2009年3月アーカイブ

明日(31日)は午前中に飛行場に行って帰国の途につくので(日本到着は時差の関係で4月1日の午後となる予定)、今日が実質ニューヨーク最後の一日であり、またこの一年にわたる長旅も最後となる。
今の状態や感慨など書くべき事は当然あるのだが、今は時間がないので帰国後としたい。

今日は昼間はミッドタウンで本屋めぐり。
夕方からマジェスティック・シアターで「オペラ座の怪人」を見る。

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午前中にミッドタウンに行った後、地下鉄でイーストリバーをわたり、ブルックリンのウイリアムズバーグ地域を散歩。
主な目的はベッドフォード・アヴェニューにある古書店である。

ブルックリンは何と言っても僕のイメージはポール・オースターである。
小説だけではなく映画「スモーク」や「ルルオンザブリッジ」なども含めて。

17年前に来た時は案内して下さったカナザワさんが、とても危なくて歩く道を間違えたらとんでもなくなる、などと脅されたものだ。
今やブルックリンもニューヨークもそのようなことはないようだ。
おだやかな街に変貌した。オカダ君に言わせれば世界の巨大都市の中では今やもっとも安全な街だそうな。

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今日のNYは霧と驟雨。

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昨夏、リエカに遊びに来た卒業生のおかちんことオカダ君の案内で今日はニューヨーク巡りをする。
彼はニューヨーク大学(NYU)の大学院(Tish school)のITP(インタラクティブテレコミュニケーションプログラム)というところで学んでいる。
今が最終学期で多分忙しい時期であると思ったので連絡しようかどうしようか、少し迷ったが連絡してみた。今日は時間があるということでホテルまで迎えに来てくれた。
彼の案内にお任せの一日である。さすがニューヨークの住人、バスは使わず、地下鉄である。

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まずブルックリン、右手の古書屋へ。このあたりは通称ダンボといわれる、新しい
アートの街だそうな。本屋の後(パウル・レンナーの本を一冊購入)、街を適当に見て歩く。

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マンハッタンブリッジ。
24日の僕のブログをおかちんは読んでいて(彼に連絡したのは25日)妻が本当はここからの眺めを見たかったということを知って「先生は何でもっと早く連絡してくれなかったんですか?僕がちゃんと案内したのに!」と叱られた。

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マンハッタンブリッジとブルックリンブリッジの間にある公園。
天気も最高に気持ちよい。のんびり話をする。

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ブルックリンブリッジを歩いてマンハッタンに戻る。ここはさぞ夜景も美しいことだろう。

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地下鉄でノーホー地区にあるNYUへ。校内見学。
写真はおかちんの先生でもあるダニエル・ローツェン氏の作品。インタラクティブ立体鏡。

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おかちんの作品も廊下に展示されていた。

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彼が学部の3年の時ライティングの授業で作ったコンセプトを進化させたものと言っていた。
彼はその時ジョン・ケージのスコアをインタラクティブ化して「テラヤマ賞」を受賞したことを今書きながら思い出した。

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美術館の学芸員が興味を持ってくれたと言っていたが確かにこれは美術館にあると良いですね。

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工作室

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ここは17年前の視察のおり、レッド・バーンズ女史を訪ねている。彼女はまだ学科長としてご健在とのこと。

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その後大学そばのお店で昼食。

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チェルシーにある画廊がたくさんあるアート地区へ。
まあとにかくこのあたりは画廊が沢山あります。内容は有象無象というか、いろいろです。
とにかく空間は広くて贅沢に使われています。

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現在、オカダ君がインターンとして働いているニューヨークタイムズの本社へ。
彼は仕事をしながら修士制作を併行しているので大変なのだ。ここでも単なる手伝いとかではなくて、ニューヨークタイムズの過去20年の記事が完全オープンになっていてそれを利用しておもしろいデータベースのデザインをしろというプロジェクトを中心になってやっているようであった。彼のニューヨーク暮らしは卒業後も当分続きそうだ。

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NYT社内エントランスにあるインタラクティブ作品。

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夕方になったので僕も気になっていたこのお店に行くも今日はプライベートの貸し切りでだめだった。

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でグランドセントラルを通ってホテルの近くに戻る事に。

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ホテルのそばで気になっていたけど一人では入り辛いなあと思っていたお店に行く事に。
jazz standardという店でライブが聞けました。

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ライブはハモンドオルガン、サックス、ギター、ドラムにボーカル男女で、音は最高、気に入りました。でも寝不足のせいかビール一杯で酔いがぐるぐる回りました。

オカダ君はこれから月曜日までに3000文字の修論レポートを書かなきゃと言っていた。
今日一日、ずーっと話しながら動き回った。
いろいろ面白い話が聞けました。
結局ほとんど、デザインとかコミュニケーションとかに関する話ばっかりなんですけどね。
夏前には東京に一度戻るらしいのでその時の再開を約束して別れる。お疲れさまでした。

グッゲンハイム美術館に行く。
撮影は不可なので画像はない。
大掛かりな企画展をやっていたので常設展の展示スペースは少なかった。普通ならばがっかりするところだが、この企画展が思いの他よかった。
その後セントラルパークを散歩。

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企画展は「the third mind: american artists contemplate asia ,1860-1989」というものだった。アメリカのアーティストがアジアを直視(凝視、沈思黙考)したという内容である。
興味深い作品(絵画だけではなく文学にも及んでいた)が並んでいたので名前だけでも以下に挙げておく。
野口米、T.S.エリオット、エズラ・パウンド、j.l.バイヤース、ロバート・マザーウエル、スティーグリッツ、スタイケン、サム・フランシス、イサム・ノグチ、岡田健三(漢字がこれで良いか不明)、アド・ラインハルト、ローリー・アンダーソン、ジェイムス・タレル、杉本博司、桑山忠明、A.ウオーホル(スリープという映像作品)、荒川周作、ジャスパー・ジョーンズ、ティモシー・リアリー、ブルース・コーナー、R.ラウシェンバーグ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーク、ウイリアム・バロウズ、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージ等など。
必ずしもアメリカ人とは限らない。
特にジョン・ケージの龍安寺のドローイングとオノ・ヨーコの「頭の中で組み立てる絵」を見れた事は幸運であった。
不満というか疑問があるとすれば、アジアといってもその90%(少なく見積もっても80%)は日本ないし、日本人なのである。こういった場合素直にタイトルに「日本」または100歩譲っても「日本およびアジア」とするべきではないか。アジア人をジュッパヒトカラゲというか一緒くたにしているようで少し、不快な感じを持った。
それは例えば日本人が白人を一緒くたにして「外人さん」または「アメリカ人」と言うようなものではないか。
またもし、「contemplate」した相手がヨーロッパだったならば絶対こうはならなかったのではないかと。
内容を精読したわけではないので本当のところは分らないけれど...。
ともあれ展示自体は現代美術に関してこの1年で最も僕のツボにはまったものではありました。

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セントラル・パーク

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アメリカ自然史博物館に行く。おそらくアメリカで最も大きな博物館なのだろう。
ミランさんが絵本、ナイトミュージアムの構想を思いついたところでもある。

展示のコンセプトがヨーロッパと比較してやはりアメリカらしいと感じるところはある。
それは実証主義的というかプラグマティックというか、見えるようにする、比較するという視点だろうか。
結果として現れるハイパーリアルな視覚というか...。
(特にハイテク使用以前の展示物について。映像を多用するよりもずっと説得力があるのだ)

その後近くのダコタ・アパートへ。僕が23歳の冬、卒業制作を作っている最中にジョン・レノンの死を知った。身内でもない人の死にあんなに衝撃を受けたのは人生最初のことだった。
近くのセントラルパークの中にオノ・ヨーコさんがデザインした記念碑というか場所がある。ストロベリー・フィールズである。
そこで小一時間ほど過ごす。

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ミクロネシアの海図。これが見れただけでも来た甲斐があったと思った。

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ディテール

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博物館外観。

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ダコタアパート

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ストロベリー・フィールズ

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今日は妻が帰国する日だ。

その話の前に。
早朝、大慌てで今春退任される0先生への送別の辞を書いてメールで送る。(僕の所属する研究室では年度の終わりにスタッフ全員でいつも一泊二日の小旅行をするのでその時に読み上げてもらうため)
これは昨春からずっと頭にあって考えてきたことだけど、思い出がいろいろありすぎてこれまで文章にできなかったのだ。考えてみれば先生とは大学入学以来32年間持続的にお付き合いしていただいたのだ。

もうやけくそ気味というか、校正も何もないままとりあえず、書いて送った。
今、これを書きながら重要なことを書き漏らしたことに気がついたのでここで書いておきます。今更ですが。

O先生は筋金入りの反権力、反権威主義の人だった。
僕は学生として教育を受けただけではなく後に教員として一緒に授業を組み立てたりもした。学生の頃から一貫していたことだが、この人は学生といつも対等に付き合っていた。(僕が尊敬する人は皆そうだが)
僕などは若気の至りと言うか、もともと生意気だったので学生時代から、そして助手時代もデザインや教育に関しては言いたい事は何でも言っていた。おかしいと思った事は平然と批判したりしていた。
その当時僕は青臭い原理主義者だったのかもしれない。面と向かって「先生は歩く矛盾だ!」と非難したことさえある。
しかしこの先生はいつも笑っていたし、かといって無視するわけでもこちらの馬鹿さ加減をたしなめるわけでもなく、ずっと付き合ってくれたのだった。

結果的にこの先生の僕に対する「教育」は正しかったと思う、(自分で言うのも僭越ですが)何故なら何かに対して本気で異議申し立てをした本人は結局言った分の責任を自分でとるしかないのだから。
僕自身のこの20年間は自分で行った他者(大学)に対する批判の責任(おとしまえ?)を自分なりに果たしているということなのだ。
このようなO先生の態度がそんなに簡単なことではないと理解できるようになったのはごく最近のことである。
助手がカリキュラムに対して教授に面と向かって批判するなど、他の研究室ではほとんどありえないことは後で知った事であった。
少なくとも僕の所属している研究室の良き伝統はこれであることは間違いのないことだ。
今ではO先生は僕にとって「矛盾を抱えたこの世界で、それでも笑いながら歩き続けた先生」となった。

話は今日のことに戻る。

朝8時過ぎにホテルをチェックアウト。
駅に向かう途中、こちらに来て毎朝朝食に通ったお気に入りのダイナーに寄ると今日はお休みであった。
そのまま空港に向かう。
パリから来たのとは違うルートでジョンFケネディ空港に向かうも、途中乗り継ぎを間違えて少しあわてる。最後の最後まで僕らの旅らしいと苦笑い。
しかし何とか無事に搭乗手続きも終え、空港で朝食をとって別れる。

最近、スペインとフランスで5日間旅をともにしたあきお君は我々の珍道中の様子をみて、妻が先に帰る予定だと聞いて「せんせー。ひとりで生きて行けるんですかぁ?」と言った。
さすがにこいつ突っ込みが鋭いなと思いつつ「何を失礼な。一人で充分僕はやっていけますよ!」と答えたものだった。「1週間程度ならね。」

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マンハッタンに戻り、ホテルの移動。今度はパークアヴェニューの30丁目。

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妻はいよいよ明日、日本に帰国する。
これは最初から決めていた事で4月の帰国早々、僕が忙しくなるのを見越して一足先に帰って不在中の問題処理や家の事など、諸々準備をしてもらう為である。
ということで私たちコンビの1年弱の珍道中も今日が最後。
美術館にも飽きたし(なんと贅沢な!)今日はこれまでヨーロッパでたまにしてきたように闇雲な(行き当たりばったりの)散歩をしようということになった。
といっても妻の希望はあってイーストリバーを地下鉄じゃなくてバスで渡ってみる事と、対岸からマンハッタンを見てみたいというものであった。

バスを使ってマンハッタンをずっと北上しスパニッシュ・ハーレムへ。
そこからイースト・リバーを渡りクイーンズへ。再びイーストリバーを渡りルーズベルト島へ。クイーンズボロブリッジに併設(?)されているゴンドラで再びマンハッタンに戻るというルートであった。(ルートといっても初めから決めていたわけではなく、闇雲に移動してみたらそうなったということ)本当は途中でイサムノグチの庭園美術館に寄りブルックリンまで行ってみたかったのだが道に迷ったり、バスが分らなかったりで結果的にこうなった。
さすがに北の方、スパニッシュハーレムやロングアイランドの北部は高層ビルもなくなり寂れた感じ。バスにずーっと乗っていると客層が変化して行くのが興味深い。白人をあんまり見かけなくなるのはパリの北駅近辺と似ています。
ニューヨークでも東京でも、どこに行くのもバスで行くと言っていた田中小実昌さんのエッセイのことを思い出した。

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本当に凍てついた10番街。凍っています。
朝ホテルの廊下ですれ違ったメイドさんが「外は本当に寒いわよう、もう3月なのになんて事でしょう」と話しかけて来た。ボロになったセーターを捨てずに持って来て良かったと思いました。

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老舗のデパート。エスカレーターがあまりにも古いので。

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エンパイアステートビル。昇る事に関しては高所恐怖の僕は最初から関心なし。
ただここから落ちた哀れなキングコングのことを思うのみ。

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スパニッシュハーレム。今日はトラブルを恐れて写真を撮る事は自重した。

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妻はこの景色で一応満足したようである。右がマンハッタン。

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この橋かどうか定かではないが、僕はニューヨークの橋に追い込まれて殺された哀れな米国版ゴジラを思う。

終日MOMA。
さすがに20世紀以降の美術に関してアメリカは自信満々の印象である。

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セザンヌ
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ルソー

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ピカソ

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カンディンスキー

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マティス

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キリコ

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ピカソ

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マレーヴィチ

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マレーヴィチ

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マレーヴィチ

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リシツキー

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リシツキー

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クルツィスとリシツキー

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モネ

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モンドリアン

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モンドリアン

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クレー

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ピカソ

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コーネル

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コーネル

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ホッパー

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ベン・シャーン

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常設以外にマーティン・クリッペンベルガーという人の大展覧会もやっていた。

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ジョーンズ

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イームズの初期の仕事。

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エスカイアのディレクター(名前失念)の紹介。

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ベーレンス

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印刷に関する地味だが力のこもった大展覧会をやっていた。
とても好印象。パソコンからの出力に関する部分に相当エネルギーを費やしている所が特に良い。これ日本でもどこかがやれば良いのに。
図録は重すぎて恐れをなして購入せず。

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アートでも工芸でもない「デザイン」の見せ方に関してはここMOMAでさえも停滞しているというか、迷っているというか、そういう印象も受けた。
世界中、皆同じく迷っているようだ。
そういった意味では先に上げた印刷の展覧会には少しポジティブなヒントがあったように思う。
今日はとりあえず、前回来た時最も気に入った美術館に行く事にする。
メトロポリタンである。

夜はミュージカルに行く。

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以下メトロポリタン美術館。
写真のセレクトはランダムです。

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バルテュスはなかなか見れないので良かった。

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実際、メトロポリタン美術館だけで疲労困憊だったのだけれど、夕食の後、ブロードウエイの切符売り場に行ってみたら、チケットが手に入りそうだった。
妻は僕よりも一足先に帰国するのでもしミュージカルを見るとしたら今日しかないということになり無理矢理見る事に。
寝てしまうかと心配したが、とても良い舞台だったので全然平気であった。
英語がちゃんと理解できればもっと楽しめただろうとは思うが、音楽とパフォーマンスだけでも充分良かった。
劇場から宿へは歩いて10分程。

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ニューヨークは僕は17年ぶり。その時はデザイン教育視察の為に来た。
クリントン、ゴアコンビの最初の選挙を行っていた秋であった。クリントン8年、ブッシュ8年の後、昨年の秋にアメリカはオバマを大統領に選んだ。
この17年間の世界とアメリカの大きな変貌は様々な感慨を呼び起こさずにはいられない。

妻はNYは初めてである。
ここでどう過ごすか全く計画が立ってない。二人ともかなり疲れ気味。
僕の方はあきお君とヨーロッパであったおり大学からの連絡をいくつか受けた。4月の早々から様々な事が始まるから準備しろという指示などであった。
帰国して一週間程間があるはずと思っていたので少しうろたえた。
4月からの生活が待ち遠しくなるかと思っていたが意外にも実感は逆で少し鬱気味になった。
うーん。しかしそんな子供のようなことは言ってられないので、ここにいる間に気持ちを立て直さなければならない。

ともかく、いつものように街の散歩から始める。

ニューヨークを歩いているとこれまで読んだ小説にいかにニューヨークのものが多いか考えさせられる。すぐさま想起できるのだけでもジョン・アービングやポール・オースター、スティーブン・キングやエド・マクベイン...。ニューヨークに関係する音楽も当然スプリングスティーンだけじゃない、ディランからジョンレノン、マイルス、コルトレーン、ガーシュイン、フォークやロックやジャズやミュージカル...。
映画にいたっては無数といっても良い。
地方のアメリカ人よりもニューヨークにまつわる二次情報(コノテーション)を自分は膨大に持っているのではないかと思える。(多分多くの日本人がそうなのではないか?)
善かれ悪しかれだが、ニューヨークはそういう都市なのだ。拮抗出来るとしたらパリぐらいだろう。

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そんなに強く意識したわけではないけれど、最初にどこに行くかと考えると自ずからここしかないだろうと思えた。ワールドトレードセンター跡地である。
ここ20年間の世界の変化を巡って、そして今回の1年の旅で考えたことと、この場所の意味が重なって思いは乱れた。

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その後近くにあったブルックスで買い物をしてマンハッタンの北、ロウア−マンハッタンを散歩。

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トリニティ教会。

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バッテリーパーク。ワールドトレードセンターから移築された壊れた彫刻。

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バッテリーパーク沖、リバティ島。

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近くにアメリカン・インディアン博物館があったので入ってみる。

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イサム・ノグチ、レッドキューブ。

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デビュッフェ

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イサム・ノグチ、水上庭園。

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市庁舎の横で映画撮影をしていた。

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ウォール街、ニューヨーク証券取引所。

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北上してチャイナタウンとリトル・イタリーを少し歩く。

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朝、6時起き。7時前に宿を出て北駅からシャルル・ドゴール空港へ。
10時半のパリ発チューリッヒ行きに乗る。
私たちは例の(以前説明した)世界一周チケットなのだが、パリからニューヨークに直接行けず、一旦スイスのチューリヒにトランジットしなければならない。スイス国際航空である。
13時に無事チューリッヒを飛び立ちニューヨークへ。
大西洋を越えてニューヨークまでは約9時間のフライト。
以前N島先生から「寺さんニューヨークとヨーロッパはすぐだよ」と聞いていたのでもっと短い時間で着くと思い込んでいた僕は9時間かかると聞いて「えー。そんなに長いのか」と言ったら、僕が不満を言っていると思ったらしく妻に「今頃何を言ってるの」と叱られた。
機内で映画を3本見たが画面も小さいし、どうも映画を見た気分がしない。まあとにかく暇つぶしということなんだろう。

ヨーロッパ時間の夜の10時頃ニューヨークに到着したが時差で当地夕方の4時である。
日本との時差は14時間となる。ヨーロッパからの時差は8時間だったので要するに日本からさらに6時間も遠ざかっている(地球の裏側)のだが、気持ち的には帰国の途上なのでどうも遠ざかっている気がしないのだ。そんなことを言うとまた妻に「何にも考えてない」と怒られそうだ。
入国はやっぱり大変で入国審査を通貨するのにとんでもなく時間がかかった。
入国者は左右の4本指の指紋、親指の指紋、眼紋までとられるものものしさである。
その後バスでニューヨーク市内のホテルにたどりついたのはパリのホテルを出てから約20時間後であった。結構疲労困憊であった。
ホテルは10番街の49ストリート近く。アッパーウエストサイドでブロードウエイから比較的に近い場所である。

10th. avenueと聞いて1975年、今から何と33年前に出たブルース・スプリングスティーンの名曲「10th.ave. freeze-out(凍てつく10番街)」を即座に思い浮かべ、それだけで何となく嬉しくなった。
僕が19の時に聴いた曲だ。スプリングスティーンも今年還暦(!)を迎えるという。
「全く何てこった」

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リエカを出て約40日あまり。ついにヨーロッパ最後の一日となる。
いよいよ明日は大西洋を超えてニューヨークに移動する日だ。
連続して50日間の最後のホテル暮らしはつらいかなと思っていたが、やっぱり辛い。
多分息抜きというやつがなかなか出来ないせいだと思う。

パリはまだまだ見るべき所を残している。
例えば、イイヅカさんのギャラリー、カルティエ財団の美術館、新しくできたらしい広告博物館、写真美術館、ブレッソンの美術館、またパリからは離れるけど「行けなくはないですよ」とあきお君に言われたコルビジュエのロンシャン教会などなど。

しかし今日はついに限界状態がきて美術館にはどこにも行く気力がわかず。
結局、街をぶらぶらすることにした。
妻はお土産を買わなければならないというのでオペラ座近くにあるデパート、ギャラリー・ラファイエットへ。
その後パサージュめぐりでもしようかと思っていたが、どうも体調不良で結局僕だけ先にホテルに戻る事にした。
ホテルで荷物の整理、旅の記録、ブログの更新などをする。

昨年の4月1日にロンドンに到着して約355日、旅もここまで来てしまったかと思うと感慨深いものはある。

フランスの短い覚え書き。
地下鉄や国鉄の不便さ、分りにくさについてはさんざん悪口を書いてしまったが、意外なことに(?)フランス人はとても良かった。
ヨーロッパでこれまで私たちはかなりの国、都市を歩いて来た。あくまでも短期滞在の旅人の視点でしかないけれど、例えばホテルのレセプション、美術館の職員などの対応はフランスが最も良かったし、さらに街中で僕や妻が地図を広げていると必ずと言っていいほど街の人が向こうから「どこに行きたいんだ」と声をかけてきてくれた。
こんな都市は他にはなかった。
「フランス人は英語を話す人間を無視する」とか「フランスは個人主義の国だから他人に冷たい」とか諸々聞かされていたし、私たちもその覚悟でいたのだが実際全く想像とは違っていたので正直驚いた。たまたま偶然そうだったのかもしれないが、私の感じからすると単なる偶然とは言い切れないと思う。
電車に乗って隣り合わせた時など、言葉を交わさないでも存在する身振りとか表情での交信などから。
しかもその上、食事がやっぱりおいしいし(全ての料理の平均点が高い)、ワインもうまい。いたるところで映画も見れるし。パリは大都市の割には物価は安い方だと思う。
私の知る限り、日本人が住むとしたらヨーロッパの中ではパリが最も住みやすいのではないかと推測する。
逆に期待が高かった反面、最も想像と異なっていたのはイタリアであった。
理由を書き出すと長くなるので省略しますが。


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昨夜、イイヅカさんにアメリカへの渡航は私たちが出発した2008年春よりもさらに厳しくなっていることを聞いた。例えばメールで出入国管理局に入国3日前までにあらかじめ情報を提出しておかなければ、空港で大変な目に会うことなどである。
その確認と航空券のリコンファムも含めてオペラ座近くにあるANAの支店を訪ねる。
ANAにはパリーニューヨーク直行便がないせいか、担当の人は最初よく分らないと言っていたのだが、調べてもらった結果イイヅカさんの言った通りである事が判明、ホテルに戻った後、早速メール送信作業を行った。
このオペラ座界隈は日本にあるのと全く同じブックオフがあったり、沢山の日本料理店もあり、先日のクロネコヤマトも含めてつくづくパリはラクチンな場所だと思う。
私たちの拠点にしたクロアチアと比べての話だが。同じヨーロッパといっても全く異なる環境なのだ。
だからといって拠点をパリにすれば良かったなどとは露程も思いませんが。

その後、市立近代美術館、ギメ美術館へ行く。

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乗換駅「スターリングラード」にて。

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以下、市立近代美術館。

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アンリ・ミショー

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ジャン・フォートリエ

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マティス

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ブラック(部分)

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ソニア・ドローネー

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左が市立近代美術館、右がパレ・ド・トーキョー。

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以下ギメ美術館。

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乾山

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白隠

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午前中宿を移動。
詳述は避けるが今回の宿の選択はトラブルがらみで北駅近くになった。
確かあまり環境の良くない所とは聞いていたが、初めて実際に行ってみると聞きしに勝るとはこのことで本当に環境は悪そうな所だった。
朝電話で久しぶりに会話したパリに住むイチダさんも大変心配そうで、「とにかく気を付けて下さい!」と注意された。

ともかく今更宿の変更などは面倒なのでこのまま行く事にした。
その後急いでオルセー美術館へ。閉館時間まで。

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以下オルセー美術館。

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ロダンのデッサン。

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今回見た中で最も意外な発見はクールベだった。何かうまく説明できないけれど、引っかかるものがあった。絵を描く事と思考している事が合体しているというか、とても知的な人の印象を持った。

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これもクールベの有名な一点である。

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ドーミエ。

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夕方7時半頃、イチダさん夫妻がわざわざホテルまで車で迎えに来てくれた。
車でセーヌを渡って安全な(笑)場所、イチダ夫妻が良く行くというレバノン料理を出すお店で食事をご一緒した。
同じく秋のパリフォトで知り合ったイイヅカさんも仕事を片付けた後、合流。
イチダ夫妻はつい前々日まで3年ぶりの里帰りで東京にいたのだが、ぎりぎりパリにいる私たちのスケジュールに間に合わせてくれたのだった。
イチダ夫妻は主にweb上のデザインをやっているが、ルーブル美術館の最初のバーチャルミュージアムのデザインもしていたことが今回わかったり、色々楽しいお話が聞けた。
また写真専門の画廊をやっているイイヅカさんにも今回改めて、これまでどのような活動をしてきたか伺う事ができた。画廊と平行して写真雑誌の編集発行をやっているだけでなく、もともとはファッションの(パリコレなどの)ショーのディレクションもやっていたのだ。彼が手がけた仕事は誰もが知っている有名なデザイナーのショーであった。
イチダ夫妻もイイヅカさんも会社とか業種とかの枠に全くとらわれず自立した表現者として仕事をしているように思う。しかもそんなに気負った感じは少しもしない。
しかし今回若い時からここに至るまでの話が色々聞けた。
面白すぎてここには書けませんがさすがに波瀾万丈。僕など自分で振り返ると波瀾万丈からはほど遠い淡々としたというか、気がついたら時間が経っていたみたいな人生なので彼らの話を少しうらやましく思いながら聞いた。
まあ、人はそれぞれ運命みたいなものを背負って生きているのでせうか...などと思ってみたり。

しかし時間はあっという間に過ぎ、まだまだ話足りない思いも残ったがまたの機会を楽しみにしようと思う。まあ僕がパリに行く事はめったにないと思いますが、彼らが東京に帰って来る機会の方が多いだろうから、次は東京ですね。
ともあれこういう出会いを作ってくれた(パリフォトの)友人スエマツ君に改めて感謝。
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ルーブルは当然ながら一日では見れないので再度。
まあそれでも結局は見切れないのですけど。

そしてその後、クリュニー美術館、正確には中世美術館に移動。
ここは3月11日の日記にも書いたが、自然史博物館と並んでかつて十数年前に訪れて僕が今日のwriting space designを考えるきっかけ、そして言い換えれば今回の長旅の大本となったところの一つである。

十数年前の旅はもっと正確に言えば、パリに先だってロンドンの大英博物館とナショナルギャラリー、ヴィクトリア&アルバートミュージアムを訪ね、モリスのマナーハウスに行った後の旅であった。その時もちろん、ルーブルも行ったしオルセーにもポンピドゥーにも行った。
しかし僕の心を強く揺さぶったのはここクリュニーと自然史博物館、そしてケンブリッジ近くにあるモリスのマナーハウスだったのだ。その当時理由はよくわからなかった。

そういった因果関係が今回旅をしながらだんだん自覚されて来たので(妻にも語った事はない)今日、クリュニーに行くのは大変緊張した。
まるで十数年前の自分の秘密を暴きに犯罪現場に向かう者のように。
しかし、当時もっとも衝撃を受けたクリュニー最下層にあったローマ時代の遺跡は今回工事中で見れなかった。

今日の感想は心にそっとしまってここには書きません。(もったいぶるわけではなくささやかなことだから。多分)
が、ひとつだけ。

要するに当時ルーブルも、単なる入れ物、せいぜい立派な箱だと感じたのだが(それでも時代とともにアウラは濃くなるのだろうが)クリュニーは場所と中身が決定的に切り離されない場所だと強く感じたのだと思う。
当時の僕は。理屈抜きでそのことが絶対的なものに感じたのだろう。
クリュニーの展示物自体にはその後の学習もありさほど驚くものではないが、結局今回の長旅を絶対的に「現地で見る」旅にしたきっかけはここにあったのだろう。
それだけは思い返して我ながらとても良い判断であったと確信する。
人が何と言おうと。

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以下ルーブルの続き。例によってランダムです。

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セーヌを渡る。

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以下、クリュニー中世美術館

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一角獣のタペストリー

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この日は朝からルーブル美術館へ。
ここについてはいろいろ意見はあるが長くなるので省略。

ヨーロッパの旅の始め昨年4月に、ロンドンの大英博物館とナショナルギャラリーで「予習」をしたとするとまあ、今回は旅の「復習」をルーブルで、ということになるのだろう。
やっぱり大英博物館でものを見ていたときの方が圧倒的にテンション高く緊張していました。
そのテンションの違いは大英博物館かルーブルかという問題では当然なく、旅の終わりなのでこれもやむを得ないことなのでしょう。

また、当然ながら自分が現地に行ったもの(エジプトやギリシア)よりは、まだ行っていない場所、アフリカや南アメリカや中近東などがより興味深いのも当然のことだろうと思う。
そういった意味では今は未知の旅への予習の時であるのかもしれない。

以下写真の流れは編集する時間がなくランダムである。

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人だかりの方が興味深かった。

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今回ルーブルで最も興味深かったのは改築工事で発掘された元のお城の基礎部分である。
それだけなら、何と言う事はないのですが、その城は14世紀の手稿本の傑作「ベリー候の時燈書」に出て来る城だったことが分ったことである。

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モナリザの前の人だかり。近づく気も起こらず。

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こっちは大丈夫。ゆっくり見れた。ナショナルギャラリーのカルトンとツインで見てみたい。

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これにはさすがに凄いパワーありますね。ルーブルを救っています。

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ハンムラビ法典最上部。

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朝、宿をリヨン駅そばから、地下鉄ペレール駅傍へ移動。
その後パリ郊外、ポワシーから歩いて20分くらいのところにあるコルビジュエのサヴォア邸を訪ねる。
その後パリに戻り、南の端にある国際大学都市、シテユニヴェルシテールにある、同様にコルビジュエの設計したスイス館とブラジル館を訪ねる。

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宿からシャルルドゴールエトワールの凱旋門の地下鉄駅まで歩いてみる。

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以下サヴォア邸。

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管理人の家

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ポワシーのノートルダム。

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シテユニヴェルシテール入り口。

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以下スイス館

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以下ブラジル館

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昨日に続き、膝の調子がどうも悪い。足の関節が逆向きに折れそうな感じです。歩く分には何とかなるのだが、特に階段の上り下りがつらい。
パリの地下鉄は老人や身体の不自由な人には本当に「不親切」にできているところなので堪える。
昨年の夏のギリシアやイタリアはもっと過酷な状況だったが平気であったのにここにきて蓄積疲労が出ているのかも知れない。(うーん。走ってもないのにトシだにゃーと独り言。これで春から授業ができるのかしらとまた独り言。)
かといってホテルで休養する気分にもならず、今日は出かける場所をひとつに絞った。

シネマテークは歩いて行ける距離である。途中に国鉄近郊線の高架橋跡がアトリエ・ブティック街になっている場所があり、画廊、家具屋、アクセサリー店などが延々と並んでいてなかなか面白いところを通った。
シネマテークの上映プログラムを見てみたが、あいにく見たいものとは遭遇しなかった。
しかし併設の映画博物館ではメリエスの特集をしており、メリエスの短編の多くをみることができたし、その他エジソンの映像も含めていろいろ見る事ができた。

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荷物の重量を少しでも減らすべく、妻が午前中オペラ座近くにあるクロネコヤマトに行って荷物を送ってくれた。パリは便利ですねー。

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ベルシーの新大蔵省。

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シネマテーク入り口

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設計はフランク・ゲイリー。もともとはアメリカンセンターのための建物だったらしい。
どっちにしろ、フランクさんは個人的にはいただけない。

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ヴァザルリによる映画へのオマージュ

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ちなみにこの日上映されていた映像を記録として残しておきます。(部分的なものも含む)
メリエス、リュミエール、エジソン、オスカー・フィッシンガー、ジュール・マレイ、ヴァイキング・エッゲリング、ハンス・リヒター、ジガ・ヴェルトフ、エイゼンシュタイン、チャップリン、フリッツ・ラング、ムルナウ、ゴダール。







昨晩の映画「グラントリノ」の感動からその後の酒盛りは2時か3時頃までになってしまった。
あきお君は朝早くミラノに行くため宿を出たように思う(こちらも夢うつつなので時間はよく分らなかったが)。
その後、飛行機に間にあったかどうか心配したが、「なんとか無事到着」のメールをもらい安心した。
多分彼も二日酔いでしんどい状況だと思う。

僕は僕でポルトガル以降の疲れが出たのか昨日から古傷の膝がかなり痛み長時間歩けない状態になる。
今日は雨模様だし休養日にしようということで昼過ぎからモンマルトルに出かけ、夕方早めに宿に帰って休む事に。
モンマルトルは妻の買い物で、ザグレブのあきこさんが教えてくれた布屋さんがあるところ。
ちゃんと目的の布がありました。

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今日は書くべき事の多い一日。
あきお君は朝早く宿を出て図書館に向かう。
彼の研究テーマとかかわるミナールという人の図像を見る為である。ミナールはダイヤグラムに関する本であれば必ず出て来るあのナポレオンのロシア遠征を視覚化した人である。
しかし現在専門家でさえもミナールがどのような人かちゃんと知っている人は少ない。
ホテルに戻って来た彼に採集した図像をいくつか見せてもらったが大変刺激的であった。
特に僕にとってはミナールのナポレオン遠征ダイヤグラムが実は何とハンニバルのローマ遠征とセットだったことがわかり大変興奮した。これまでそんなものは見た事もなかったからだ。
ミナールはテクノクラートでそれゆえほとんど名前が出て来ない人である。
「にもかかわらず」ナポレオンとハンニバルをテーマにした事自体、このダイヤグラムが実務的というよりは、かなり強く啓蒙する意思を持って作られたということがわかる。
ヨーロッパ人にとってアレクサンダー、ハンニバル、ナポレオンは英雄3点セットなのだ。
アレクサンダーの場合はあまりにも古くてデータが充分ではないだろうが、ハンニバルならばかなりのデータがあるので可能と考えたのではないかと推測できる。
あきお君はハンニバルを知らないみたいなので「?」みたいな感じだったけれど。
まあ、ともかくもこれから彼の書く論文を楽しみにしたいと思う。

私たちは宿から歩いて国立自然史博物館の進化大陳列館、モスクを通ってアラブ世界研究所、サン・ルイ島に渡り、十数年前に泊まった宿を見て、シテ島ノートルダム寺院まで歩く。
国立自然史博物館は十数年前に僕が衝撃を受けた所で今日のwriting space designを僕が考えるきっかけになったところである(もう一つはクリュニュー)。
ここでの感想を述べ出すとあまりにも長くなるので止めておくがとても色々なことを考えさせられた。
昨夏、ギリシアの神秘のディスクの時にも書いたがここでもまざまざと十数年前の自分の経験が今の自分を決定していることを改めて考えさせられたのが一つと、しかしこの間の時間によって今の自分は当時とはまた異なる感想を持ったということである。
それは僕に与えられた新たな宿題なので今後ゆっくり考えたいと思う。

またアラブ世界研究所は今回はじめての訪問であった。
今更なのかもしれないが(1987年完成のものなので)とても良かった。
今回僕が見たヨーロッパの現代建築の中でも最も感動したものかもしれない。

そして明日からミラノに移動するためお別れするあきお君とは最後の夜なので、スペインから実はずっと気になっていた映画グラン・トリノを見に行く事にした。
これが期待通りというよりも期待をまたはるかに超えて傑作であった。
三人とも涙ぼろぼろ。
あきお君は上映中は泣いてないといっていたが嘘だ。
僕は最後の最後、「グラン・トリノ」のテーマソングが流れイーストウッドの声が聞こえてから堪えられなくなった。

小学生の頃見ていたTV西部劇「ローハイド」のロディ役の頃からのクリント・イーストウッドファンとしても、これは涙なしでは見られない映画である。(どうでも良いことだがこの映画で彼にアカデミー賞を授けなかったアメリカのアカデミーはアホである)
そしていつの間にか(僕の中では「バード」のころくらいから)アメリカ映画の最高の映画監督(それも2位以下を大きく引き離して)になってしまった彼だが、その中でもこれは特別な傑作の一つだろう。
ニューヨークと東京でもう2度見ようと思う。

あまりにも感動したのでホテルに戻り夜中まで酒盛り。
明日あきお君は飛行機の便が朝早いのだけど。

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パリ、宿の近くのリヨン駅。

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国立自然史博物館。正面が進化大陳列館。

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ビュフォンの像。

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進化大陳列館内部。
僕は十数年前、英国の自然史博物館を訪ねた後、ここを訪れた。英国は当時流行の映像、コンピュータインタラクティブの先端を走っていた。しかしここは全く映像などのハイテクは用いず、「ブツ」の見せ方(lightingとレイアウト)とグラフィックのみで、驚く程美しい空間を作り出していた。しかも後にベルリンのモリタさんから聞いてわかったことだが、パブリック施設においてサウンドデザインを導入した最初期の博物館だったのである。
音響がすごくて無意識に響くのだ。
英国とフランスこの二つの博物館の展示という行為に対する行き方は当時の僕には本当に多くの刺激を与えてくれたのだった。ものを「見せる」ということはどういうことかについて(当時の僕としてはストイックなこちらの方が断然好ましく思えたのだったが)。
しかし、今回の訪問で、ここもその後結局は時代の流れに抗する事ができなかったとみえ、液晶ならぬ古くさいTVモニターがあちこちにあり、かつてはあんなに緊張感をもっていた美しいグラフィックもぐずぐずになっており、実は少なからずがっかりした。
妻はそうだとしても十数年前にここまでやっていれば、当時あなたが感動したのは理解できるとなぐさめてはくれたが。
もちろん、僕自身も特に今回の1年の旅でさらに色々思う所もあるのでお互い様である。
要するに「時代は変わる」し僕らは「転がる石」なのだ。

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モスク

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アラブ世界研究所。設計ジャン・ヌーベル

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図書館

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ノートルダム寺院
リヨンから電車で約1時間、駅から坂道を歩いて30分くらいか、丘の斜面に建つコルビジュエのラ・トゥーレット修道院を訪ねる。
(僕は2度目。前回はJさんの運転するレンタカーであった)
最初に訪れて以来、時間が経つごとにまた来たくなったのだ。

光を可視化するとは言語矛盾なのは承知なのだが、モダニズムとかポストモダニズムとかいうことよりも、彼は実用的な空間において既に、現代のジェームス・タレルを軽々と先取りしている。ように思える。
僕は建築の専門家ではないけれど、ある境地にたった建築家がそれまで蓄えて来た全ての(建築)言語を使って自由自在、細部にわたるまで自分の意思をコントロールして作られている感じがする。多分施工現場はとんでもなく大変だったのではないだろうか。
そして見ていて楽しいのはとても心地よいリズムに建物が満たされていることに尽きる。

ある美的なエネルギー、それも強力なエネルギーに触れた。
かなり以前から修道院として使用されておらず、現在はもちろん管理はされてはいるものの一種の廃墟状態なのが唯一残念だけれども。
(一部修復中であった)

その後リヨンに戻り、夕方パリに向かう。


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いよいよ、スペインを後にして今日はフランス、リヨンへ移動する。
リヨンはコルビジュエのラ・トゥーレットを見る為である。
実はここは12〜3年前に同じ目的で訪れており僕にとっては再訪である。

フランスは食べ物は一流かもしれないが交通機関はあんまり良くない。
鉄道のシステムと案内がスペインに比べても旅行者にとって分かり辛く不親切な所である。
色々苦労したが何本か電車を乗り継ぎながら、無事リヨンへ到着。
夕方リヨンの街を散策。
ちなみにリヨンはグーテンベルクがマインツで近代活版印刷を始めた後、それが広まった最初の場所の一つであり、印刷に関しては大変歴史の古い街である。
旧市街には古本屋も多い。かつて訪れた古本屋も再訪した。

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ポルボウ朝。

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恐らくポルボウで一件だけ営業していた私たちの宿泊したホテル。建物の中に大きな松の木があった。

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ポルボウ。

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リヨン到着。

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最近(2002年)にできたらしい、サン・テグジュペリ(リヨン出身)のモニュメント。
バルセロナからスペインとフランスの国境の街、ポルボウへ。
ここはワルター・ベンヤミンが1940年に陥落するパリを逃れマルセイユを経て、ピレネーを超えて亡命するために到着した場所である。
そして入国を拒否された彼はここでモルヒネで服毒自殺をする。
1940年9月26日。死亡は翌日。

ここには彫刻家ダニ・カラヴァンがベンヤミンに捧げた素晴らしい彫刻がある。
そのことを教えてくれたのはK先生で(数年前)それ以来、ここには必ず来たいと思っていた場所である。僕はその記憶からK先生は既に訪れているものと勝手に勘違いしていたのだが、今回先生もまだ訪れていないことが1月にわかったのだった。
急な話だがせっかくなのでご一緒できればという話になった。しかし残念ながら諸事情で先生の今回の訪問は無理となった。

しかし先生はこの間、ベンヤミンがこの脱出行の時に持っていた原稿の入った重い黒い鞄に関するエピソード(『ベンヤミンの黒い鞄 亡命の記録』リーザ・フィトコ)を読んでない僕の為にわざわざテキストをメールで打ち込んで送って下さっていたのだった。

自分がいかにベンヤミンに影響を受けたかについてここで事細かに語るつもりはない。しかし簡単に言えば20歳代の自分がデザインをすることはどういうことかをリシツキーから学んだとすれば、デザインされたものと社会との関係はどのようなものか、考える事の意味と深さを学んだのはベンヤミンであることは間違いのないことだ。

ある人の記述によればスペインの国境警備隊がそれまでやって来ていたフランスからの亡命者を拒否することに決定したのはベンヤミン一行の到着前日であったらしい。
(ここら辺の事情は複雑で、私にはよく分らない。当時スペインはフランコが統治していて、このあたりにはドイツの駐在軍もいたらしいので)
しかしともかくも、つまりベンヤミンがもし前日に到着していたならば助かっていたのである。
そしてベンヤミンの自殺に感銘を受けたスペイン側の国境警備官はベンヤミンとともに来た他の人々がポルトガルへ逃れることを許可したという。

...とても悲劇的だが、ある意味ベンヤミン的だとも思う。

そしてベンヤミンが命に代えても守ろうとした黒い鞄は現在も見つかっていない。

その中身はパッサージュ論の原稿であろうと言われている。
彼程かしこい人が自分の危険を察知しないはずはない。(彼はユダヤ人だったので)
さっさと危険なパリを後にすれば良かったのにと今の僕は思う。
しかし彼はパリの図書館にある資料でこの論文を書かざるをえなかった。

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今回一緒に巡礼の旅に出たあきお君。
彼はムサビの学部、院を修了し現在はS大学の博士課程3年目である。言うまでもない事だが、大変優秀な男である。今回の旅は博士論文の為の調査も含まれている。今年論文提出予定なのでこれから修羅場が待ち受けているのだ。

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ポルボウ駅

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ポルボウの港。向こうがピレネー山脈。

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ベンヤミンの墓のある丘に立つカラヴァンの作品。タイトルは「パサージュ、ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」これは垂直の断崖に斜めに貫通した階段であるが、他にも2点ありそれらはセットになっているようだった。

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向こうは海だが分厚いガラスでここから先には行けない。

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階段から見上げる。

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近くの墓地にあるベンヤミンの墓。小石が積み上げられていた。ここを訪ねた人たちによるのだろう。

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二番目の作品。

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墓地から海を見る。

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三番目の作品。ここに昇るとはるかピレネーと海が見える。


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その後、ポルボウにおけるベンヤミンの足跡を訪ねる。

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市民センター。閉まっていたが2階にベンヤミンに関する展示があった。

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当時フランスからピレネーを超えてスペイン領へ脱出する人々。


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ベンヤミンの亡くなった場所。真ん中の赤い壁の2階奥。

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最後にベンヤミンにとって書物と都市とは何か松岡正剛さんのテキストを引用させていただく。
「...ベンヤミンが若い頃から書物を偏愛し(これは予想がつくが)、それ以上に装幀に稠密な好奇心をもっていたことにあらわれている。ベンヤミンにとって書物とは、それが見えているときと、それが手にとられるときだけが書物であったからである。その書物の配列と布置と同様に、ベンヤミンには都市が抽出と引用を待つ世界模型に見えた。

 しかし、書物も都市もそれを「外側から内側に向かって集約されたもの」と見るか、それとも「内側が外側に押し出されたもの」と見るかによって、その相貌が異なってくる。」

(松岡正剛の千夜千冊ベンヤミン「パサージュ論」http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0908.html)


今日はバルセロナ最後の一日。
ミロ美術館、ガウディの設計したグエル公園、公園内にあるガウディの住居でもあったガウディ博物館を訪ねる。
夜10時過ぎ、東京からやってきたあきお君が無事ホテルに到着。
彼とはこれから数日writing space 巡礼の旅を共にする予定である。

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以下ミロ美術館。
写真は撮れないので絵を見せられないのは残念ではあるが、この美術館は場所、建築、展示内容全てにおいて素晴らしい。

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美術館屋上から見えるバルセロナ市街。

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以下、グエル公園。

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ガウディ博物館

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ガウディのベッド。

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朝、地下鉄でサグラダ・ファミリアへ。

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僕はバルセロナも、スペイン自体も今回の旅が初めてであるが妻は二度目で30年ぶりである。当時は塔は4本のみだったが現在は8本になっている。

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その後地下鉄でピカソ美術館へ。
ここは撮影はできないので写真はない。(写真は美術館中庭)
数としてはそう多くはないがここの特徴は子供の頃の作品が沢山あることと、ベラスケスのラス・メニーナスにインスパイアされた作品群だ。

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ガウディ、グエル邸。

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バルセロナ現代美術館。設計はリチャード・マイヤー。
4人の作家の展覧会と常設展をやっていた。

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トーマス・バイルレ。

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以前ソボルさんと話をしていた時「僕の旅はいわば修道僧の巡礼の旅みたいなものです」と言った事があるが、旅も後半、ますますその色合いが濃くなってきた。
中途半端な感想を述べる余裕もなくなってきた。
今後は淡々とした記録が多くなる事と思う。
今日は宿を出て歩いてミロ公園、スペイン広場、バルセロナ見本市会場を通りミースのバルセロナ・パヴィリオンへ。
その後スペイン広場からの軸線上のモンジュイックの丘にある広大なカタルーニャ美術館へ。
その後地下鉄で移動。アントニ・ガウディのカサ・ミラ、カサ・バトリョ、近くにある現在改築工事中のアントニオ・タピエス美術館の外観を見てホテルへ戻る。

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ミロ公園

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バルセロナ・パヴィリオン。
正式にはGerman Pavillion International Exposition Barcelona。これは1929年バルセロナ万博の時建てられ、終了後解体。1986年に同じ場所に復元されたもの。設計はミース・ファン・デル・ローエ。

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丘の上がカタルーニャ美術館。階段とエスカレーターがついている。

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以下、カタルーニャ美術館。中世キリスト教美術、特にカタルーニャ地方のロマネスク美術の宝庫。

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以下、アントニ・ガウディのカサ・ミラ。
ミースと同様、ガウディについて感じる所、大いにあるけれども書き出したらきりがないのであえて省略します。ただ単に「ガウディはとても良かった。偉大なモダニストである」とだけ。そして今回の旅全体の中でオルタ、ギマール、ガレなどとの比較関係とともに見る事ができたことも。

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屋上。

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東にサグラダ・ファミリア聖堂が見える。

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カサ・ミラ内のギャラリー。

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カサ・ミラの近くカサ・バトリョ。同じくガウディ。

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アントニオ・タピエス美術館、外観。

雨模様の中12時半発のaveというスペイン版新幹線でマドリッドのアトウチャ駅からバルセロナのサンツ駅へ。

マドリッドからバルセロナまで直線距離で420~30キロくらいか。約3時間。

列車は時速300キロを超えていた。

早いのは良い事かもしれないがおかげで車両が揺れ過ぎ。パソコンで作業するつもりが気持ち悪くなり中断してしまう。

宿はサンツ駅のそばで大変便利である。

いつも苦労しながら宿選びをしてくれている妻に感謝。


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マドリッド、アトウチャ駅.中が温室、ヨーロッパで最もお気に入りの駅になりました。


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バルセロナ、サンツ駅前。


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まあどっちにしろ、毎日がmuseo三昧という至福の、かつ結構しんどい日々を過ごしているわけですが、マドリッドも今日で最終日。

朝、やはり宿から近くにあるティッセン・ボルネミッサ美術館へ。ここは世界第二といわれる個人コレクション(ちなみに一位はエリザベス女王)で、ボルネミッサ男爵という人の美術館。

13世紀のイタリアからルネッサンス、フランドル、オランダ、イギリス、フランス、ロマン派、そして印象派、未来派、キュビズム、シュルレアリズム、ポップアートの20世紀まで、膨大なコレクションである。

建物もネオ・クラシックの傑作といわれているらしいが素晴らしいし、展示も良い。作品が時代別、国別にバランスよく配置され、「西洋」美術史を学ぶための教科書のような美術館である。

かなりの見応え。写真は不可なのは残念だけどその方が絵を見る事に集中できるので楽である。

ここは親子二代でできたコレクションらしいが全く想像がつかない。どうしたらたった二代でこのようなコレクションが可能なのか。

1990年代日本のバブル期においても、「日本人が金の力で」有名絵画を買い集めたと何かと話題、揶揄の対象になっていた事を思い出す。

しかし、どう考えてもこれに比べれば日本は赤ちゃんみたいなものだったのですね。


その後、国立考古学博物館に移動。ここは見るからに巨大で、かなりの覚悟で入館したのであるが、工事中なのかどうか分らないがごく一部しか展示しておらず、完全な拍子抜け。

ここではアルタミラ洞窟の壁画を再現しているということに強い期待を持っていたので大変残念である。


その後遅めの昼食をとり一旦ホテルに戻り休息。

スペインにいるうちに私たちもスペイン風シエスタを必要とするようになってしまった。特に昼食にワインなどを飲んでしまうと絶対必要となる。スペインの人々の昼食は2時頃から4時。

夕食のレストランに客が入り始めるのは9時からである。(レストランが始まるのは8時頃)

私たちは夕食には付き合いきれず、夜の9時からレストランに行くという事はほとんどしなかった。

(そんなことをしたら、ますます身体がもたなくなってしまう。あぁ、日本のあっさりした食事が恋しいよ。)


夕方、元気を取り戻しプラド再訪。

2度目でも改めて感動。まだ見足りないがしょうがない。8時に美術館を追い出される。

ティッセン・ボルネミッサ美術館、プラドともに写真不可なので残念ながらイメージはない。


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発見の広場

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以下考古学博物館

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今日は月曜日。ここ数日のトラブルでなかなか行けなかったトレドへ。マドリッドからバスで約1時間。

トレドのバスセンターで市バスに乗り換え丘の上、城壁で囲まれた旧市街、中心部にあるサンタ・クルス美術館へ。


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サンタ・クルス美術館。


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中庭。

サンタ・クルス美術館の後、アルカサルという巨大要塞の横を通り(内部に入らず)町の中心カテドラルへ。ここはスペイン・カトリックの総本山らしい。1227年着工、1493年完成。壮大であり入り口も5つの門がある(迷いました)。

ここは聖具室がかなり大きな美術館になっていてグレコ、ゴヤ、ベラスケス、カラヴァッジョなどかなりのものがある。

しかし展示の仕方は最悪で絵はとても見づらい。

全体的にとにかく埃っぽく、空気が悪い。思わず「ここは本当にあの有名なカテドラルか」と妻に言ってしまう程だった。入場料もかなりとっているわりにはひどい印象。(だいたいカテドラルは無料のところが多い)


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以下、カテドラル。


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その後、本日の目的地「サント・トメ教会」へ。

ここはマドリッドで宮廷画家の道を断たれたグレコが死ぬまで40年住んだ自宅そばの教会。

かの有名な「オルガス伯の埋葬」がある。

この一点のためにトレドに来る価値はあるだろうと思う。


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その後グレコの家を尋ねるも月曜日で休館なので外から眺めるのみ。


昨秋、リエカで薬師寺さんと話していて「グレコは今一わからん」と言ったら、「寺さん、グレコは凄いよ。スペインに行けばわかるから」と言われていたが、「にゃるほど」本当だった。

彼の空間の変形には全く独自性がある。

グレコをみていると使い古された「デフォルマシオン」という言葉が新たな意味を持って来るように思えた。

全く熱い変形であり視覚的である。


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以下トレドからの眺め。タホ川が見える。


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夕方マドリッドに戻る。アトーチャ駅外観。


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一昨日に行ったソフィア王妃芸術センターの横を通って宿に戻る。

朝早めにアランフェスの宿からマドリッドへ移動。約1時間。

ホテルはプラド美術館の近くなので荷物を置いて早速美術館へ。

フランシス・ベーコン展もやっていたがそちらには目もくれず常設展へ。(ベーコンに興味がないわけではありません。むしろかなり好きな作家ですが。)

この美術館は世界三大美術館の一つなどと言われており、今更僕がどうのと説明するまでもないだろう。ちなみに3つとはエルミタージュとルーブルとここだ。

これで一応僕はこの三つを見た事になる。

実際、傑作が目白押し、なんというか有名性だけではなくて、とにかく全体の質が驚く程高い。

その中でも無理矢理ベスト5を上げてみる。

「ラス・メニナス」を頂点とするベラスケス、

ファン・デル・ウエイデンの「十字架降下」、

ボッシュの「快楽の園」、

エル・グレコの「羊飼いの礼拝」、

フラ・アンジェリコの「受胎告知」

順不同...かな。

リューベンスもデューラーもゴヤもレンブラントもラファエロもブリューゲルもカラヴァッジオもそれぞれ良いものがあるにもかかわらずベスト5に入らないという豪華さ、贅沢さだ。

しかし別の日に来れば全く異なるかも。


一日いて、疲れ切ったが、ぜんぜん充分見たという感じはしない。時間が足りないのと体力も足りない。

再度来る事に。

久々に自分が眼の贅沢をしている感じを味わった。

写真不可なのでイメージはありません。


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アランフェスの宿の中庭。今日は朝から雨模様。


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プラド美術館。

この日はマドリッドに向かう。(宿はアランフェスのままである)

アランフェスーマドリッド間はバスで約50分なので国分寺から銀座に行くような感じである。

実は当初、今日トレドに行く予定だったのだ。しかしここに来てアランフェス発トレド行きの列車がないことが判明。バスもほとんどない。

原因は私たちのもっていたガイドブックが古かったためだ。それにはアランフェスがトレド行きの起点になると書いてある。実際地図を見ても位置関係からそのはずだと思った。しかし多分ごく最近に路線自体が廃線になったようで、マドリッド周辺の町に行くには必ず、一度マドリッドに行き、そこから向かわなくてはならないようになってしまっているのだ。事情は詳しくは分らないが距離的に言っても何とも不都合、不条理なな感じである。

...ということで今日はトレド行きを中止して急遽マドリッド入城である。

王立サン・フェルナンド美術アカデミー、イコー美術館、ソフィア王妃芸術センターの3つを尋ねる。


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王立サン・フェルナンド美術アカデミー。

ここはプラド美術館の分室と言われている所である。

16世紀から19世紀までゴヤ、スルバラン、ムリーリョなどのスペイン絵画が中心。その他はティッツァーノ、ブリューゲル、コレッジオ、リューベンス、アルチンボルトなど。

また館内にゴヤを記念した版画専門の美術館も独立してあって現代版画の作家の展示を行っていた。


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スルバラン


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イコー美術館入り口。

フランス人建築家ドミニク・ペローの大展覧会が行われていた。

写真は不可。


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ソフィア王妃芸術センター

ここは20世紀以降の近現代美術を集めた所である。かなり大きく見応え充分である。

ニューヨークから戻った有名なピカソのゲルニカもここにある。

ミロ、ダリ、ブニュエルなどスペイン出身の作家はもちろんのこと、それ以外の作品も傑作目白押しでかなり刺激を受けた。

またここはブニュエルもそうだが映像作品やドキュメンタリーも各所で映写していて(これは近年のプロジェクターの輝度が随分良くなったせいだが、絵画作品の隣に映像が映写されていたりして)大変刺激的であった。

ここも写真不可なのでイメージはない。


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写真は不可なのだが、廊下にあったこればかりはいやがる妻に無理矢理撮ってもらった。巨大なマン・レイのオブジェ。目が開いたりつむったりします。


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終日アランフェス。
朝、宿を出て「寒いなあ」と言っていたら交差点にあった温度表示を見てびっくり零下2度だった。これまでポルトガル、スペイン南部と春のような気候だったので、ヨーロッパの北に少し移動した事を実感。それでも昼間には18度くらいまで温度は上がるし、なにより写真を見てもらえばわかると思うが日差しが強いので冬の印象はないのですけど。

終日、王宮(内部は写真不可なのでイメージはない)、島の庭園、王子の庭園、船乗りの家、農夫の家などを歩く。
ここは町自体が王(フェリペ二世、16世紀〜カルロス三世、18世紀)の離宮だったところ。とても広大。

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町と離宮をつつむタホ川。

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「農夫の家」という名前の王の離宮。

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バスでグラナダからマドリッドのそばアランフェスへ移動。6時間程。
アランフェスといえばロドリーゴのあの名曲という人が多いと思う。
僕の場合、高校3年の時に当時の小倉のジャズ喫茶で聴いたジム・ホールです。


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連日の疲れが出て足(ひざ)がかなり痛くなり、今日は博物館に行った後は僕はホテルに戻って休むつもりでいた。(もう、無理の出来ない歳なんです)
午前中はサン・ファン・デ・ディオス博物館。
こじんまりしているがなかなかおもしろい。
特に石器時代の遺物はかなり。
多分専門家がいるのだろう。
博物館近くのサン・ニコラス教会の前庭から、アルハンブラ宮殿のある丘とグラナダの町の眺望を楽しんだ後、昼食をとってホテルに帰ろうかどうか迷ったのだったが、結局バスで科学博物館へ行く事にした。
ここで思わぬ不意打ちを食らう事になる。
この科学博物館が無茶苦茶すばらしかったのだ!
新しくできたらしい巨大な体験型博物館である。展示内容、展示方法、空間ともに素晴らしい。
実際、小学校高学年から高校生まで多くの子供たちでワイワイ賑わっていたがグラナダの公共施設で入館人数ナンバーワンという話もうなずける。
正直、スペインの首都でもないし、大体スペインの博物館などそんなに大したものではないだろうと僕は舐めてかかっていたのだった。
同じ体験型を目的にしていてもミュンヘンともウイーンとも異なる展示を展開していてそのオリジナリティに大変好感が持てた。
体験の為の仕掛けはこれまでのどこよりも突出して良く出来ていた。
体験して理解してもらうための装置のデザインはなによりデザイナー自身が対象物をよりよく理解し、使用者のことを深く考えないと良いものはできない。お金も時間も愛情も必要なのだ。きれいなディスプレイをして「ハイ終わり」というわけにはいかない。

また、ミュンヘンと(あそこも素晴らしかった)比較してコミュニケーションデザインにおける正解は一つではないという事を改めて実感させられた。
うーん、勉強になりました。
同時にヨーロッパの中では後進国ではないのかという僕の偏見は吹き飛んだ。スペイン、昨年のユーロサッカーと同様、大変元気、伸びざかりという印象です。

...ということで休む事も忘れてくたくたになるまで、結局博物館三昧の一日。
俺の足は大丈夫だろうか?

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以下サン・ファン・デ・ディオス博物館

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サン・ニコラス教会前庭。

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以下グラナダ科学博物館

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