0428 リエカ大学図書館へ。

朝、マイーダさんから電話連絡。今日リエカ大学の図書館に彼女が電話をしてグラゴール文字に関した展示室を見れるかどうかを訪ねてくれたのだ。その結果OKが出て図書館に12時に向かう。

グラゴール文字は世界でも数少ない作った人間が特定できる文字である(例えばハングルと同様に)。860年前後にキュリロスとメトディオスという正教会の神父によって聖書をギリシア語からスラブ語に翻訳する為に作られた文字である。話せば長くなるがこの文字はキュリロスの弟子たちによって改良され現在ロシア等で使われているキリル(キリルはキュリロスがなまったもの)文字になった。その後正教会の勢力拡大によってグラゴール文字よりもキリル文字の方が広く使われ、グラゴール文字はカトリックのクロアチアの聖職者によってのみ近代まで用いられたのである。この文字はまずイスタンブールで生まれ、現在のクロアチアへ伝えられ、ブルガリアやマケドニアに広がったという。そのような意味でこの文字はクロアチア人にとっては特に重要なアイデンティティともなる文字なのである。その最も古い石に刻まれたテキストが私たちの今いる所から見えるアドリア海のクルック島で発見されたのである。

図書館の展示はかなり充実したもので歴史的経緯や変遷がよくわかるものであったが一般公開されてはいない。学芸員のアンナさんがつききりで説明しながら見せてくれた。彼女は「私は英語が得意じゃないので」としきりに謙遜するが逆に私たちには大変分かりやすい解説となりとても良かった。石に刻まれた文字は明日クルック島に行くのでまた改めて記する事になるが興味深かったのはまず、マニュスクリプト(手稿本)で、これは1617世紀過ぎまで続けられたという(一般書ではないので活版印刷の方がコストがかかるのだ)。とても美しく印象深いものであった。また活版印刷も行われたのだが最初のグラゴール文字の印刷物は1480年ころには作られている。この本がとても美しいので僕が「ヴェネチアの影響があるのですか?」というとアンナさんは目を輝かせて「そうなんです!グラゴール文字で印刷された最初の本はリエカではなくてヴェネチアで印刷されたものです」と答えた。アルド・マヌティウス、あるいはニコラ・ジャンセンを思わせもする大変シンプルかつ美しいタイポグラフィックな書物なのだ。ただアンナさんは私の質問に対しどこの工房で刷られたか、誰が活字を設計したかはわからないという。ただフランコ・パーリというビショップ(ルーテリアンと言っていたように聞こえたが...)がヴェネツィアから印刷技術とともにグラゴールタイプをリエカに持って来たらしい。とても興味深い話である。ではリエカにはその古い印刷所なりそれらのことを展示したような博物館はないのかと問うと、残念ながらよく分からないのだという答えであった。「何せ古い話だから」と。ただ一つだけ思い当たるミュゼがあるのでマイーダさんに探してもらえとその名前をメモしてもらった。まるで探偵みたいだが次の探索の糸口になるかもしれない。明日はクルック島の奥地まで行って石盤を見るつもりである。

その後昨日に続いて再度(正確には三度目)、旧市庁舎の美術館に行った。ドアは開いていたので中に入ると「まだやってない。明日だ」と言われた。美術館の前の大きな垂れ幕には28日からスタートと明記しているにもかかわらずである。ちょっと信じられない。縁がないのかも。

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マニュスクリプト

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この支持体はペルガモン。

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印刷楽譜

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活版印刷

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フランコ・パーリ像

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点は発掘、発見されたグラゴール文字の石盤、印刷物の場所。

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かなり危険な階段。悪夢に出てきそうだ。

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