1006 不安定平衡状態について

ぼちぼちとたまっていた今回の旅、後半部分のブログの更新を行う。
余裕があると、あれやこれや考えてしまうので、一日分の更新に随分時間がかかってしまう。
自分が見たものを単純に見たということが簡単ではなくなってきた。

今回の旅の途中、たまたま別件についてであったが、尊敬するアーティストでもある友人の木本さんとメールのやりとりがあった。
いろいろ凄いものを見たりすることが単なる快楽では止まらずもはや、苦しみを伴う苦行でもあり、自分がどう受け止めれば良いか分からないカオス状態でもあることを正直に彼女に伝えたのだった。
その返信が
「寺山君、あなたの状態は不安定平衡といって、とっても素晴らしい状況なんだよ」であった。
さらに「腰が抜けるまでそれを徹底しなさい」でもあった。(実はもう腰は抜けかかっているのですが)

ともあれ「不安定平衡」とはとても難しい言葉である。
数学に対してまともに取り組んでいる数少ない芸術家である木本さんならばともかく
素人の僕がどうのこうのいう資格はないのだが、彼女の言わんとする事は何となく分かるような気もする。
普段、教師として学生を見ている時、ものを作ることにおいて学生がそのような状態に一度は突入しない限り本人における本質的な変容は現れないということは経験的に知っているし、それはいうまでもなく自分自身の経験でも知っている事だ。

旅を初めて6ヶ月。もう半分が過ぎてしまったという思いと、まだ半分かという思いが交錯する。
妻に正直
「他所様からは単なる贅沢に聞こえるかもしれないが...見続ける事はある意味本当に辛い事でもあるなあ」と弱音をはくと
「でもそれをあなたは望んだんでしょ」と答えられた。

そうだ、僕は無意識的かもしれないけど望んだのだ。
おそらくこの不安定平衡を。


ご存じない方のために木本さんのホームページは以下です
http://www.kimoto-k.com/index.html



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コメント(5)

うそおぉ!ワタシはそんなえらっそなこと言ってませんしぃ〜。
プラド(美術館)の地獄の体験は人から聞いているけど、はるかに凌駕する質と量と場所で飽和満腹下痢状態で尾根を這う「ぐっ..、げほっ、ぐげほっ...」という声がするすごいブログになってきてるので、ワタシはささやかに旗を降ってみただけ、ですけど。尾根の突端で下痢して寝込んで眺める景色もその内に書いてね。くそお、やっぱしウラヤマしいぞー!


木本様。
メールを勝手に脚色した部分があったかもしれませんがすいませんお許し下さい。
何しろ藁をもつかむというか、本当に弱っている状態なもので。
しかも木本さんの言葉は僕にはヴィジュアルイメージ付きなんです。あの作品群の様に突然静止してたものが「ぐわーっ」と動く。
不安定平衡もそんなイメージ。
だからありがたくて思わず念仏の様に唱えてしまうのかもしれません。

ともかく、何故だか自分の生まれ月である9月はいつも調子悪いのです。
しかし10月に入りぼちぼちバイオリズムが代わりそうな気がしております。


作家のスタンダールがフィレンツェに旅行したとき、街中至る所の凄い芸術作品に囲まれ頭が混乱しついに寺院の前で絶叫して失神し、それ以後そのような状態に陥ることを「スタンダール•シンドローム」というそうです。膨大な量、過剰な質を浴びてそうならない方がオカシイので、すばらしい体験をされてるんだろうなあと思います。ブログにときどき奥様の採られた写真が挿入されているのがいいですねー。

なるほど。スタンダール・シンドロームですか。初めて知りました。ちゃんと病名?があるんですね。
強烈な視覚記号はただ単にそこに存在するだけではなくて、見る者を媒介にしてそこに不在のものを引き寄せるように思います。
「ここ」を見ている事は単に「ここ」をみていることではない。カメレオンのように自分が「ここ」と化すか「ここ」を見ている事を可能にした自分を見ているというか。
…じぇんじぇんうまく言えませんが。

話はかなり変わってしまうかもしれませんが、
実はフェルメールやモンドリアンを見ながら以前木本さんが言っていた長谷川等伯の話を何故か思い出したんですよ。
彼らと長谷川等伯が関係するということでは全くなくて、前その凄さを木本さんから聞いてた時「ああ俺はそのあたりをよく見てないなあ」と思ったことを思い出し、日本に帰ったらもっとちゃんと日本の画家の作品を見なければならないと激しく思ったんです。そうしないことには精神バランスがとれないとでも感じたのでしょうか。自分でもよくわかりません。水墨画の空間をちゃんと見なければと。
日本の場合は京都の寺などが季節とか時間限定で見せるのが行くのが面倒くさいとか、展覧会をたまにやると異常な人手でそれがいやだとか、本当不真面目だったなあと思うんです。

妻の写真機がここ一ヶ月故障していて、これからは彼女にたまに撮ってもらおうと考えております。

病気になったのでは一件落着になってしまいますが、その手前の寸止めでぐわっと揺れている状態をキープできているテラヤマの状況がカッコイイと(外野は)おもうワケです。動くことと見ることと考えることとが同時に生じているんだなあ。。

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