・ミュージアムが管理しておりそこからバスでツアーが出る。
今回も最初は予約がないから内部は見せないと一悶着あったが結局見れることに。(ミラノ以降今回の旅はその手のトラブルが多すぎた)

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アムステルダム中央駅、朝。

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リートフェルト設計シュレーダー邸1924年

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ここはセントラル博物館が修復、管理している。世界遺産に登録されている。一階はまだ修復中の部分がある。
修復技術に関してはデッサウのバウハウスと比較するとかなり落ちる。かなり荒い。
デッサウ並みにやるべきだと思った。
http://www.esporre.net/terayama/2008/07/726.php

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残念ながら、内部は撮影不可だったので写真はない。
ここは建築化された家具という言い方がなされる。やっぱり内部、細部をちゃんと見なければその面白さがわからない。
空間をこれでもかという程細かく変化させるその執念(?)には恐れ入る。やり過ぎと思える程である。微笑ましいというか何というか。リートフェルトの他の全ての建築がそういう訳ではないから、若くして(シュレーダー夫人と出会ったのが33歳)この建築を彼女(当時32歳で未亡人であった)と作ったプロセスにその秘密があるのかなと思いました。
また住む人間の積極的な行動にあわせて空間が変化するという考え方は、リシツキーのプロウンルーム(1923)やドレスデンの展示空間設計(1926)と全く同じコンセプトである。1926年にここを訪れたリシツキーがリートフェルトと意気投合したという話もうなづける。
想像以上に興味深かく来て良かったと思いました。
リートフェルトは木工職人あがりというか、気取った感じのない人で、しかしこのような大胆な物を作ってしまう所が好きだ。
建築の専門家の人たちがどう思っているか知らないが。

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内部写真のかわりにセントラル博物館で撮った資料写真を載せます。
最初の模型。

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歩いて1〜2分の所にある同じくリートフェルト設計の「エラスムス通りの集合住宅」も見学する。ここは内部撮影が可であった。

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ジグザグ・チェア

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見学はオランダのどこかの大学の建築の学生と一緒だった。

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ディック・ブルーナ・ハウス。
一旦バスでセントラル博物館に戻る。ここはディック・ブルーナ・ハウスも併設していて閉館時間の関係でそちらに先に行くことにする。

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ブルーナは父親の経営する出版社のブックデザインも随分手がけている。
グラフィック・デザイナーとしても相当なものであった。
彼はリートフェルト、マティス、レジエに強い影響を受けたと語っていた。

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子供の遊戯室も当然充実。

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セントラル博物館に戻る。ちなみにこの設計もリートフェルトである。

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ショップと受付カウンター

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カフェテリアで遅めの昼食をとる。こことショップのデザインは「ドローグ・デザイン」椅子のデザインはリートフェルト。

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ドールズ・ハウス

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ドム塔1332年。

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ドム教会1254年。オランダ最古の教会。



朝、まず中央駅近くの郵便局に移転して展覧しているはずの市立近代美術館に行く(本館は改装中らしい)。途中、東京駅のモデルとなった中央駅や周辺の建物等を見ながら探すもなかなか分かり辛い。やっと探し当てると、ここも工事中で何かいやな予感がする。
なんと展示は昨日までであとはずっとお休みとのことであった。 

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アムステルダム中央駅

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図書館

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郵便局。市立近代美術館の移転先。

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科学技術センター(通称NEMO)レンゾ・ピアノの設計。

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NEMOを反対側から見たところ。

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しょうがないのでトラムに乗って考古学博物館へ向かう。
ここはアムステルダム大学の付属でガイドブックにも載っていない場所である。
正式名はAllard Pierson Museum Amsterdam。
それほど期待することもなく入ったのだがその充実ぶりに驚いた。
ギリシア、ローマはもとより、エジプト、シリア、キプロス、メソポタミアなど、全体の目配りも素晴らしく、かつこれまで私たちがギリシアやトルコで目にしたこともないような造形もあった。こういう不意打ちはうれしいものだ。
以前にも書いたが、私たちの今回の長旅の予定にシリア、メソポタミアまでは入っていない。なのでその部分も含めたここの展覧会はとてもありがたいことなのだった。

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オリンピアの模型

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キプロス

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キプロス

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次に尋ねたのは聖書博物館。
昨年、院生の李さんと15世紀以降の書物としての聖書史の研究をやったので当然行かずばなるまいと思ったのだった。
ここは19世紀のある修道士が収集した資料をもとに作られた場所であるらしい。
その人のテーマはまずは旧約聖書の成り立ちから始まっているようだ。(なので話はとんでもなく長いことになる)
そしてもう一つのテーマは聖地エルサレムを巡る歴史研究のようであった。
いわゆる十字軍から今日における紛争までそれは繋がっている。
とにかくオランダ語も全くわからないので、内容を理解できたかどうかははなはだ心もとない。
少なくとも私の期待したものとずれてはいたのだが、ユダヤの「トラー」(巻物)の様々なヴァリエーションが見れたことなど、それなりの収穫があった。
全体としては不思議な印象の美術館であった。

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トラー(小型)

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大型

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全てユダヤ語。エルサレム聖域の構造図のようである。


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モバイル型?

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古代イスラエル、ユダ王国の首都、エルサレムの神殿模型らしい。

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聖地エルサレム模型。

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そして写真美術館。
3人のフォトグラファーの個展がそれぞれの空間で行われていた。
そのうちの一人は石内都であった。

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またギャラリーに置かれている本をぱらぱらめくっていた妻が「あー。この写真いいね。」というので僕も「うん。」といって名前を見るとなんと知り合いの(ムサビ卒)まーさんこと山本昌男さんの写真であった。このギャラリーで展覧会をした時のものだった。
最近は年賀状のやりとりくらいしかしていないし、日本よりも海外で有名らしいという話は聞いていたが...。

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その後雨模様の中アムステルダム運河のクルーズ船に乗る。

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マヘレのハネ橋。

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宿から見える風景。この日も雨模様。
良くも悪くも大変な一日であった。

まずオランダ最大の美術館「国立美術館」に行く。ここは長期改装中なので現在全てを見ることはできないが、いわゆるめぼしい物を絞って展示している。
レンブラントの「夜警」「若き日の自画像」「聖パウロに扮した自画像」、フェルメールの「台所女中」「手紙を読む女」の他ファルケルト、オランダ伝統の風景画と静物画の傑作が目白押しである。デルフト焼、ドールズハウスもまた充実している。
写真撮影は不可なのでここにあるものはイメージである。

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次に国立ゴッホ美術館へ。
ゴッホの重要な作品はもとよりゴーギャン等同時代の作家の作品も見れる。
また今回僕にとって大変興味深かったのは一般には知られてないがなんとここでニコラス・ウエルクマンの特別展が行われていたことだ。あの「ネクストコール」の。彼はナチスに抵抗して地下出版を行ったが1945年捕われて死亡している。しかもこの展覧会はアムステルダム市立美術館の館長をながく勤め、「ヌー」や「エクスペリメンタ・ティポグラフィ」の編集とデザインも行っていたサンドベルフの解説付きであった。
これはとんでもなく感動ものであった。(...この間の事情は「エル・リシツキー」に書かれているが、その事情を良く知る図書館の本庄さんには少なくとも理解してもらえると思います)
しかもここではそれで終わりではなく、なんとマレーヴィチの小規模ではあるがスペシャルな展覧を行っていたのだ。タブローは10点前後、しかし初期から後期まで重要な物がちゃんと並べられている。これは本当に凄いことである。かつて「白の中の白」をサンクトペテルブルグで見たが「マレーヴィチは単体でみるだけじゃだめで、この流れでちゃんと見なければいけませんよ」といった展示であった。
多くの人のマレーヴィチ観をひっくり返す程の展示だと思う。
ここも撮影禁止なので画像がないのは残念だけど。

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ウエルクマン

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ゴッホ美術館外観。設計はリートフェルト1973年

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ゴッホ美術館新館。設計は黒川紀章、現在は改装中のようであった。

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ものを見すぎて興奮しすぎたせいかどうか知らないがこの後、僕の(失明している)左目が痛くなりどうしようもなくなった。
これは3年程前から始まったものでいくつか病院には行ったが原因は不明である。
根本的な治療方法もない。
この長旅の間は、以前に比べて幾分よくなっているのだが、時々忘れた頃に痛みが突然やってくる。そうなってしまうと目を開けていられない。

一時のあいだ休息し次に美術館に行くのは止めて、妻と相談の上、レンブラントの家博物館に行く。(結局似たようなものだが)

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レンブラントの家美術館。レンブラントが33歳の絶頂期から53歳、破産して売り渡すまで20年住んでいた家。

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玄関脇の部屋。ニュルンベルクのデューラーハウスと同様、飾られた絵はクライアントへのプレゼンテーション用である。

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銅版画の製版作業場と刷り室。

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モチーフ室。興味深いが多分にオリジナルの配置ではなく、後の学芸員が置いたものであろう...。
何故ならレンブラントならばこんなださい置き方はしないように思う。僕の勝手な推測ですが。

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最上階、アトリエの片隅。

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絵の具制作台。

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レンブラントは巨匠と呼ばれるにふさわしい人ですね。何という線の柔らかさ、自在さであろう。

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今日で僕の長旅の半分が終わった。
長かったのか短かったのか、自分でもよくわからない。
今はインプットが多すぎてカオス状態である。

雨模様の中デン・ハーグからアムステルダムへ移動。
宿に荷物を置いてアムステルダム歴史博物館へ。
13世紀から今日までアムステルダムの歴史がしっかり「物」で展示されている。
オランダの歴史といってもよいと思う。同じヨーロッパでもドイツよりも先進国であったオランダ独特の展開がはっきりと見れる。海に開かれていた点が決定的に異なるのだろうと感じた。
建物は17世紀孤児院だったところでベギン会修道院(女子修道院)と繋がっている。

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アムステルダムの歴史の始まった所、ダム広場。王宮。

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以下歴史博物館

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レンブラントだけではなく当時大量の「解剖画」が描かれていたことを知る。

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ダムの精巧な模型。まるで彫刻作品の様である。

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20世紀ドイツの侵攻。

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ノイラートのアイソタイプ運動にウイーンで協力したペーター・アルマのタブロー発見。とても珍しい。

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屋根裏のレジスタンスの部屋も再現。

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雨の合間の光。雲の形がドラマティックに変化する。

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この日はマウリッツハウス美術館を見て(写真禁止なので画像はない)エッシャー美術館そしてそして市立美術館に行った。
連日こういう日が続くと本当に旅はつらい。
マウリッツではフェルメールの名作2点、「真珠の首飾りの少女」「デルフトの眺望」、レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」、ファン・アイク、ホルバインその他沢山。そしてエッシャー。市立美術館ではまとめてモンドリアンという有様である。
何が辛いかというとあまりにも見る対象が凄すぎてヘヴィーなのだ。旅の途中なのでゆっくり消化してなどと言っている暇はない。凄いものが次から次へ視覚に飛び込んで来るのだ。
簡単にいえば気が狂いそうになります。
精神状態はかなり苦しい。


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エッシャー美術館
写真はあまり撮らなかったが初期の作品も含めて素晴らしい。彼の作品はそもそもその内容に見るものを誘い、技術的なことは気にかからないのだが、今回見て木版、木版のエングレーヴィング、リトグラフ、銅版と全てにおいて超絶技巧と言っても良いくらい精度が高いことを実感した。特に若い頃、旅をした風景シリーズなどはあまり見る機会もない。ブレがなく一貫していてすばらしい。

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美術館照明器具

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エッシャーとマグリット。
今回の旅でこの二人の仕事には改めて深い感銘を覚える。
視覚の哲学の視覚による探求をやり方は異なるとはいえこの二人程徹底した作家はそうは見当たらない。
二人に共通するのは周りや時代の流行に惑わされることなく徹底して続けた(恐らくは)孤独な作業である。
画集からは伝わりにくいその息づかいが聞こえるようだ。

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エッシャー美術館の前。

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市立美術館にて。

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以下モンドリアン。これまた強烈でした。フェルメールと同じように光の探求から全てが始まっているのがよく分かる。

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とても良い会場です。雨のせいか人はほとんどいません。

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美術館内部。1935年の建築

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ゴッホ

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アルプ

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ファン・デル・レック

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美術館外観

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夕方美術館を閉め出されたのでトラムに乗って20分ほどで行けるデルフトへ。
妻と地図を見ながらあのフェルメールが描いたと思われる場所を自力で探すことに。

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多分このあたり。私たちが立っている場所の後ろにある建物の屋上あたりからこの画面の左方向にあたる。...と思われる。

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デルフト新教会。1331年建造。

ブリュッセルを朝早く出て、ロッテルダムへ向かう。
この旅の後半はスケジュールをちゃんとたててないのでここに至って
「あれロッテルダムには泊まらなかったんだっけ」ということになり、妻から私の計画性のなさを責められつつ旅は続く。
結局ロッテルダムはこの日のみなのでハードな一日となった(いつものことだが)。
夕方、デン・ハーグにたどりつく。

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ブリュッセルの宿の近く。フォロンの彫刻。

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ロッテルダム、カフェ・デ・ユニ。J.J.P.アウトの設計。デ・スティルを代表する建物。

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このサインを見て何事か!と思ったのですが単なる中古レコード屋でした。

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オランダ建築博物館(通称NAI)ノイラート展でお世話になったパスカルさんのいる所。
ふたつ展覧会をやっていた。オランダの環境と建築に関するもの。(渋すぎて写真はとらなかった)広場と人間に関する写真展であった。

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図書館見学。このNAIの建物は一見かっこ良くできているが、この図書館を見てこれはだめだと思った(建築家はヨー・クーネンという人らしい)。なぜならば図書館の一部がまるでサンデッキのようにさんさんと太陽が降り注ぐのだ。これじゃ本の墓場だ。実際書架の本の背は皆焼けていた。
ムサビの新しい図書館もこんなことにならなければ良いが...。

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ここも図書館の一部

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NAIは敷地の一部に近代デザインの建築を移築し保存修復している。そのうちの一棟は内部見学ができた。ブリングマンとヴァン・デル・ブリュートのゾーネンフェルド邸。

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これはまた別の移築物。まだ作業中らしく内部には入れなかった。

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近くのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館へ。
ヤン・ファン・アイク

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ブリューゲル

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ボッシュ
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ダリ

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マン・レイのタブローが2点もあった!

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イヴ・タンギー

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デルボー

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マグリット

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河原温もあり...

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現代美術も結構充実している

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草間弥生のかなり大規模な展覧会もやっていた。

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また工芸、デザインも相当に...。

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デザインの20世紀をたどる展示。

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ファン・デル・レック

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ツワルトのパッケージデザイン

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ブリジット・ライリー

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作者名失念。回転します。

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広い公園に面したカフェ

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ユニークかつ機能的なデザインのクローク

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図書館、資料室。貴重書のこの収納デザインは素晴らしい。
この美術館は展示物、展示形態、建築、視覚デザイン全ての面においてハイグレードであった。ただグラフィック・デザインの展示が少なかったのは何故だろう。少し気にかかった。

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レム・コールハースのクンスト・ハル

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エラスムス・ブリッジ ファン・ベルケル&ボス設計。向こうに見えるのがレンゾ・ピアノのKPNタワー

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レストラン・ボンピュ。メカノー設計。

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ブラーク/オールド・ハーバー開発計画。正六面体の集合住宅がどんなものか見たくてやって来た。

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設計はピエト・ブロム。
視覚的にはかなりいらいらさせられます。


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宿はブリュッセル北駅の近く。周りは官庁オフィス街でこんな感じ。

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トラムに乗ってマグリット美術館へ。看板も小さななんてことない住宅。探していたら近所のお兄さんが教えてくれた。「ルネはまだ眠っているかも」とジョークを言われた。
ここにマグリットは結婚後死ぬまで住んだ。シュルレアリズムの巨匠にしては驚く程質素である。絵画作品の展示はすくないものの、とても感銘深いものがあった。彼の絵に出て来る室内モチーフはすべてここに実在するものだ。

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あのマントルピースである。

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小さなアトリエ

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あの帽子

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絵が売れない時代マグリットはかなり長い間広告の仕事をしていた。(特に有名なのは鳩が空になっているサヴェナ航空の仕事)庭の奥にあるのが弟(音楽家)や仲間とやっていたデザインスタジオ。

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その後オルタ美術館周辺の建築めぐりへ。
ここは名前不明だがたまたま道を聞いた女性が僕の建築ガイドブックを見てこれが載ってないのはおかしいと言った建物。「労働者のパレス」と言ったような気がするが定かではない。場所はサン・ジル。
一応中にも入って写真をとった。

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道すがらのアール・ヌーボー(作者知らず)

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これも道すがら。名前はプリズン・サン・ジル。正真正銘の監獄である。だから中には入れない。

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アントワーヌ・ポンペ設計 ファン・ネック博士の診療所


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今はダンス、音楽スクール


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途中寄り道。

以前ここにも書いたが大学時代からの友人、菅谷君と奥さんのあやさん(ふたりともムサビの同期であやさんはグラフィック・デザイナー)が何かあった時のためにとブリュッセルの知人の連絡先を紹介してくれていた。

今回の荷物紛失事件で図らずもそのUさんと電話で話すことになった(電話が繋がった時には事件は解決していたのだが)。その折、カメラマンである旦那さんが今、展覧会をやっていると伺ったのでこれも何かの縁と思い尋ねることに。オルタ美術館の近くである。かなり大きなギャラリー。写真とハイヴジョン映像によるアフガンのドキュメンタリーで内容は大変ハード、質の高い作品群であった。


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ヴェルデ設計 オトレ邸


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ポール・アンカール設計 シャンベルラーニ邸


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アルベルト・ロー設計 メゾン・ペルソネル 


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オルタ設計 ホテル・タッセル


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道すがら。


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旧オルタ自邸 オルタ美術館


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外部に比べて内部は圧倒的な迫力がある。この時代にのみ奇跡的に実現したと思わせるような。

撮影は不可だったので以下はイメージである。


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ホテル・ソルベ


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その後、かなり離れているのでトラムに乗ってヨーゼフ・ホフマン設計 ストックレー邸へ。


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夕方、トラムで旧市街に戻る。証券取引所。


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アール・ヌーボーの意匠を残すカフェ・ファルスタッフで夕食


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最後にグラン・プラスへ。

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