0605 トルコ旅行覚え書き2 人々。

ザグレブで見つけた「ゼニート」というアヴァンギャルド機関誌について調べるためどうしても英語--クロアチア語の辞書が必要になり買い物に出る。ついでにコンチネンタルのネットカフェでブログの更新。その他食料や日常品の買い出しなど。

一日はおおむねクロアチア語、英語の勉強と資料の読書や整理であっといまに過ぎていきます。

 

トルコ覚え書き2

このブログにも何度か登場した私の個人的トルコ旅行アドヴァイザーであるえびりん(ちなみに彼女は版画家で毎年、銀座で個展をしています)から聞いた話に以下のようなものがあった。(無断使用をお許し下さい)

かつて120年程前日本を訪れたトルコの使節団(まだトルコにスルタンがいた時代ですね)の船が帰路、台風のせいで不幸にも串本沖で座礁し、打ち上げられた人々を串本の貧しい漁民たちが親身に助けたのだという。その話は伝説としてずっと今日までトルコでは語り継がれていて、彼らの親日感情の背景にはそのことがあるという。えびりんの話で感動的なのはその後で、実に最近の湾岸戦争時の話に移ります。

かのフセインが「イラク上空を飛ぶ飛行機は全て撃ち落とす」と言って、実際何機か撃ち落とされていた時、イラクには逃げ遅れた日本人(商社関係の人など)がいたそうだ。いつものことながら在留邦人には冷たい日本政府は当時、早々に彼らを見放してしまったのだった。これら絶望的な状況の日本人に救いの手を差し伸べたのがトルコ政府で、彼らはその為のチャーター便を飛ばし無事多くの日本人が救われたということなのだ。ひょっとしたら同じ回教徒の国なのでトルコ航空機は撃墜される確率が少なかったこともあったのかもしれない。しかし安全である保障はどこにもなかったはずだ。恥ずかしながらえびりんにこの話を聞くまで僕はこの事実を知らなかった。自国民が関係しているならばいざ知らず全く関係のない日本人に対するトルコのこの行為はかつての串本の日本人に対するトルコ人からのご恩返しだったようだ。実際日本人の商社マンたちは涙を流して感謝したらしい。

...とここまでの話は事実であり美談である。

しかしえびりんの話はこの後、暗いアイロニーへと転調するのであった。何故ならばかつての串本沖で救われたトルコ人とは異なり、湾岸戦争で救われた時には涙を流したはずの日本人は帰国後そういった事実を日本人にはほとんど伝えていないという事実があるからである。もともと、外国を旅する日本人に冷たい日本政府や外務省(そもそも一旦は見捨てたのだから後ろ暗いので)は宣伝するわけがない。しかし、100年以上も前の借りをしっかり返す義理堅いトルコの人と、危機が自分の目の前から去れば恩も忘れる日本人とは何なのでしょうねとえびりんは寂しそうに語ってくれたのであった(勝手に脚色してごめん)。

 

さすがに今回の旅では僕に串本の恩を返させてくれとも、湾岸戦争の借りを返せとも言ったトルコの人はいなかった。しかし「日本人は表面上ではニコニコ笑って親密な態度なんだけど、本当はいったい何を考えているのだろう?日本人は素晴らしいと思うが旅の途中に示す親密な態度は本物なのか、その場しのぎなのか私にはわからない。私は日本人を信じたいのだけれどあなたはどう思いますか」と訴えてくる若者がいたのは事実である。また「日本と韓国はトルコ人から見ると同じに見えるがその関係はどうなっているんだ」(関係=コネクションと彼は言ったのだがそれは2000年にわたるコネクションなのか最近のことなのか、政治的なことなのか、文化的なことなのかよく分からなかった)とか「私たちは英米人から何でトルコ人は日本人や、中国人に対してそんなに親切なんだと言われるくらい私たちは日本人に親近感を持っているのに日本人は私たちに対してどうなんだろう」という結構(人種差別的な問題も含む)複雑な疑問までも投げかけられたのであった。私は旅に忙しい日々を送っていた。しかし夜遅くブログなどを宿の人気の無いレストランなどで一人更新しているとよく話しかけられたのだ。彼らの何気ない質問は仮に日本語で話すにしても微妙で難しい話であった。それを英語で問いかけられたのだからかなり難儀しました。実際僕の答えは無茶苦茶なものとなったと思う。本当はそっとしておいてほしかったのだけど、僕はそんな質問を誘発するような顔をしていたのだろうか?(ひげのせいかもしれないが「お前はこれからジャーミーにお祈りに行くのか」といった冗談を二度程言われた)

しかし僕もご存知のようにこのブログで迂闊にも「トルコ人の考えていること、その真意がどこにあるか分かり辛い」とか勝手なことを書いてしまっていたのだが、苦笑ものだが彼らも日本人に対して同じような疑問を持っていることがわかって興味深かった。またこのような状況下、自分の母国のこと(あるいは母国と中国、朝鮮半島、東南アジアの国々との関係)を母国語以外の言葉で話すという経験は重要なものだとも感じた。

 

もちろんたかだか一ヶ月弱の滞在でトルコ人についてとかトルコについて僕が語れるわけは無いしそのつもりもなかったのだ。しかし彼らの質問はそのような僕のありきたりの答えを認めないたぐいの真剣さがあった。例え短期であったとしても意見を求めて来る彼らの直裁さというものは貴重なものだとも思った。例えば日本人が日本に来た外国人に「日本はどうですか?」と聞く儀礼的な質問(はじめから真剣な答えなど期待していない)と彼らのそれとは異なるように思えたのだ。彼らの多くは儀礼的な返答を好まないようだ。実際僕はどこまで話せば良いのか迷いました。それは日本人特有の「良い加減」と彼らの背後にいる「アッラー」のせめぎあいなのかどうかは分からないけれど。

 

少なくとも僕は今回の旅で多くのトルコの人にもらった沢山の(時には不思議な)親切と暖かみを忘れないことくらいはできると思う。


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