0806 hiroshima, nagasakiを思いながら

3日、おかちんとクロアチアに戻る列車で偶然私たちのいるコンパートメントに「ここ空いてますか?」と入って来た人がいた。アジア人の若者で聞くと台湾の美術大学のファインアートを学ぶ学生であった。少しの時間だが話をした。彼がドイツを旅している理由は自国の歴史に対する向き合い方を学びたいという理由であった。
「台湾では過去に対してちゃんと向き合っていないと思うのです」と。彼はこの後台湾で兵役を終えた後ドイツに留学したいと語っていた。
彼の話を聞きながらちょうどおかちんと同期でその後視デの大学院に進学した荘(ツァン)君のことを思い出した。僕が修了論文の指導担当だった。彼のテーマは台湾のグラフィックデザイン史1895年〜1995年であった。台湾にはこれまでそのようなテーマの本格的な研究がなく、私自身も疎かったがとにかく資料を集めようということになって、荘君は何度も台湾と日本を行き来したものだった。実際特に戦前の資料を集めるのは難しく、また戦前を知る人へのインタビューも困難を極めた。台湾はスペイン、中国、日本と植民地化された歴史があり、その歴史に対する認識は大変複雑である。例えば台湾にも1930年代にモダニズムの運動はあったがそれはヨーロッパからの影響ではなく日本を経由したものだった。そういった明らかな事実関係をちゃんと記述するだけでも充分意味のあることなのだと彼をはげましながら、僕自身も教えられる事、考えさせられる事が多々あった。何度も挫折しそうになったが何とか荘君は論文を書き上げ卒業し今は台湾のニューウエーブデザイナーとして活躍している。(2年程前に原宿のスパイラルで作品が展示されていた)彼の論文はこれまで誰も書く事のなかった台湾のグラフィックデザイン史となった。何故か視デの他の先生方はあまり興味を示さなかったが私の中では個人的に「優秀賞」ものの力作であった。今でもそう思う。
そんなことを思い出した。
歴史に自虐的でも放漫でもなく向き合う事は確かに難しい。それがギリシアやトルコで見たもののように6000年とか3000年前のものならばそうでもないが、100年、200年というスパンでは急に難しくなる。今回ドイツを旅していてそれを強く感じた。確かに台湾の若者が語ったようにドイツ人の歴史に対する態度は徹底している。それが博物館や美術館のディレクションに明確に現れていることは確かだ。
ドイツに限らないと思うが20世紀の前半、ノイラートたちが夢想した博物館のあり方とそのこと(現在の状況)は無関係であるはずがないのだ。彼らの掲げた夢想というか理想は第二次大戦という悲惨な状況を乗り越えて今に生き続けているのではないか。
ノイラートは「言葉は世界を分ち、絵は世界を繋ぐ」と語っている。

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おかちん。ヴェネツィアに向かう前の別れの朝。彼とは久しぶりに沢山話せました。とても立派に成長していて驚きました(見た感じは変わりませんが)。ニューヨークという街で様々な国の人々と切磋琢磨しているからこそなのだと実感できました。
「学生時代に求めていたもの、デザインのスキル、プログラムのスキルそしてコミュンケーションに対するアイデア、それらが最近やっと手に入ったような気がします」という言葉に感慨深いものがあったよ。この旅の後いよいよ修了制作の1年が始まるがその成果が楽しみです。
このブログを見て彼に興味のある人は以下を参照して下さい。
http://okada.imrf.or.jp/

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おかちんをバスセンターまで送った後、ソボルさんとマイーダさんが滞在許可証の申請のため一緒に警察まで行ってくれた。

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