ツアー中はネット環境が悪くブログの更新はもとよりメールすら見れない状況が続いた。ここアテネでも今一つ不便でゆっくり考えながら更新することができない。限られた時間の中でデータをとりあえず、載せている状態が続く。
ギリシア(アテネ)を自由に歩き回れるのはあと二日だけとなった。
この日はアクロポリスを中心に歩き回る。パルテノン神殿、イロド・アティコス音楽堂、ディオニソス劇場、アドリアヌス門、ゼウス神殿、アドリアヌスの図書館、ローマン・アゴラ、風の神の塔、古代アゴラ、ヘファイトス神殿、アタロスの柱廊博物館などなど。
旅の途中なので直感的なことしか書けないが、ここはこれまで見てきた遺跡とは異なる印象を受けた。それはまず単純に遺跡が町中、しかも巨大都市の中にあるということによると思われる。最初アテネに到着してホテルの屋上テラスから見たアクロポリスの丘は、それ以外の喧噪に包まれた町と比較して頼りなげというか、単なる文化遺産だから残してます、観光名所だしという感じを受けた。しかし今日歩き回ってみて感じたのは、表層はそう見えるのだが、実は第一印象と全く異なっている事に気づいたのだ。
この町には神殿が建てられたころからあった磁場がそのまま強烈に残っていると感じられる。
都市の中にある遺跡ならローマだってあるじゃあないかという話にもなるのだろうが、ローマははっきりいってここほどの磁場はない。ローマはローマ人の都でもあったがむしろ、キリスト教徒の都であり、ルネッサンスであり、なによりバロックの都なのだ。ローマ人もギリシアを見倣って神殿を作ったがここに来てみるとローマ人とギリシア人の神殿に対する構えと言うか何と言って良いかわからないが(本気度?)、とにかく異なると感じるのだ。異質というよりもギリシア人の方が空間の聖性に対する感受性が圧倒しているのではないかと思えた。ギリシアを支配下に置いたにもかかわらず、(実際、武力、経済、政治と多くにおいて優っていたローマが)こと文化に関する事はずっとギリシアに対して謙虚であり続けた理由が少しだけ分かったような気がした。
これは少なからず新鮮な感動であった。結局、異教(キリスト教や回教)、近代産業社会、消費社会と町を覆っているものは替わっていくのだが、それでも簡単に消えないものを作った人々に改めて強い関心を持った。
それを可能にしたものは何だったのだろう。
そういえば歩きながらかつて学生時代に読んだ多木浩二さんと前田愛さんの空間のコスモロジーに関するテキストが頭に浮かんだのであった。またこの場所はギブソニアンならば「ヴィスタ」について考えさせられるのではなかろうか。
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