宿を替わる日。これまで滞在した場所はテルミニ駅から10分くらいの所で比較的便利な場所であった。東京駅に対する日本橋とか銀座の感覚である。今後の事も考えて後半は地下鉄で中心部から少し離れた場所を選んでみた。地下鉄B線の最後の駅、レビッビアである。それでもテルミニから15分弱。地下鉄の車両は落書きで表も内部も悲惨な状況である(後で全ての車両ではないことが分かったが)。レビッビアまで来ると完全な郊外の住宅地である。新しい宿は駅から4〜5分なので思ったより不便ではない。一旦荷物を預け再びテルミニ駅へ戻る。
今日は月曜日で美術館関係は休みが多いので、ローマ巡りのバス券(1日16ユーロ、ダブルデッカー)を購入し、遺跡巡りと町巡りをすることに。このバスは終日、何度でも乗り降り自由でかなり頻繁に走っている。まずは日本語のガイドを聞きながら約1時間半かけてローマの町を一周する。テルミニ駅で一旦昼食後、次はコロッセオで下車、コロッセオ、カラカラの浴場跡、パラティーノの丘を散策。といってもコロッセオには博物施設もあり、パラティーノの丘も同様で、しかもかなり広大で4時間はかかった。真夏の暑さであった。サングラスだけではだめで帽子をしなければ目が参ってしまう程、光がきつい。考えてみればこの季節、日本では梅雨である。ヨーロッパの夏は長いのだと実感する。その後、夕暮れのサンピエトロ寺院に行く。宿に戻ったのは9時過ぎであった。その後0615の更新をして1時就寝。
バスの車窓から
コロッセオ。
コロッセオ内部の展示。なかなか凝っていて好感が持てた。
コロッセオからコンスタンティヌスの凱旋門を見る。
コロッセオから松並木(サン・グレゴーリオ通り)を通ってカラカラ浴場跡に向かう。2キロくらいか。
浴場競技場。入り口を間違えてこの競技場を一周するはめに。
カラカラ浴場跡。なんと午後2時までで入れず。
閑静な良い場所だったのでまた機会があれば来る事にしようと思う。
歩いてまたコロッセオのそばパラティーノの丘へ。以下パラティーノの丘
スタディオ
パラティーノ博物館
パラティーノの丘から東を見る。
丘から北を見るとフォロ・ロマーノが見下ろせる。この角度からかつての市民たちは皇帝の凱旋を見ていたのだ。
丘をおりる。
以下サン・ピエトロ広場と寺院。
ピエタ
下に見えるのがピエタ。
長い夕暮れ
三たびテヴェレを渡りテルミニへ。
寺さんこんにちは。
先日ムサビはオープンキャンパスでした。
久しぶりにゼミ部屋にたむろって、レジュメがどうこうなど言いつつ、
居酒屋でぎゅうぎゅうになって呑みました。
ローマの日記はいくつか行ったところがかぶるので見ていて懐かしいです。
カラカラ浴場とか、フォロ・ロマーノとか、ピエトロ広場等・・・
地下鉄の汚さに驚いたのも一緒です笑
駅の改札で見てると、キセルしてる人が多いんですよね〜
ちゃんと回収すれば駅もきれいになるのに!と皆で話してました(よけいなお世話でしょうが)
そちらは暑そうですね、日射病、熱射病等々にはお気をつけて。
こんばんわ ☆
今年、日本は空梅雨みたいです。
気温の変化の方が激しかった〜
でも、さすがに湿気てきました
梅雨には梅雨の良さがありますし、
梅雨があるからこそ日本という感じもしますが
気持ちも湿気てくるからイヤです・・・カラッといたい
ピエタに感動しました
上手く表現できませんけど、静かですね
そういえば!イタリアのゴミ騒動はどうなったんでしょう?
マフィアが「すぐに静まるさ」とテレビでコメントしてましたけど、
写真からはゴミが感じられませんね・・・ローマは関係ないのかな
ナポリだけの問題でしたっけ?
かめたり。
なんで卒業したはずの君がゼミ室にいてレジュメの話をしているのだろう?朝これをみて一瞬「僕は実は旅をしている長い夢をみているのではないか」と思ってしまったよ…。
ところでカイマクルの地下都市!の件、旅の途中では思っていても書く暇がなかったけど、君も当然思う所あっただろうね。君の顔がちらちらしていました。君に限らずこれまでのゼミ生と院の学生たちのテーマ(約200)はほとんど頭にインプットされたままなので、何かものを見るたびに「ああ、あいつにこれ見せなきゃ」とか「ああ、今だったらこんなことも言えたのに」とかばっかり考えているよ。当の学生は忘れてしまっているかもしれないけれど、本当に我ながらまじめというか、あほというか。因果な商売だ。(楽しいけれど)
チッチ。
ローマは関係ないようです。地下鉄もB線だけがきたなくてA線は驚く程きれいでちゃんと冷房も効き、モニターも何台もあってスリご注意のかわいいアニメを流し続けていておもしろいです。
寺山先生こんにちは、気候の方には慣れましたか?
最近の画像は、丁度授業で習っている彫刻や建物が出てくる時もあり、
行った事も無いのになんだかニヤニヤしてしまいます。
(17日のスカラベもそうですが)
15日の日記のローマ国立博物館の「鉄の書物」、とても気になっています!
自分で調べてみようとしましたがうまく探り当てられず、
新島先生に尋ねてみましたが、
先生はただ写真を見ながら「くそーっ」と羨ましそうに笑っておられました。笑
これは、鉄のカバーで、その下の写真の石盤(?)等が収められていたのでしょうか?
もちろん他にも、気になる画像が沢山あります。
自分でも調べてみようとは思っていますが、やはり先生からお話を聞きたいです。
道中お気をつけて、沢山資料を持ってかえって見せてくださいね。
院生は皆、忙しいですが元気です。(福岡さんとはよく、この日記の話をします。福岡さん、面白いです。)
かめたりと同じになりますが、日射病等にはお気をつけください。
ふじさわへ。鉄の書物の状態は君の言う通りです。ただ詳しくは僕にもわかりません。どうみても青銅ではないので一応鉄と書いたまでです。これまでにも金属製の書物や文字盤はありました。法律や契約に関するものが多かったように思う。大学院での研究は本では簡単にはわからないことがテーマになるからおもしろいんですよ。(つまりまだ誰も手を付けてないテーマだからこそ)もっと探索しなさい。
その前後の記述の歴史状況から類推するしかないこともあると思います。まあ、人間は粘度版にも、骨にも石にも、葉っぱにも人間の体にさえも文字を刻まずにはいられなかったので鉄の本があってもめずらしいことではないと思います。
スカラベは忘れたくない思い出が書かれたものが多いそうです。例えば王様の墓を作ったときの思いでとか。
それはそうと、新島先生をあまり刺激しないで下さい。
ただでさえ今頃は恐らく(全学年にわたって担当の)学生の数が多くて苦労されているだろう時に、寺山が不在である事をあまり思い出させないようにして下さいね。