1012 欠落の発見。マレーヴィチ、アムス市立美術館覚え書き。

アムステルダム(オランダ)ではこれまで書いて来たようにそれこそ気持ちが悪くなる程(?)たくさんの素晴らしいものを見てきたにもかかわらず、ずっと釈然としないというか引っかかるものがあった。
旅の途中ではその理由は当然分かるはずもなく、ただ単にもやもやした感覚だけが残っていて、それをこちらに戻ってからもずっと引きずっていた。(それは10月9日に書いたオランダ覚え書きにもある。

その理由が何となく分かったのはゴッホ美術館で買ったマーレヴィチの図録を読んでいてであった。
私が9月30日に見たマレーヴィチの素晴らしいタブロー群もウエルクマン(H.N.Werkmanヴェルクマン?)の作品もゴッホ美術館の収蔵ではなくアムステルダム市立美術館の収蔵品であった。この市立美術館(Stedelijk Museum of Modern Art)は2008年までの予定で改装中で、その間一部を中央郵便局に移転展示しており、しかも私たちが訪れた前日になんとその中央郵便局も工事で閉鎖され、結局見る事のできなかった美術館なのである。
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/0930rembrandtvermeerghghmalevi.php
http://www.esporre.net/terayama/2008/10/1001-1.php

推測するにおそらくゴッホ美術館が展示場所のない市立美術館に場所を提供していたのだろう。
何故、アムステルダムにこれだけまとまったマレーヴィチがあるかというと上に記した図録、「1878-1935 Kazimir Malevich─Drawings from the collection of the kharzhiev-Chaga Art Foundation」によれば、革命後10年、国内での保守派との政治闘争に敗れた(本当はそんなに単純ではないがあえてそう書きます)マレーヴィチが1927年にワルシャワとベルリンで行なった展覧会の作品がその後の第二次大戦などの混乱でロシアに戻らず、それが(まるごと)ここ市立美術館にまとまって残っている理由だったのだ。
またそれに加えて、ロシアのマヤコフスキー研究家でマレーヴィチと直接つきあい、彼の重要なドローイングの多くを個人的に所持していたN.I.カルジエフ(発音はよくわかりませんKHARDZHIEV1903-1996)が、ペレストロイカの後1993年にアムステルダム市立美術に寄贈したものも加えられたのだった。
これにもドラマがあって90歳のカルジエフはそのドローイングの半分は持って来れたのだが、残りはロシアの空港で警察に差し押さえられ現在はモスクワにある。その後カルジエフはロシアに戻れず奥さんとともにアムステルダムで93歳で客死しているのだ。

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マレーヴィチのドローイング

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マレーヴィチのドローイングを見ていると自分の手で追体験(模写)したくなる程魅力的だ。
あのリベスキンドの初期のドローイングもリシツキーの影響というよりはむしろやっぱりマレーヴィチかと...。
この実感は僕にとって少なからず衝撃であった。

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マレーヴィチとカルジエフ。1933年。

結局、ここで言いたかったのはオランダがデザインのモダニズムに関する研究にとって最も重要な場所だと僕が感じていたのは、基本的にこの市立美術館によっているということなのだった。
これはおそらくこの美術館に歴史的に優れたキュレーターが何人もいる(いた)ということを示しているのだろう。
今回残念ながら僕はそれと出会う機会を逸してしまったのだ。
「せっかくオランダに来て、肝心のモダン・グラフィックのコアがないのは何故だろう?こんなはずじゃあないだろう」と感じたわけがやっとわかったような気がしている。もやもやと苛々の原因。

もちろん旅の出会いは時の運。その事自体は理由がわかった以上そんなにくやしいとは思っていない。もやもやが晴れたのでむしろすっきりしました。
帰国したら図書館でこの美術館(とハーグの市立美術館)が出した出版物を系統立ててちゃんと読んで、必要ならばそれから改めてまた来ればよいと思う。少なくとも3〜4年はかかるだろう。そのころにはいくらなんでも改装も終わっているはずだ。
新たに宿題が加えられました。

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