2008年8月アーカイブ

荷造りと部屋の片付け、大掃除に追われる。

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リエカ残照。日本は大雨だと聞いた。
30日から次の移動が始まるのでその準備に追われる。
街のバスセンターでチケットを購入したり、ついでに食料品の買い出しなど。

気持ち的には夏はもう終わっているのだけれど、街に出るとまだまだ暑い。日本でもそうだがこの気持ちと現実のギャップというのは結構こたえるものだ。残暑お見舞いとは本当に良く言ったものだと思う。
まあ、しかしそのうちこの暑さが恋しくなったりするのかもしれないが...。

次の旅はミラノーヴェネツィアーリンツーウイーンーリエカーザグレブーリエカープリトヴェッツェースプリットーアンコーナーローマーベルギーーオランダーリエカというこれまでにない変則行程である。約1ヶ月。
そのうち3週間は夏休み中の息子(大学2年生)が合流する。
終日自宅で過ごす。たまっていたブログの更新など。
ここ2〜3日、睡眠不足である。3〜4時間寝ると目が覚める。自覚はないのだけど何か緊張しているのかもしれない。
8月はこちらに戻って来て以降充電期間にあてた。そろそろ後半の旅が始まる。
何となく無意識の中で緊張が高まっているのかもしれない。

サンシンはいつも人の顔を見たら食べ物を要求する。かなりの量のキャットフードをやっているのに、ちょっとおかしいと思い観察していると彼女の餌を近所の猫が横取りしているのが分かった。サンシンはマイーダさんによればかなりの年でそいつを排除できないでいるのだった。
彼女が食べ終わるまで横でガードする仕事が増えた。もう一心同体の関係である。
ダリンカさんは30日まで帰ってこないらしい。

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リエカ早朝。6時頃。
郵便局とバスセンターに用事があったので街に出る。
用事を済ませ、ついでに博物館(正式にはクロアチア沿岸の海洋歴史リエカ博物館)と市美術館へ。
前にも書いたが今まで四度ほど訪ねたにも拘らず全て何らかの理由で閉まっていたところ。博物館は特別展の準備中であったがとりあえず入れた。ここは建物はえらく立派であるが展示内容はお世辞にも良いとは言えない。多々問題あり。多分、人もいないしお金もないという理由だと思われる、
市美術館はクロアチアの約100年前という展覧会で写真で各都市のパノラマを展示していた。
また3階の特別展では第二次大戦末期から戦後にかけてのリエカの歴史を写真、模型、映像で展示していた。ここリエカは4月26日ダヌンツィオのところでも書いたが20世紀前半、列強の中で特異な歴史を経た場所なので興味深いものがあった。

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市美術館

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これは100年前のドブロブニク

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「戦災復元模型」ニュルンベルクの市博物館にもありました。
江戸東京博物館にはあったかなあ?
過去の記憶を世代に渡って繋いでいく事を考えさせられる。それはコミュニケーションデザインにとってとても大事な役割のひとつだと思う。

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今私が住んでいるトルサットです。

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終日自宅で過ごす。

調べものはやり出すときりがない。今回の場合それは大きく三つに分かれる。まずは自分がこれまで行って来た場所、見て来たものなどを対象にそれが何であったかを改めて検証したり確認したりする作業。これはそれこそ途方もない分量があってしかも「きり」というものがない。調べれば調べる程なんというか水が濁るようにさらにいろいろ分からない所も出て来るし。だから今はあまり執着しすぎるのも良くないかと思っている。

もうひとつはこれから訪ねる場所についてのあらかじめの情報集めである。
この二つのパターンしか最初は考えていなかったのだが三つ目が旅の途中から浮かび上がってきた。

それはここクロアチアおよびユーゴスラヴィアの近代デザインについてである。
これは当初ほとんど予期しなかったことだが、ザグレブで偶然「ツェニート」復刻に遭遇したり、ソボルさんマイーダさんがたまたまこちらの美術やデザイン関係者と親しいというのもあって、成り行き上始まったことである。しかしどうしても会話の壁があって興味はあるものの少し腰が引けていたのだ。そもそも日本語でさえ僕は知らない人といきなり話をするのがすこぶる苦手である。
しかしソボルさんやマイーダさんがそんなこと気にするなとしきりに言うので、重い腰がすこし持ち上がったところ。
どうなるか分からないが9月にはザグレブを再訪することにした。

ウォーミングアップを兼ねて久々の散歩に出る。
全く無目的で。丘を降りて海へ。 

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海岸ではまだまだ夏が頑張っています。

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ここで5月7日にこの奥にある廃墟にソボルさんに連れて行ってもらった時、電池切れで写真が撮れなかったことを思い出す。

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第二次大戦中、このコンクリートの中に兵士が入れられて鉄砲を撃っていたという。

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何日か前に東京の大田君からメールでノイラート展一周年記念パーティーをするので先生スカイプで交信して下さいという連絡があった。ノイラート展に関しては以下を参照して下さい。

http://www.otakio.net/neurath/

http://www.vcd.musabi.ac.jp/%7Ekurokawa/070910_neurath/neurath.html

確かに去年はこれで大変な一年だったよなあとか、まだ一年しか経ってないのかとか思いつつ、苦楽を共にした仲間からの要請なので、昼夜逆転して寝不足であったが東京と交信することになった。

こちらは昼の1時。向こうは夜の8時である。もう大分前からパーティーは始まっているらしく酒も入り盛り上がっている様子だ。しかし予期していなかったのはこちらの画像を向こうの教室の大スクリーンに写していたことであった。大田君はそのような段取りに関しては何の連絡もしてくれなかった。こちらには小さなパソコンの小さな画面しか写らない。当然向こうもそうだと思っていたのだ。メンバーたちは私の寝ぼけたでかい顔を見ただけで喜んでいた様子であるがこれはかなり不公平である。まるで地球と交信する宇宙飛行士の孤独というのでしょうか、そんな気分になりました。

しかも何か責任を感じてそこにいる全員と話さなきゃと思いましたが一対多数の会話というのはなかなか難しいものです。つい「○○さん、お元気ですか?会社の仕事慣れましたか?」といったばかな質問しか出てこない。

しかも向こうは酒が入っているのにこちらは素面だし、それがこちらの孤独感を増幅させます。大田君と黒ちゃんはこの企画の思いつき自体に満足したのか話そっちのけで何かもぐもぐ食っているし。

何故か「先生、お休みしないのですか?」と皆、似たような質問を繰り返す。

「いやだから、この旅自体が長いお休みをもらっているようなものだから、お休みのお休みはないのだよ」と答える僕。

「あ、そうなんだ...。」


要するにこのブログを読んで僕の体調のことを心配してくれているのですね。

交信中は恥ずかしくて言えませんでしたが、ありがとう。かなり元気になってきましたよ。後半もがんばっていきます。

皆も僕のでかい顔を画面で拝めたことだし、弱音をはかず社会人がんばりなさい。


話ながら時差というのは距離のことなのだと当たり前の事ながら思った。

時間は空間であるということがリアルである。

谷川俊太郎さんの詩に四千億光年の孤独というのがあるが、僕の場合この日は7時間分の孤独をちょっぴり感じました。

相変わらず家に籠り調べもの、時々ネットでオリンピックを覗く。

この旅以前はインターネットのニュースを読む事などほとんどなかったのだが、今回初めて真剣にネットでオリンピックのニュースをいろいろ読んだ。
が残念ながらどれも中途半端でつまらない。文章も杜撰である。ネット上のニュースのあり方というのはもっと改良されても良いような気がする。(これまた簡単ではなさそうだけど)特に大手新聞社のネットニュースには失望させられることが多かった。まあネットに力を入れすぎると新聞本体が売れなくなるからだろうか。
また、ニュースに対して個人が勝手に意見を書き込んでいるのを読んでいると今度はあまりにも下品すぎて気持ちが悪い。ここには自由を身勝手だと勘違いしている人だらけである。
そのうちスカイプのようにインターネットとテレビが接合すると変わって来るのかもしれない。多分次のオリンピックの頃か。

唯一、今の現状でネットらしくて面白いと感じたのは糸井さんが主催しているネット新聞くらいのものだった。ちょっと変化球かもしれないけれど。やっぱり書籍と同じで情報にはちゃんとした編集とディレクションがなければだめなんだなあと痛感する。(もちろん書籍と同じという意味ではなく、そのメディアならではの)

サンシンとだんだん仲良くなって来た。
彼女も僕が命綱だということが分かって来たらしい。

終日家に籠り、調べもの、データの整理、読書で過ぎていきます。

一昨日の日記で「自炊を楽しんでる」などと軽卒にも書いた罰が当たったかもう大変である。とにかく作るのはまあいいとして後片付けが...。要するに要領が悪いのだと思う。いちいち「さあ、つくるぞ」とか「さあ、かたづけなきゃ」とか意気込まなければ行動を起こせない質なのだ。(普段やってない証拠ですね)これに洗濯や水まきが加わるともう勉強の合間に家事をやってるのか、家事の合間に勉強やってるのか分からなくなって来る。どっちかというと後者。今までは家にいる時、勉強の息抜きに家事のお手伝いをさせてもらっていたということに気づかされる。
カミサンのありがたみを痛感しております。
また昼飯を作っていると(だいたいいつも3時くらいだが)ビールが無性に飲みたくなって来る。監視員がいないことを良い事に、ついつい誘惑に負けてしまう(こともある。)

まるでそれを見透かしたかのごとくえびりんから久しぶりに以下のメールが来た。
「自炊楽しみすぎて大きく育たないようお気を付け下さいませ」

全く女性の洞察力というのはおそろしい。

まあ、こういう日々が今年の僕の夏休みということで...。


終日調べものなど。

マイーダさんに質問したユーゴスラビアのアヴァンギャルドの歴史について興味深い本を教えてもらった。その中のひとつ。Misko Suvakovic"The Impossible Histories"(MITプレス。これまでの私たちの視線の外側にあった東欧、中欧のアヴァンギャルドの今日までの展開。当然単純な「戦後共産主義下、社会主義リアリズム路線になってアヴァンギャルドはなくなりました」という話ではない。20世紀美術とデザインの見直しが本格的に始まったという印象を受ける。


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近所を散歩していてやたらと目につくのが改装中というか増築中の家だ。我が家のバルコニーからも3件見える。おもしろいのはその行程でこの春以降ほとんど進捗していない家が何件もあるのだ。中には2〜3年放置しているようなものまで。手作りなのだろうか。日曜大工の感じだろうか。素人の僕が見てもなんか危なっかしい気もするが逆に単純でわかりやすい。コルビジェの近代建築5原則だかで有名な柱と床の構造体だけコンクリで作ってあとはレンガ。まるでレゴのようです。日本のように短期間に工務店が覆いをかけてさっさとやってしまうのとは大違いである。


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この家は住みながら改築が進行している。春からの主な変化は冷房装置が取り付けられた点だ。


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屋根にレンガが置いてある。これから二階を作るつもりらしい。でもそれじゃ構造的に無理がないかなあなどと他人事ながら心配している。僕がここにいる間には多分完成しないだろうけど。要チェック物件です。


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全ての家に使われていると言っても良いレンガ。中は細かい空洞である。


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これは歩いて10分くらいのところにあるリエカ美術大学の新築工事現場。かなり大々的な工事が行われている。大学の授業はどこでやっているのだろう。今は夏休みだが。ソボルさんからは大学の先生を紹介するよと言われているが今の所まだ「大学」に近寄る気がしないので訪問していない。「まあそのうちぼちぼちと」というニュアンスの英語がしゃべれる訳がないので多分伝わってないだろう。

そのうち授業風景などを見せてもらうことになるだろうと思う。


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多分リエカ美術大学の正門。


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昼間歩くと汗だくになるほど暑くても、夜が冷えるので何となく木々の色に秋の気配である。


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妻は無事19日夜(日本時間)東京に到着した。

「日本は異常な蒸し暑さでリエカの夜の北風が夢のようです」というメールが届いた。

終日、自宅で過ごす。

大家のユリッチさん夫婦もいないので静かである。毎日の庭と菜園の水やりは僕がするしかない。これが結構時間がかかる。太陽の沈む直前7時半から8時半の間に行う。またここの飼い猫サンシンの餌をあげなくてはならない。この猫(雌)の名前はソボルさんが命名したらしいが仏教の言葉からとったらしい。三信?三新?散心?どれだかわからない。私はどうしても三振を思ってしまいます。(名前といえばワクリだよなあ。視デの卒制で言語哲学はハイブロウすぎたよなあなどと今更思ったりする。すいません。分かる人しか分からない内輪の話です)この猫はちょっと変わっていて人間から触られるのを極度にいやがる。飼い主のダリンカさんにもそうらしい。だから猫としてはちょっと可愛げがないが餌をもらう時だけ鳴きながら近寄って来る。ちなみにソボルさん家の飼い猫の名前はカミ。これは紙ではなく神。うーん、これも日本人ならば絶対つけない名前だよね。刑事コロンボの「うちのカミサンが」ならわかるけど。サンシンとそっくりだが血縁関係はないとのこと。


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食事はしっかり自炊しています。今の所楽しんでいます。


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サンシン


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昼間は外に出れば30度を超えやっぱり暑いが家の中にいると終日ゆるやかな風が流れ最高に気持ちがよい。夕方からは写真のカーテンのように家の後の丘からの北風(海風?陸風?そういえば風の名前に関してはシバケンだったと去年の卒制を思い出したりする。あれは素晴らしい作品だった。これも内輪話です。)が吹きTシャツだけだと寒いくらいの温度になる。


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朝5時半にバス停まで妻を見送りに行く。彼女は6時のバスでトリエステまで行き、そこから列車でミラノに行く予定であった。しかし6時に電話があり何とバスが満員で乗れないという。次のトリエステ行きのバスはなんと12時。これでは飛行機にまにあわないということであわてる。結局バスセンターで交渉の結果、7時発のスロヴェニアのコーペル乗り換えでトリエステに行けるバスルートがあることがわかり結局それには無事乗れた模様。前回乗った時はがらがらだったので安心しきっていたのだ。クロアチア語もよくわからないし、こういう冷や汗もののトラブルはここでは日常である。


昼間、近所に散歩を兼ねて買い物に行った以外は終日自宅で調べものなど。


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明日、妻が一時帰国するので、そのための準備など。
1年間まるまる東京の家を空けるのは何かと不都合なこともあり、問題処理のため10日程の帰国予定である。東京ークロアチアは直行便がないため今回はミラノから成田に向かう。
8月末にミラノで落ち合う予定だが、その後あちこち移動するのでどうするか確認をしておかねばならない。
加えて日常生活がそもそも妻にかなり依存しているので洗濯機の使い方(クロアチアの洗濯機は操作が複雑なのだ)をメモしたり、牛乳はこれを買えと指示を受けたり。
慌ただしい中にも夕方、ソボルさんとマイーダさんが彼らの日本の知人(師匠)に智子から渡して欲しいという土産を持ってきたのでささやかな茶会となる。
マイーダさんはことのほか抹茶が気に入ったみたいである。
よかった。

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17日早朝

昼間は次の旅の準備、読書、時々オリンピック。
夕方、ソボルさんマイーダさん家のディナーに招待される。ソボルさん家に行くのは意外にも今回が初めてなのであった。街から7キロ離れた所にあり我が家よりも海沿い、アドリア海がすぐそばに見える。
細かく書き出すときりがないので省略するがとにかく私たちは縁あってこのクロアチアのリエカを拠点にすることになった。私の今回の旅の目的が地中海周辺だったので最初はイタリアを拠点にするつもりでいたのがひょんなことからリエカになったのだ。ここに来るまでクロアチアのことなど知らなかったし、ましてやこうやってお世話になっているソボルさんやマイーダさんがどんな人か全く分からずに来たのであった。我ながら無謀な展開である。このブログを最初から読んで頂いている方には理解していただけると思うが望外なことにというか幸運なことにこのソボルさん、マイーダさんに私たちは大変お世話になっているのだ。しかし私たちはトルコやギリシアなどこれまで小旅行を繰り返し、リエカ滞在が短くてゆっくりソボルさんの家を訪問する機会がこれまでなかったのだ。
ソボルさん、マイーダさんは前にも書いたと思うが真言密教の修業者でそれぞれ法海、慈海という名前を持つ立派な(仏教のことはよくわからないのですいません推測ですが)お坊さんでもあるのだが二人で出版社を営んでいる。今日は彼らの出版物を沢山見せてもらう事ができた。仏教書だけではなく僕も知っているケン・ウイルパーなどのトランスパーソナル心理学や文化人類学関係の翻訳書、変わった所ではリエカラジオ放送局50年史とかトルサット聖母教会の歴史とかも出版している。(ソボルさんは聖母教会の大僧正は友人なんだと言っていた)またリエカで最初のタウン情報誌(フリーペーパー)も彼らが始めたそうである。またマイーダさんは以前ここでも書いたマルコ・イリイチ展などリエカの近代美術館の仕事も多く、今回新たにクロアチア、旧ユーゴスラビアの近代デザイン、建築に関する興味深い話が沢山聞けた。また興味深い展覧会の立派な図録を見ていてそれらの出版が可能になったのは意外にもオランダ政府の援助からだという話、ヨーロッパでも特殊なオランダの文化政策の話等にもなった。ヨーロッパにおけるこのような文化的交流に関しては初めて聞く話でとても興味深いものがあった。
要するに彼らはここリエカとザグレブの文化的ネットワークの中にいるということがわかった。僕のほうも自分の関心や大学で行っている事等(つたない英語で)話したりもした。
その他諸々面白い話が沢山できて良かった。久々の「知的興奮」?で帰宅後なかなか寝つけなかった。家に帰っても英語で考えている自分がいて苦笑。こういう生活を毎日していればひょっとして英語がしゃべれるようになるのかもしれない。(勝手な願望?)

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ソボルさん家からアドリア海を見る。

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我が家の大家ダリンカさんユリッチさん夫婦(マイーダさんの両親)。約40年前。

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ソボルさん達の仕事場。

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最後に記念撮影ということになったのだがカメラの機能がよく分からず...。

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何度やってもうまくいかず...。

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あきれる三人。

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ソボルさんはこのトラブルの間にTシャツを着替えている。
最後やっとうまく収まる。

この日もクロアチアは祝日である。日本では終戦記念日、お盆である。この聖母被昇天祭はクロアチアだけではなくヨーロッパの他の国も祝日となっているところが多い。週末とあわせて日本のお盆と同様、帰省やこの夏最後のバカンスの人々か分からないが、テレビでも込み合う高速道路の様子を映していた。
聖母といえばクロアチアでは私たちの住むトルサットにある聖母教会が最も有名である。マイーダさんからまずいつもの「食料はちゃんとありますか?」の注意の後、この日はリエカ中の人がトルサットに押し寄せ、たくさんのバザールができ、大賑わいになると知らされた。大家のユリッチ(これまでユリックJuricさんと思っていたがよく聞くとユリッチなので以降改めます)さんはこの騒ぎが嫌いなので、もともと両親の実家で現在は別荘のように使っているダルマチア地方に行くと言って朝6時頃出発していた。
我々はここ数日家にこもっていたので久々の外出となった。(歩いて数分だけど)
ひとまずトルサット教会に行き周りの人と一緒に聖堂の内陣裏(いつもは入れない)でお参りしてきた。時刻は2時過ぎなので恐らくピークはかなり過ぎていたのだろうと思う。
でお祭りの方だがマイーダさんの話で私たち二人は勝手に日本のお祭りを想像し(小金井祭り)少しわくわくしながら行ったのであった。確かにいつものバス停前は歩行者天国になっておりたくさんのバザールもあったのだが...。
何と言うか日本のお祭りに比べて少々盛り上がりに欠けるのですね。勝手にたこやきとか焼き鳥とか焼きそば等(そんなのあるわけない)とビールを片手にとイメージしていた自分がアホなのだが。それに浴衣姿もないし提灯もないしお囃子などのBGMもない。なんか静かなただのバザールでした。
私が住んでいる近所の小金井公園ではしつこいくらい(梅、桜、夏、秋、お月見など)大小様々なお祭りがあり散歩がてら良く行っていた。昔の田舎の夏祭りに比べれば静かだし何て事ないと思っていたが、ちょっと考えが変わりました。日本のお祭りは重要無形文化財であると思う。クロアチアの人に日本のお祭りを見せてあげたいと思いました。(大きなお世話かもしれないが)でもこれは農耕民族のDNAがないと理解できないものかも知れない。


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終日、家で過ごす。
前にも書いたが8月になってやっと自由に自宅でインターネットにアクセスできるようになった。そのせいかどうか分からないがオリンピックの結果を知りたくて夫婦二人でインターネットにかじりつくことになった。
クロアチアのテレビは6つ放送していて、オリンピックを放送しているのはその中の1局のみである。それも当然ながらクロアチア中心なのでテレビで見れるのはバスケット、ハンドボール、水球などである。野球はもちろんのこと柔道もほとんど中継していない。日本勢の情報をクロアチアのテレビ局に求めるのがまちがっているのは承知の上だが、たまに水泳などで北島が映る時もある。
ネットが繋がっているとどうしても日本がどうなったのか知りたくなってくる。

テレビで見る限りバスケットやサッカーなどクロアチアはスポーツが盛んで結構強いのだがオリンピックのメダルでみると全く目立たない。それと比較すると日本はスポーツ大国なのだと思ったりもする。

夕刻、妻がマイーダさんの紹介で町の美容院にいった。

旅の次のスケジュールを考えながら過ごす。
その他読書。
主にギリシアについて。
終日家を出ず。

本当にぼちぼちだが体調が回復してくると気持ちも前向きにというか元気になって来るものだ。当たり前といえば当たり前のことだろうけど。こういった事はこれまでの東京での生活でも言えたことだ。しかし東京での生活は事務所でのデザインワークや大学での仕事などあまりにも多忙だったので自分の体調と精神状態の関係など考えてる暇などなかったのだ。とにかく全ては「どさくさ」に進行していた。そこに自分の体調など考慮する余地はなかったのだ。ここに来るとこれまで経験した事のないシンプルな状況なのであたかも他人事のように自分の様子を観察することが可能だ。これもささやかだがこの旅の恩恵である。

そういえば昔、子育てをしていた時(こういう言い方は変かもしれないが)つまり長男が幼かったころぐずついたり、泣いたりした場合、最も良い解決方法はぐずる原因を探り解消してあげることだと気づいたことがあった。例えばおなかがすいているとか、睡眠不足とか暑いとか寒いとか。そうすると大抵の場合息子はご機嫌であったように思う。この法則を発見したとき少なからず感動した記憶がある。

結局子供が大きくなってもその「こつ」だけが子育てを通して僕が学んだことであった。

後どうするかは本人の問題なのだ。

それは子供時代だけじゃなく大人になった自分自身にもあてはまるということですね。

ついでに思い出したのは次男の場合は小学生の時、原因不明の病気で2~3年入退院を繰り返したこともあった。この時ばかりはただ神様にすがるしかなかったけれど。

ということで少しずつ旅の整理を初めているところ。


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旅の最中に手にした資料や購入した本を読んでると実際は整理とは別の、カオス方向に思考は遊んでしまうのだけれども。

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今までの旅の整理や調べものも手つかずだが、同時に次の予定もたてねばならない。

これまでの経験から交通、宿の手配は移動の1月前にはある程度決めてないと、大変な目に遭うことをこの僕でも少しは学習しているのだ。

何はともあれそれをやっとかなきゃと。

これが結構プレッシャーである。


また9月はイタリアとクロアチア周辺を動く予定であったが、月の前半に卒業生の展覧会がオーストリアのリンツで行われる。これに何とか行く為のルートをあれやこれや考えねばならない。

ネットによる鉄道、バス、飛行機のタイムスケジュールの見方、チケットの予約など少しずつは分かって来たがまだまだである。そのうちユーロ圏内でもっとすっきり分かりやすい交通情報網が構築されそうだが現時点ではまだまだです。

結構頭かかえているが何とかなるだろう。

ギリシア、中欧の旅の疲れがどっと出てきたのだと思う。実は寝たり起きたり状況である。しなければならない旅資料の整理も遅々として進んでいない。ましてや調べ物や読書もできない。気持ちはあるのだけれど。
リエカに帰宅して以来おかちんがいた間はまだ少しは気が張っていたのだろうがここ2、3日は夫婦とも全然駄目である。夜寝ていると突然脚がつるし、朝起きてベッドから床に足をつけるとアキレス腱が痛む。グぅガっと言いながら立ち上がりよろよろ歩いてリビングまで行き、ソファに30分程横になった後じゃないと朝食のテーブルにつけない。

昨日はこんなことじゃかえって身体がなまると思い無理にミルコさんの展覧会に行ったわけだが、帰って来て寝込みました。
旅している最中は連日酷暑の中を歩き回って、われながらすごいなあと感心していたがやっぱり帳尻はどこかで合わせないといけないようだ。年相応に。
昨晩の嵐のような雨があけて今朝のリエカは空気が一変した(ような気がする)。視界がクリアになり秋の気配が何となく感じる。街に出るとあいかわらず暑かったけれども。今日はマイーダさんが紹介してくれたミルコ・イリイチの展覧会に行く。リエカの近代美術館で開催されている。マイーダさんは英語の翻訳などで関わっていたらしい。クロアチアで最も有名なグラフィックデザイナーとのことである。見た印象はグラフィックデザイナーというよりはイラストレーターであるが1956年生まれなので私より一才上である。若い頃はコミックも書いていたようだ。タッチは大友克洋風である。イタリアでの仕事を経て30代からニューヨークでタイムズとかニューズウイークのアートディレクションをしている人だ。

その後リエカの町を散策。重いスイカを買って帰る。

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美術館の階段、掛かっているのはミルコのポスター。

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奇妙な行き止まりの階段。映画「薔薇の名前」のセットのようだ。

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閉館してしまった映画館1

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閉館してしまった映画館2

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今日も旅の記録などの作業の予定。

テレビで北京オリンピックの開会式が3時(クロアチア時間)から始まるので見る。旅の途中さほど関心はなかったが、クロアチア語の興奮した中継を聞きながらオリンピックって世界中の人間が見てるのだなあと実感する。

オープニングは最近の荒唐無稽な中国スペクタル映画みたいだった。槍とかは降ってこなかったが。開会式は全体的に長過ぎてだれた。

オリンピックを見ながら思い出したのは以前ヨーロッパ旅行の最中に、ケルンのホテルでロス五輪を見た記憶があるので僕のその時の旅は正確には今から24年前だった。1984年の夏だ。

お昼に海でロビンソンクルーソーのような生活を終え、大家のダリンカさんユーリックさんが帰って来た。お土産は立派な魚である。

早速いただきました。

夕方から空がにわかにかき曇り大雨となった。


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終日外に出ず、家でデータの整理などの作業のつもり。
久しぶりにのんびり過ごす。街に出なければ終日風通しが良いこの家はとても気持ちが良い。
やらねばならない仕事、旅の記録や整理、手紙を書く事、あちこちへメールの返信などたくさんある。
しかしやらねばと思いながら何もしていない一日。
一日があっというまに過ぎて行く。
3日、おかちんとクロアチアに戻る列車で偶然私たちのいるコンパートメントに「ここ空いてますか?」と入って来た人がいた。アジア人の若者で聞くと台湾の美術大学のファインアートを学ぶ学生であった。少しの時間だが話をした。彼がドイツを旅している理由は自国の歴史に対する向き合い方を学びたいという理由であった。
「台湾では過去に対してちゃんと向き合っていないと思うのです」と。彼はこの後台湾で兵役を終えた後ドイツに留学したいと語っていた。
彼の話を聞きながらちょうどおかちんと同期でその後視デの大学院に進学した荘(ツァン)君のことを思い出した。僕が修了論文の指導担当だった。彼のテーマは台湾のグラフィックデザイン史1895年〜1995年であった。台湾にはこれまでそのようなテーマの本格的な研究がなく、私自身も疎かったがとにかく資料を集めようということになって、荘君は何度も台湾と日本を行き来したものだった。実際特に戦前の資料を集めるのは難しく、また戦前を知る人へのインタビューも困難を極めた。台湾はスペイン、中国、日本と植民地化された歴史があり、その歴史に対する認識は大変複雑である。例えば台湾にも1930年代にモダニズムの運動はあったがそれはヨーロッパからの影響ではなく日本を経由したものだった。そういった明らかな事実関係をちゃんと記述するだけでも充分意味のあることなのだと彼をはげましながら、僕自身も教えられる事、考えさせられる事が多々あった。何度も挫折しそうになったが何とか荘君は論文を書き上げ卒業し今は台湾のニューウエーブデザイナーとして活躍している。(2年程前に原宿のスパイラルで作品が展示されていた)彼の論文はこれまで誰も書く事のなかった台湾のグラフィックデザイン史となった。何故か視デの他の先生方はあまり興味を示さなかったが私の中では個人的に「優秀賞」ものの力作であった。今でもそう思う。
そんなことを思い出した。
歴史に自虐的でも放漫でもなく向き合う事は確かに難しい。それがギリシアやトルコで見たもののように6000年とか3000年前のものならばそうでもないが、100年、200年というスパンでは急に難しくなる。今回ドイツを旅していてそれを強く感じた。確かに台湾の若者が語ったようにドイツ人の歴史に対する態度は徹底している。それが博物館や美術館のディレクションに明確に現れていることは確かだ。
ドイツに限らないと思うが20世紀の前半、ノイラートたちが夢想した博物館のあり方とそのこと(現在の状況)は無関係であるはずがないのだ。彼らの掲げた夢想というか理想は第二次大戦という悲惨な状況を乗り越えて今に生き続けているのではないか。
ノイラートは「言葉は世界を分ち、絵は世界を繋ぐ」と語っている。

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おかちん。ヴェネツィアに向かう前の別れの朝。彼とは久しぶりに沢山話せました。とても立派に成長していて驚きました(見た感じは変わりませんが)。ニューヨークという街で様々な国の人々と切磋琢磨しているからこそなのだと実感できました。
「学生時代に求めていたもの、デザインのスキル、プログラムのスキルそしてコミュンケーションに対するアイデア、それらが最近やっと手に入ったような気がします」という言葉に感慨深いものがあったよ。この旅の後いよいよ修了制作の1年が始まるがその成果が楽しみです。
このブログを見て彼に興味のある人は以下を参照して下さい。
http://okada.imrf.or.jp/

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おかちんをバスセンターまで送った後、ソボルさんとマイーダさんが滞在許可証の申請のため一緒に警察まで行ってくれた。

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朝食後おかちんは家を出てポレチュへ(http://www.esporre.net/terayama/2008/05/5052.php)。
終日旅の整理、後半たまっていたブログの更新など。
今日はクロアチアの祝日らしく小さなマーケットも含めて全てのお店は休みだという。以前祝日だと知らず買い物に行って困ったことがあったので昨日もマイーダさんが「明日は祝日です。食料はちゃんとありますか?」と心配してくれていた。クロアチアはしょっちゅう祝日があるような気がする。
旅の疲れとれず、終日家で過ごす。
夕方おかちん無事に帰宅。今日も暑かったそうだ。夕食をとりながら夜遅くまでいろいろ話す。明日彼はここを発ちイタリアのヴェネツィアに向かう。

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今回の旅の前に私たちの為にとダリンカさんが菜園で育ててくれていたトマトがしっかりできていた。この他那須やバジルなど。とてもありがたい。ちなみにダリンカさんとユーリックさん夫婦は例の船でアドリア海クルージングの旅に出ていて不在である。
娘のマイーダさんの説明によって船は10年以上かけてこつこつと作ったユリックさんのハンドメイドであることが分かった。ユリックさんは若い時工科系の学校と造船関係の学校を卒業しているのでその技術があるらしい。10メーター弱の小型船らしいが寝泊まりができ、夫婦で魚を釣りながらマイーダさんにいわせれば「ロビンソン・クルーソーのような生活」をしているらしい。マイーダさんもしきりに誘われているらしいが彼女は船酔いが嫌いなので行きたくないらしい。僕はちょっとうらやましいと思いました。ドリームスカムズトゥルーですね。

朝ゆっくり起きて朝食をとり(おかちんも長旅でそろそろ疲れているのでゆっくりしようということになったのだ)簡単にリエカの町を地図で説明したあと一緒に家を出る。近くの教会や城、バス停の位置を確認しつつ、ペタルクジッチの階段(http://www.esporre.net/terayama/2008/04/422.php)を降りて町の中心へ。両替やバスの乗り方などを説明したあと、おかちんは一人で散策に出る。今日は近くのオパティア(http://www.esporre.net/terayama/2008/04/426.php)に行った後リエカを探索して帰宅する予定だ。僕はその後一人でデパートと市場で買い物をして帰宅する。今日のリエカは強烈な暑さでめまいがする程であった。海の近くのオパティアはさぞ暑い事と思う。
我が家は前にも書いたが丘の上にあり風が通るので帰ってくれば気持ちいいのだが。
自宅では妻が大量の洗濯や荷物の片付けなどを行っていた。荷物の整理をしなければと思うがなかなか気力がわかず、ただバッグからものを引っ張りだすのみ。
そういえば特筆すべきことはこの旅のあいだにダリンカさんが自宅でワイヤレスでインターネットにアクセスできるようにしてくれていた。これでブログの更新の為に階段をおりてコンチネンタルホテルのカフェに行く必要もなくなった。
夕刻おかちん無事に帰宅。ソボルさん夫妻が偶然訪ねてきてくれたので、おかちんの明日の行動についてアドバイスを受ける。

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最初はソボルさんお勧めの世界遺産にもなっているプリトヴィッツェ国立公園(私たちもまだ行っていない)に行くルートを探したのだが結局交通が不便で日帰りは無理ということになり、最終的にはポレチュに行く事に。

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おかちんのニューヨークでの生活や研究の状況を聞きながら。

朝7時にミュンヘン中央駅でおかちんと待ち合わせ、7時26分発のベオグラード行きの列車に乗る。オーストリアの山岳地帯を縦断し13時半ころスロベニアの首都リュブリャナに到着。ここでリエカ行きに乗り換える。乗り換え時間が1時間弱あったのでおかちんは駅から少し離れている町の中心部を見学に行く。首都とはいえあまりの小ささに驚いていた。その後2時間半でやっとリエカに到着。駅の近くのスーパーでとりあえずの食料などを購入しタクシーで我が家へ。夕刻無事到着。
私たちのギリシア、ウイーン、プラハ、ドイツ東部を巡る34日間のハードな旅が一応終わる。
いや後半は本当に疲れました。


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ミュンヘンも暑かったがこの日も相当暑い一日であった。一応急行電車のはずだが冷房はなく、西日にうだるおかちん。

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アルテ・ピナコテーク、モダン・ピナコテークは同じ場所にある美術館である。
アルテでは18世紀までのヨーロッパ絵画が展示されている。デューラー、レオナルド、ボッティッチェルリ、ブリューゲル等など。ここは名作揃いである。しかし閉じられていた部屋が何室かあり、クラーナハ、ホルバイン、グリューネバルトはどうもそちらの部屋にあるらしく見れなかった。グリューネバルトを見損なったのは残念である。
モダン・ピナコテークで特筆すべきは一つのミュージアムの中に現代美術、建築、デザイン、写真、映像を統合的に展示していることだろう。日本にそのような美術館があるだろうか?
今回は建築はアアルトの展示をやっていたがそれはイマイチだった。

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以下アルテ・ピナコテーク

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以下モダン・ピナコテーク

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かなり究極的な透明のエレベーター

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もし、世界で最も好きなテーブルはどれか?と問われれば(そんなこと聞く人はいないかもしれないが)迷う事なく僕はこれです。リートフェルト。使いにくそうだがそんなことは関係ないのだ。

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イサム・ノグチの椅子。

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アアルト展。

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さすがメルツェデスの国だけに...。

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かつてこの人がムサビに講義で来る、来ないで大騒ぎになったものだ。約20年程前か。

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アルンツの友人、ヤンケル・アードラーのタブローが展示されていた。

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ジョージ・グロッスのこのような絵もめずらしい。

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同じくアルンツと関係のあったノイエザッハリカイトの中心人物、オットー・ディックス

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ドナルド・ジャドの部屋

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ウオーホルのレーニン

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レジエ

ついに昨晩今回の旅の最終地点、ミュンヘンに到着。この小旅行がスタートしてもう一ヶ月が過ぎるのだ。僕も同行している妻もかなり疲労していてボロボロである。無事にここまで来たので気が緩みそうになるがお互い励まし合いつつ旅を続けている。そういえばミュンヘンは暑い。

朝、街の中心部を通ってトラムでドイツ博物館へ。昨日に続きここも最高の博物館の一つだった。視デの学生達に見せてあげたいと思った。課外旅行で来れるとよいのだが。しかし中身について詳述しだすときりがないので省略します。ただ言える事はここは僕が知りたかった多くの事があったということだ。僕の大きな目的は大雑把に言って世界を人間はどのように記述(視覚化)してきたかということにつきる。もちろん美術、あるいは美意識も重要なファクターだがそれだけではあまりにも狭い。ひとつには記号論を軸とした視覚言語があるがそれはここでは置いておくとして、もう一つ、カオティックな世界を記述する為のテクノロジーと自然科学と視覚(変換)化の関係であった。この博物館にはそれらの歴史がほとんど現物と一緒に丁寧に展示されている。東京にこの博物館を持ってきたいくらいだ。

もうひとつの印象。この博物館全体がディドロとダランベールの百科全書をそのまま博物館化したような場所であった。

写真で何とか感じてもらえたらと思う。

本当はもう一つ別の美術館に行く予定だったがここ一つで一日を使い果たしてしまった。実際丁寧に見だせば一日どころか数日はかかる場所であった。

夜はかねてからの予定通り卒業生で僕と同じwriting space travelersであるゴンちゃん、フジナミさん、オカチンとミュンヘン駅前で待ち合わせし、ビアホールの本場でビールとソーセージの夜となった。


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新市庁舎


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ドイツ博物館正面


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ドイツ博物館の庭にはこのようなアトラクションが。


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屋上。プラネタリウム横。サンダイヤルの歴史が徹底的に見れる。


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ここにも螺旋階段とプリズム装置。


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ストーンヘンジの仕組み図解模型。向こうにあるのが太陽。


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地図を作り出す道具について


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計算をする道具について


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ファクシミリの原型


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テレコミュニケーション関係図。


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博物館を出ると街はミュンヘン850といって何かのお祭りだったが突然の雨。


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左はゴンちゃん(谷田幸さん)僕と同じ大学の短期海外研修で1ヶ月弱ドイツを旅することに。視覚伝達の助手である。昨日フジナミと一緒に飛行機で着いたばかり。明日はベルリンに移動しその後印刷三昧の旅をする予定。今日は僕らと遭遇できるぎりぎりのタイミングであった。右はおかちん(岡田憲明君)現在ニューヨーク大学の院生で夏休みのヨーロッパ旅行の最中である。彼はパリからここへやって来た。この後私のいるクロアチアに寄ってイタリアに渡る予定。



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フジナミ(藤波洋子さん)現在某デザイナー事務所に勤務。ゴンちゃんと一緒にベルリンに向かう予定。さすがに社会人は厳しく仕事が待っているので一週間で東京に戻らねばならない。もったいないけどしょうがない。


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3人とも同期で6年前の卒業生である。こうやって呑んでるとミュンヘンも東京も変わりませんなあ。皆それぞれの目的を持ったwriting space travelerのmeetingである。



この日は夕方ニュルベルクからミュンヘンに移動する予定である。

昼間は博物館(museum)三昧の一日となった。最初に訪れたのはDB博物館(ドイツ鉄道博物館)である。ここは偶然、宿泊した宿の隣にあった。初めての訪問である。子供が小さかった頃、とにかく鉄道や乗り物博物館と名前がつくものは日本では随分見たものだった。しかし僕はいわゆる鉄道ファンではないし、この博物館に関する予備知識も全くなく「まあ、時間があるから行ってみるか。近いし。」ぐらいの気持ちであった。しかし行ってみて実際驚かされるはめになった。まずその規模の大きさ、収集している物の多様さである。これまでにも何度か触れてきたが物の収集、整理、復元、模型に対するドイツ人の執念は生半可なものではないが、ここではそれが徹底的に実行されていて凄みがある。さらに私を驚かせたのはその展示デザインのレベルの高さであった。物そのものに加えて空間も照明もグラフィックも映像もインタラクションによるインストラクション(説明)も私がこれまでみてきたmuseumではベストであった。実際見ながら鳥肌がたった。こういう経験は僕の場合(こことは違った観点だが)パリの「自然史博物館」以外にはなかったことだ。(大英博物館もスペシャルな場所だが総合的な展示デザインという意味においてはそこまでいかない)そういえば旅行前に日本でも新しい鉄道博物館がオープンし人気だというニュースを聞いた事を思い出した。その関係者は恐らくここを視察したに違いないので今度帰国したら行って比べてみたいと思う。博物館にはその国の文化とデザインに対する見識のレベルがはっきり現れるので。

ここで感動したのはさらに二つある。博物館を作る上でのコンセプトについてなのだが、鉄道を社会の中のメディアだと位置づけ徹底している点にある。鉄道を紹介するためのその外部環境、例えば産業、通信、文化などの説明が鉄道と同等に徹底されている点である。つまりそのことによって単なる趣味の人やオタクのみが楽しめる場所を大きく超えているのだ。

さらにここを訪れる様々な年齢、子供はもちろんだがあらゆる関心層に対する目配りの繊細さである。

次に行ったのはゲルマン国立博物館である。ここは25年前に訪れその収集料の膨大さ分野の広さに驚いた所である。内容について書き出すときりがないので省略するがここも素晴らしい博物館であった。


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後で辞書で調べるとここは大きくは「運輸博物館ニュルンベルク」でありその中に「ドイツ鉄道博物館」と「コミュニケーション博物館 電話と通信」があるのだった。通信系が充実している理由がこれでわかった。しかし来場者からみると全く一つの博物館に見える。


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ドイツ最初期のタイムテーブル。


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輪切りの車両。見学者は装置を触りながら蒸気機関の仕組みがわかるようになっている。


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訪れた子供の為の遊具施設も0歳から小学生までかなり細かく分けられ十分なスペースが与えられていた。


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ワークショップスペース


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ここから通信の展示。歴代の全ての電話のタイプをその仕組みとともに見る事ができる。


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特別展は「エルビスインジャーマニー」唐突だが鉄道とからめた展示だった。


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以下、ゲルマン国立博物館。あまりにも膨大かつ多岐にわたるので画像は適当にピックアップした。


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この街は25年ぶりの再訪となる。大学院生の時、当時版画研究室の助手をされていた小沼さんにデューラーの「メランコリア」の銅版復刻を見せられて「これはニュルンベルクのデューラーハウスに行けば買う事ができるよ」と聞いたのがきっかけだった。それは精密で完璧な復刻だったので絶対欲しいと思いそれだけの為にニュルンベルクに来たものだった。
その時はただその絵に魅せられただけでデューラーがどのような人なのかもよくわからなかった。しかしその後視覚芸術を考える上でデューラーは僕にとって最も重要な人物の一人となったのだ。(「ネーデルランド旅日記」が翻訳されている)そのような意味で若い時の訳も分からず直感的にシビレル感覚というのは貴重だと思う。
またその時訪れたニュルンベルクの街もとても興味深いものであった。ここはナチスの党大会があったり、戦争中はドレスデンと同様にかなり徹底的に破壊された所で戦後はニュルンベルク裁判が行われた所である。東側に属したドレスデンと異なりこの街は戦後いち早く復興し以前の街並を取り戻したところだ。当時はそのことに感心しつつもかなり違和感を持った記憶がある。当時僕が坂口安吾の「日本文化私観」に強い影響を受けていた所為だと思うが何の迷いもなく過去を徹底的に取り戻そうとするドイツ人の気持ちがよく理解できなかったのだった。
その事に関してまた考えた事もあるが長くなるので省略。
ともあれニュルンベルクの街は地下街が出来ていたり、ショッピングセンターがあったりとかつてとはやはり変わってはいるが古い街並はそのままだった。ほとんど忘れていた記憶が歩きながら蘇ってくるのは面白い経験だった。

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ペグニッツ川


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フラウエン教会


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以下フェンボーハウス(市立博物館)。ここにはニュルンベルク市の歴史が展示されている。


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1900年代の歴史も写真でたどる事ができる。


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模型好きのドイツ人の例に漏れずここにも大量の復元模型があったが、これは戦後すぐの破壊された町の復元模型。


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カイザーブルク(城)から見た街並


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カイザーブルク(城)


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城内の建物


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デューラーハウスの前で


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以下デューラーハウス(博物館)。


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おそらく営業用に制作したステンドグラス。あの有名な自画像(ツェッペリンのジミーペイジ似の)も肖像画の営業のために制作したものらしい。


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デューラーハウスの後、おもちゃ博物館を訪ねる。ここもかつて訪ねたところ。おもちゃ博物館といって馬鹿にできない。何でも徹底的に集め分類し見せる事の好きなドイツ人だから相当なレベルの展示である。写真不可なので館内のイメージはなくこれらは建物外の中庭。


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おもちゃ博物館正面。


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同中庭。


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ブリューゲルの絵にある遊びの分析。


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ペグニッツ川


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デューラーの「黙示録」復刻版


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この日は午後遅くワイマールからニュールンベルクに移動する日である。
まず「城」という名の美術館に行く。ここはワイマール公の城でゲーテはここで働いていたのだ。城というにはそぐわない建築物の印象である。ここにはご当地のクラナッハが沢山あったが撮影不可なのでイメージはない。
次も撮影不可であるがゲーテ国立博物館に行った。横がゲーテの家である。ゲーテに関する資料がかなりあるので研究者や好きな人にはたまらないところだろう。しかし私はドイツ語が全くわからないので猫に小判のような感じであった。また期待していた色彩論がらみの資料は思ったよりも少なくちょっとがっかりした。ただ写真のように建物の螺旋階段上の天窓の光を一階のレンズで受けてプリズムに反射させている仕掛けがゲーテの色彩論をしのばせる。まあこれはニュートンの有名な実験でゲーテはニュートンの色彩論に激しく対立したので何故あえてここでこの装置を設置したかは不明であるが。
その後バウハウス大学のライブラリーがあったので少しのぞかせてもらった。この大学は町中に他にも何カ所かライブラリーを持っているようだ。

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城美術館

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中庭

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ここからゲーテ国立博物館。

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またもや螺旋階段に遭遇。今回はギリシアでの遺跡も含めてやたらと階段に縁があるような気がする。私は階段がなぜか好きなので(上り下りじゃなくて視覚的に。階段フェチ?)うれしいが。

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バウハウス大学ライブラリー

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