0325 ふたつの見送りが重なる。

今日は妻が帰国する日だ。

その話の前に。
早朝、大慌てで今春退任される0先生への送別の辞を書いてメールで送る。(僕の所属する研究室では年度の終わりにスタッフ全員でいつも一泊二日の小旅行をするのでその時に読み上げてもらうため)
これは昨春からずっと頭にあって考えてきたことだけど、思い出がいろいろありすぎてこれまで文章にできなかったのだ。考えてみれば先生とは大学入学以来32年間持続的にお付き合いしていただいたのだ。

もうやけくそ気味というか、校正も何もないままとりあえず、書いて送った。
今、これを書きながら重要なことを書き漏らしたことに気がついたのでここで書いておきます。今更ですが。

O先生は筋金入りの反権力、反権威主義の人だった。
僕は学生として教育を受けただけではなく後に教員として一緒に授業を組み立てたりもした。学生の頃から一貫していたことだが、この人は学生といつも対等に付き合っていた。(僕が尊敬する人は皆そうだが)
僕などは若気の至りと言うか、もともと生意気だったので学生時代から、そして助手時代もデザインや教育に関しては言いたい事は何でも言っていた。おかしいと思った事は平然と批判したりしていた。
その当時僕は青臭い原理主義者だったのかもしれない。面と向かって「先生は歩く矛盾だ!」と非難したことさえある。
しかしこの先生はいつも笑っていたし、かといって無視するわけでもこちらの馬鹿さ加減をたしなめるわけでもなく、ずっと付き合ってくれたのだった。

結果的にこの先生の僕に対する「教育」は正しかったと思う、(自分で言うのも僭越ですが)何故なら何かに対して本気で異議申し立てをした本人は結局言った分の責任を自分でとるしかないのだから。
僕自身のこの20年間は自分で行った他者(大学)に対する批判の責任(おとしまえ?)を自分なりに果たしているということなのだ。
このようなO先生の態度がそんなに簡単なことではないと理解できるようになったのはごく最近のことである。
助手がカリキュラムに対して教授に面と向かって批判するなど、他の研究室ではほとんどありえないことは後で知った事であった。
少なくとも僕の所属している研究室の良き伝統はこれであることは間違いのないことだ。
今ではO先生は僕にとって「矛盾を抱えたこの世界で、それでも笑いながら歩き続けた先生」となった。

話は今日のことに戻る。

朝8時過ぎにホテルをチェックアウト。
駅に向かう途中、こちらに来て毎朝朝食に通ったお気に入りのダイナーに寄ると今日はお休みであった。
そのまま空港に向かう。
パリから来たのとは違うルートでジョンFケネディ空港に向かうも、途中乗り継ぎを間違えて少しあわてる。最後の最後まで僕らの旅らしいと苦笑い。
しかし何とか無事に搭乗手続きも終え、空港で朝食をとって別れる。

最近、スペインとフランスで5日間旅をともにしたあきお君は我々の珍道中の様子をみて、妻が先に帰る予定だと聞いて「せんせー。ひとりで生きて行けるんですかぁ?」と言った。
さすがにこいつ突っ込みが鋭いなと思いつつ「何を失礼な。一人で充分僕はやっていけますよ!」と答えたものだった。「1週間程度ならね。」

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マンハッタンに戻り、ホテルの移動。今度はパークアヴェニューの30丁目。

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