朝9時のバスでザグレブへ。12時到着。さすがに首都だけあってリエカよりはずっと大きい(しかしロンドンや東京に比べれば驚く程小さな首都である)。
博物館や教会など街の主要なものを徒歩圏内で見て回れる。
(ここから先は僕の本に関するきわめて個人的な記録なので興味ない人は飛ばして下さい。)
そして一渡り見た後、古本屋があったので2軒ほど覗いてみた。グラゴール文字について欲しい本があったので訊いてみたが置いてなかった。ザグレブへはまた来る予定もあるし、そろそろ宿に帰ろうかということになってぶらぶら歩いていた。そうしたらいつもの本の神様がまたもや唐突にやってきて奇跡を起こしてくれたのだ。(このことについてはかつて一緒にパリを散歩していて現場を見たことのある陣さんは説明抜きで信じてくれると思うのだが、僕には本の神様がついていて時々必要な場所に思いがけなく連れて行ってくれることがあるのだ)。今回も歩いている途中、通りからたまたま普通ならば入らないような路地がふっと見え、何故かそこにその時だけ吸い寄せられるように入る僕なのであった。妻は突然の僕の不審な行動に何事かと驚く。路地の奥はなんてことのない中庭になっていて地元の人だけが集まるような小さなカフェがあるだけ。何もないし人もいない。ただその向こうにガラス張りのビルの一角が面している。その佇まいが何となく銀座のgggギャラリーを小さくした感じなのだ(わかる人にはわかると思う)。なんの事前情報も無いのだが吸い寄せられるように迷い無くそこに入る僕。するとそこは予感どおりグラフィック専門のギャラリーで、何かの展示のオープニング5分位前だったのだ。人がにわかにごったがえし出し、テレビカメラのクルーもいる。まるでそこに呼ばれたゲストのようにいる僕(多分謎の東洋人に見えただろう)。その奥にメインエヴェントのように飾られてあったのが写真の本である!そばにいたおじさんに自己紹介し、突然でしかも偶然で申し訳ないのだがこれはいったい何の展覧会かと聞く(後で考えればとてもおかしいシチュエーションだ)。そのおじさん(ひょっとしたらクロアチアで有名なデザイナーの一人だったかもしれない)はとても親切に答えてくれる。ここのギャラリーのオーナー(あそこにいるけど今テレビのインタビューで忙しそうだ。ちなみに若い女性)がこのたびユーゴスラビア1920年代の主立ったアヴァンギャルドの雑誌(ざっとみて20冊は下らない)をコンプリートにリプリントし、今日はそのお披露目のパーティーなのだという。そのリプリントの中にはあのリシツキーが表紙をデザインしたゼニートが燦然と輝いているしダダもある。ゼニートについては今までオリジナルを見た事はなかった。そうこうするうちに会場は人で溢れ出すしオーナーの彼女とはどうせゆっくりは話ができそうにないので立派なパンフレットをもらい、トルコ旅行のあとちゃんとアポイントメントをとって来ようと決め会場をあとにしたのだった。
当然僕は興奮していた。
(あのおじさんに)ゼニートは本当にここザグレブなのか?
表紙にはベオグラードって書いてあるじゃないか?
いやここザグレブで発行されたのだ!
1922年という年はリシツキーがモスクワからベルリンに行き二つの正方形の物語やベシチをデザインした輝かしい年だ。ということはベルリンへの途上でユーゴスラヴィアに寄ったのか?それともその後の進歩派芸術家会議によるものか、頭を想像がぐるぐる駆け巡る。
(こういうことを奇跡と言わなくて何と言ったら良いのか?何で彼女は今ここでリプリントをしたのか。そのお披露目が何故今日なのか。何故その日に僕はザグレブにいるのか。なぜあの時間にあそこを僕は通りかかったのか。何故あの路地に何かあると僕は感じたのか。)
12年前パリの古本屋で同じようにリシツキーの「USSRコンストラクション」を発見し、翌々日に「声の為に」に出会いそれがきっかけとなり日本で展覧会を企画し本を作るはめになったのだった。今回大英博物館でパスをもらえたことやグラゴール文字と滞在先の関係など、密かにいつもの本の神様の差配と感謝はしてはいたのだが、まさかリシツキーのゼニートにここで引き合わされるとは!
リシツキーが「もっと研究を深めよ!」と言っている。いやそう言っているのは僕の本の神様か。
宿のそば
ザグレブ考古学博物館。ザグレブで最も古いエレベーター。
ザグレブ歴史博物館
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