0410 W.B.イエーツと西脇

展覧会を見ながらふと西脇順三郎のことを思い出した。10代の終わりから20歳代の始めころ西脇の詩に入れあげた時期があったことを思い出したのだ。確か西脇はイエーツの研究を行っていたか、あるいは影響を受けたのではなかったか。イエーツとパウンドとエリオットがほぼ同時代の詩人だったはず。確かな事はもううろ覚えだけれども、思い出したのはそのせいだ。そしてイエーツから何故西脇なのかといえば、今回の長旅の予定の中、一ヶ月以上もギリシアに時間を割いているのは少なからず、30年前の西脇の詩の影響があるように今、ここにいたって思い当たる節があるからだ。ギリシアの神話的古代と現在の侘びた日本の田舎との時空の不思議な交感のようなものを自分は西脇の詩から感じ、大学に入学したての自分は下宿している近所の田舎の木立の中を自転車で走りながらギリシアと自分にとっての神話的原風景である故郷での幼い記憶を重ねつつ西脇のまねをして彷徨ってみたのだった。

永遠の旅人かへらず

(だったか?すいません。これを書いているのはだいたいギネスを飲んだ後か飲みながらなので、いい加減なところがあっても適当に聞き流して下さい)

例えば45歳のころ子供達だけで親に内緒で食べた野いちごの味や、大人のいない切り崩された石灰の真っ白の広大な地面の上、雨の後にできた水たまりを泳ぎ回る無数のオタマジャクシの群れ、その上に映る刻々と変化する夕暮れの空の色などを。

この時、年齢的には幼いはずなのに過ぎていく時間への恐怖を感じた事はしっかり今でも覚えている。

イエーツはアイルランド独立のただ中でゲール語の復興運動を行っていたという。彼も左目を失明している。彼のテキストを改めて読み直してみたいと思った。

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古本屋で12ユーロ。やっぱり少し高い感じはありますね。

まあ、英会話の本を読むより面白いかと...。

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