2008年8月アーカイブ
http://www.otakio.net/neurath/
http://www.vcd.musabi.ac.jp/%7Ekurokawa/070910_neurath/neurath.html
確かに去年はこれで大変な一年だったよなあとか、まだ一年しか経ってないのかとか思いつつ、苦楽を共にした仲間からの要請なので、昼夜逆転して寝不足であったが東京と交信することになった。
こちらは昼の1時。向こうは夜の8時である。もう大分前からパーティーは始まっているらしく酒も入り盛り上がっている様子だ。しかし予期していなかったのはこちらの画像を向こうの教室の大スクリーンに写していたことであった。大田君はそのような段取りに関しては何の連絡もしてくれなかった。こちらには小さなパソコンの小さな画面しか写らない。当然向こうもそうだと思っていたのだ。メンバーたちは私の寝ぼけたでかい顔を見ただけで喜んでいた様子であるがこれはかなり不公平である。まるで地球と交信する宇宙飛行士の孤独というのでしょうか、そんな気分になりました。
しかも何か責任を感じてそこにいる全員と話さなきゃと思いましたが一対多数の会話というのはなかなか難しいものです。つい「○○さん、お元気ですか?会社の仕事慣れましたか?」といったばかな質問しか出てこない。
しかも向こうは酒が入っているのにこちらは素面だし、それがこちらの孤独感を増幅させます。大田君と黒ちゃんはこの企画の思いつき自体に満足したのか話そっちのけで何かもぐもぐ食っているし。
何故か「先生、お休みしないのですか?」と皆、似たような質問を繰り返す。
「いやだから、この旅自体が長いお休みをもらっているようなものだから、お休みのお休みはないのだよ」と答える僕。
「あ、そうなんだ...。」
要するにこのブログを読んで僕の体調のことを心配してくれているのですね。
交信中は恥ずかしくて言えませんでしたが、ありがとう。かなり元気になってきましたよ。後半もがんばっていきます。
皆も僕のでかい顔を画面で拝めたことだし、弱音をはかず社会人がんばりなさい。
話ながら時差というのは距離のことなのだと当たり前の事ながら思った。
時間は空間であるということがリアルである。
谷川俊太郎さんの詩に四千億光年の孤独というのがあるが、僕の場合この日は7時間分の孤独をちょっぴり感じました。
終日調べものなど。
マイーダさんに質問したユーゴスラビアのアヴァンギャルドの歴史について興味深い本を教えてもらった。その中のひとつ。Misko Suvakovicの"The Impossible Histories"(MITプレス)。これまでの私たちの視線の外側にあった東欧、中欧のアヴァンギャルドの今日までの展開。当然単純な「戦後共産主義下、社会主義リアリズム路線になってアヴァンギャルドはなくなりました」という話ではない。20世紀美術とデザインの見直しが本格的に始まったという印象を受ける。
近所を散歩していてやたらと目につくのが改装中というか増築中の家だ。我が家のバルコニーからも3件見える。おもしろいのはその行程でこの春以降ほとんど進捗していない家が何件もあるのだ。中には2〜3年放置しているようなものまで。手作りなのだろうか。日曜大工の感じだろうか。素人の僕が見てもなんか危なっかしい気もするが逆に単純でわかりやすい。コルビジェの近代建築5原則だかで有名な柱と床の構造体だけコンクリで作ってあとはレンガ。まるでレゴのようです。日本のように短期間に工務店が覆いをかけてさっさとやってしまうのとは大違いである。
この家は住みながら改築が進行している。春からの主な変化は冷房装置が取り付けられた点だ。
屋根にレンガが置いてある。これから二階を作るつもりらしい。でもそれじゃ構造的に無理がないかなあなどと他人事ながら心配している。僕がここにいる間には多分完成しないだろうけど。要チェック物件です。
全ての家に使われていると言っても良いレンガ。中は細かい空洞である。
これは歩いて10分くらいのところにあるリエカ美術大学の新築工事現場。かなり大々的な工事が行われている。大学の授業はどこでやっているのだろう。今は夏休みだが。ソボルさんからは大学の先生を紹介するよと言われているが今の所まだ「大学」に近寄る気がしないので訪問していない。「まあそのうちぼちぼちと」というニュアンスの英語がしゃべれる訳がないので多分伝わってないだろう。
そのうち授業風景などを見せてもらうことになるだろうと思う。
多分リエカ美術大学の正門。
昼間歩くと汗だくになるほど暑くても、夜が冷えるので何となく木々の色に秋の気配である。
妻は無事19日夜(日本時間)東京に到着した。
「日本は異常な蒸し暑さでリエカの夜の北風が夢のようです」というメールが届いた。
終日、自宅で過ごす。
大家のユリッチさん夫婦もいないので静かである。毎日の庭と菜園の水やりは僕がするしかない。これが結構時間がかかる。太陽の沈む直前7時半から8時半の間に行う。またここの飼い猫サンシンの餌をあげなくてはならない。この猫(雌)の名前はソボルさんが命名したらしいが仏教の言葉からとったらしい。三信?三新?散心?どれだかわからない。私はどうしても三振を思ってしまいます。(名前といえばワクリだよなあ。視デの卒制で言語哲学はハイブロウすぎたよなあなどと今更思ったりする。すいません。分かる人しか分からない内輪の話です)この猫はちょっと変わっていて人間から触られるのを極度にいやがる。飼い主のダリンカさんにもそうらしい。だから猫としてはちょっと可愛げがないが餌をもらう時だけ鳴きながら近寄って来る。ちなみにソボルさん家の飼い猫の名前はカミ。これは紙ではなく神。うーん、これも日本人ならば絶対つけない名前だよね。刑事コロンボの「うちのカミサンが」ならわかるけど。サンシンとそっくりだが血縁関係はないとのこと。
食事はしっかり自炊しています。今の所楽しんでいます。
サンシン
昼間は外に出れば30度を超えやっぱり暑いが家の中にいると終日ゆるやかな風が流れ最高に気持ちがよい。夕方からは写真のカーテンのように家の後の丘からの北風(海風?陸風?そういえば風の名前に関してはシバケンだったと去年の卒制を思い出したりする。あれは素晴らしい作品だった。これも内輪話です。)が吹きTシャツだけだと寒いくらいの温度になる。
朝5時半にバス停まで妻を見送りに行く。彼女は6時のバスでトリエステまで行き、そこから列車でミラノに行く予定であった。しかし6時に電話があり何とバスが満員で乗れないという。次のトリエステ行きのバスはなんと12時。これでは飛行機にまにあわないということであわてる。結局バスセンターで交渉の結果、7時発のスロヴェニアのコーペル乗り換えでトリエステに行けるバスルートがあることがわかり結局それには無事乗れた模様。前回乗った時はがらがらだったので安心しきっていたのだ。クロアチア語もよくわからないし、こういう冷や汗もののトラブルはここでは日常である。
昼間、近所に散歩を兼ねて買い物に行った以外は終日自宅で調べものなど。
本当にぼちぼちだが体調が回復してくると気持ちも前向きにというか元気になって来るものだ。当たり前といえば当たり前のことだろうけど。こういった事はこれまでの東京での生活でも言えたことだ。しかし東京での生活は事務所でのデザインワークや大学での仕事などあまりにも多忙だったので自分の体調と精神状態の関係など考えてる暇などなかったのだ。とにかく全ては「どさくさ」に進行していた。そこに自分の体調など考慮する余地はなかったのだ。ここに来るとこれまで経験した事のないシンプルな状況なのであたかも他人事のように自分の様子を観察することが可能だ。これもささやかだがこの旅の恩恵である。
そういえば昔、子育てをしていた時(こういう言い方は変かもしれないが)つまり長男が幼かったころぐずついたり、泣いたりした場合、最も良い解決方法はぐずる原因を探り解消してあげることだと気づいたことがあった。例えばおなかがすいているとか、睡眠不足とか暑いとか寒いとか。そうすると大抵の場合息子はご機嫌であったように思う。この法則を発見したとき少なからず感動した記憶がある。
結局子供が大きくなってもその「こつ」だけが子育てを通して僕が学んだことであった。
後どうするかは本人の問題なのだ。
それは子供時代だけじゃなく大人になった自分自身にもあてはまるということですね。
ついでに思い出したのは次男の場合は小学生の時、原因不明の病気で2~3年入退院を繰り返したこともあった。この時ばかりはただ神様にすがるしかなかったけれど。
ということで少しずつ旅の整理を初めているところ。
今までの旅の整理や調べものも手つかずだが、同時に次の予定もたてねばならない。
これまでの経験から交通、宿の手配は移動の1月前にはある程度決めてないと、大変な目に遭うことをこの僕でも少しは学習しているのだ。
何はともあれそれをやっとかなきゃと。
これが結構プレッシャーである。
また9月はイタリアとクロアチア周辺を動く予定であったが、月の前半に卒業生の展覧会がオーストリアのリンツで行われる。これに何とか行く為のルートをあれやこれや考えねばならない。
ネットによる鉄道、バス、飛行機のタイムスケジュールの見方、チケットの予約など少しずつは分かって来たがまだまだである。そのうちユーロ圏内でもっとすっきり分かりやすい交通情報網が構築されそうだが現時点ではまだまだです。
結構頭かかえているが何とかなるだろう。
テレビで北京オリンピックの開会式が3時(クロアチア時間)から始まるので見る。旅の途中さほど関心はなかったが、クロアチア語の興奮した中継を聞きながらオリンピックって世界中の人間が見てるのだなあと実感する。
オープニングは最近の荒唐無稽な中国スペクタル映画みたいだった。槍とかは降ってこなかったが。開会式は全体的に長過ぎてだれた。
オリンピックを見ながら思い出したのは以前ヨーロッパ旅行の最中に、ケルンのホテルでロス五輪を見た記憶があるので僕のその時の旅は正確には今から24年前だった。1984年の夏だ。
お昼に海でロビンソンクルーソーのような生活を終え、大家のダリンカさんユーリックさんが帰って来た。お土産は立派な魚である。
早速いただきました。
夕方から空がにわかにかき曇り大雨となった。
ついに昨晩今回の旅の最終地点、ミュンヘンに到着。この小旅行がスタートしてもう一ヶ月が過ぎるのだ。僕も同行している妻もかなり疲労していてボロボロである。無事にここまで来たので気が緩みそうになるがお互い励まし合いつつ旅を続けている。そういえばミュンヘンは暑い。
朝、街の中心部を通ってトラムでドイツ博物館へ。昨日に続きここも最高の博物館の一つだった。視デの学生達に見せてあげたいと思った。課外旅行で来れるとよいのだが。しかし中身について詳述しだすときりがないので省略します。ただ言える事はここは僕が知りたかった多くの事があったということだ。僕の大きな目的は大雑把に言って世界を人間はどのように記述(視覚化)してきたかということにつきる。もちろん美術、あるいは美意識も重要なファクターだがそれだけではあまりにも狭い。ひとつには記号論を軸とした視覚言語があるがそれはここでは置いておくとして、もう一つ、カオティックな世界を記述する為のテクノロジーと自然科学と視覚(変換)化の関係であった。この博物館にはそれらの歴史がほとんど現物と一緒に丁寧に展示されている。東京にこの博物館を持ってきたいくらいだ。
もうひとつの印象。この博物館全体がディドロとダランベールの百科全書をそのまま博物館化したような場所であった。
写真で何とか感じてもらえたらと思う。
本当はもう一つ別の美術館に行く予定だったがここ一つで一日を使い果たしてしまった。実際丁寧に見だせば一日どころか数日はかかる場所であった。
夜はかねてからの予定通り卒業生で僕と同じwriting space travelersであるゴンちゃん、フジナミさん、オカチンとミュンヘン駅前で待ち合わせし、ビアホールの本場でビールとソーセージの夜となった。
新市庁舎
ドイツ博物館正面
ドイツ博物館の庭にはこのようなアトラクションが。
屋上。プラネタリウム横。サンダイヤルの歴史が徹底的に見れる。
ここにも螺旋階段とプリズム装置。
ストーンヘンジの仕組み図解模型。向こうにあるのが太陽。
地図を作り出す道具について
計算をする道具について
ファクシミリの原型
テレコミュニケーション関係図。
博物館を出ると街はミュンヘン850といって何かのお祭りだったが突然の雨。
左はゴンちゃん(谷田幸さん)僕と同じ大学の短期海外研修で1ヶ月弱ドイツを旅することに。視覚伝達の助手である。昨日フジナミと一緒に飛行機で着いたばかり。明日はベルリンに移動しその後印刷三昧の旅をする予定。今日は僕らと遭遇できるぎりぎりのタイミングであった。右はおかちん(岡田憲明君)現在ニューヨーク大学の院生で夏休みのヨーロッパ旅行の最中である。彼はパリからここへやって来た。この後私のいるクロアチアに寄ってイタリアに渡る予定。
フジナミ(藤波洋子さん)現在某デザイナー事務所に勤務。ゴンちゃんと一緒にベルリンに向かう予定。さすがに社会人は厳しく仕事が待っているので一週間で東京に戻らねばならない。もったいないけどしょうがない。
3人とも同期で6年前の卒業生である。こうやって呑んでるとミュンヘンも東京も変わりませんなあ。皆それぞれの目的を持ったwriting space travelerのmeetingである。
この日は夕方ニュルベルクからミュンヘンに移動する予定である。
昼間は博物館(museum)三昧の一日となった。最初に訪れたのはDB博物館(ドイツ鉄道博物館)である。ここは偶然、宿泊した宿の隣にあった。初めての訪問である。子供が小さかった頃、とにかく鉄道や乗り物博物館と名前がつくものは日本では随分見たものだった。しかし僕はいわゆる鉄道ファンではないし、この博物館に関する予備知識も全くなく「まあ、時間があるから行ってみるか。近いし。」ぐらいの気持ちであった。しかし行ってみて実際驚かされるはめになった。まずその規模の大きさ、収集している物の多様さである。これまでにも何度か触れてきたが物の収集、整理、復元、模型に対するドイツ人の執念は生半可なものではないが、ここではそれが徹底的に実行されていて凄みがある。さらに私を驚かせたのはその展示デザインのレベルの高さであった。物そのものに加えて空間も照明もグラフィックも映像もインタラクションによるインストラクション(説明)も私がこれまでみてきたmuseumではベストであった。実際見ながら鳥肌がたった。こういう経験は僕の場合(こことは違った観点だが)パリの「自然史博物館」以外にはなかったことだ。(大英博物館もスペシャルな場所だが総合的な展示デザインという意味においてはそこまでいかない)そういえば旅行前に日本でも新しい鉄道博物館がオープンし人気だというニュースを聞いた事を思い出した。その関係者は恐らくここを視察したに違いないので今度帰国したら行って比べてみたいと思う。博物館にはその国の文化とデザインに対する見識のレベルがはっきり現れるので。
ここで感動したのはさらに二つある。博物館を作る上でのコンセプトについてなのだが、鉄道を社会の中のメディアだと位置づけ徹底している点にある。鉄道を紹介するためのその外部環境、例えば産業、通信、文化などの説明が鉄道と同等に徹底されている点である。つまりそのことによって単なる趣味の人やオタクのみが楽しめる場所を大きく超えているのだ。
さらにここを訪れる様々な年齢、子供はもちろんだがあらゆる関心層に対する目配りの繊細さである。
次に行ったのはゲルマン国立博物館である。ここは25年前に訪れその収集料の膨大さ分野の広さに驚いた所である。内容について書き出すときりがないので省略するがここも素晴らしい博物館であった。
後で辞書で調べるとここは大きくは「運輸博物館ニュルンベルク」でありその中に「ドイツ鉄道博物館」と「コミュニケーション博物館 電話と通信」があるのだった。通信系が充実している理由がこれでわかった。しかし来場者からみると全く一つの博物館に見える。
輪切りの車両。見学者は装置を触りながら蒸気機関の仕組みがわかるようになっている。
ワークショップスペース
ここから通信の展示。歴代の全ての電話のタイプをその仕組みとともに見る事ができる。
特別展は「エルビスインジャーマニー」唐突だが鉄道とからめた展示だった。
以下、ゲルマン国立博物館。あまりにも膨大かつ多岐にわたるので画像は適当にピックアップした。
ペグニッツ川
フラウエン教会
以下フェンボーハウス(市立博物館)。ここにはニュルンベルク市の歴史が展示されている。
1900年代の歴史も写真でたどる事ができる。
模型好きのドイツ人の例に漏れずここにも大量の復元模型があったが、これは戦後すぐの破壊された町の復元模型。
カイザーブルク(城)から見た街並
カイザーブルク(城)
城内の建物
デューラーハウスの前で
以下デューラーハウス(博物館)。
おそらく営業用に制作したステンドグラス。あの有名な自画像(ツェッペリンのジミーペイジ似の)も肖像画の営業のために制作したものらしい。
デューラーハウスの後、おもちゃ博物館を訪ねる。ここもかつて訪ねたところ。おもちゃ博物館といって馬鹿にできない。何でも徹底的に集め分類し見せる事の好きなドイツ人だから相当なレベルの展示である。写真不可なので館内のイメージはなくこれらは建物外の中庭。
おもちゃ博物館正面。
同中庭。
ブリューゲルの絵にある遊びの分析。
ペグニッツ川
デューラーの「黙示録」復刻版
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