1104 驚異のコレクターとザグレブ・デザイン・コネクション

朝10時過ぎにホテルへ車で迎えに来てくれたあきこさんと昨日レセプションのあったHDLUクロアチア芸術協会美術館のフランチェスキさんを訪ねる。
彼とあきこさんの車で早速コレクターのスダッチさん宅を訪ねる。丘の上のザグレブ旧市街のさらに奥は高級住宅地で大統領官邸もある美しいところである。そこにスダッチさんの家はあった。助手の方と我々を迎えてくれた。

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ジーコ似の大コレクター、スダッチさんと。
これはスダッチ邸を辞す時に撮ったものだけど、我ながら興奮して頭に血が上った時の顔をしてますなあ。

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左からあきこさん、スダッチさんの助手(名前失念)、フランチェスキさん、スダッチさん。
あきこさんは10月15日に知り合った桐谷さんが紹介してくれた方で、ニューヨークでアーティスト活動した後クロアチア人の旦那さんと結婚し、今ザグレブに住んでいる。今回のミーティングのお手伝いを快く引き受けて下さった。前日のレセプションで既に旦那さんとも挨拶済みである。
旦那さんは高名なイラストレーター、コミック、映像作家でミルコ・イリイッチと同様にニューヨークで活躍した後、現在ザグレブ芸大でアニメーションを教えている。
あきこさんには通訳ではなくて、僕がへたでもとりあえずがんばってしゃべるので横にいて分からない時にヘルプして下さいとお願いした。頼り出すときりがないので。
フランチェスキさんは最初HDLUの主任学芸員のような立場だろうと勝手に思い込んでいたのだが、どうも館長のようである。まあ肩書きなどどうでもいい話であるが。ほとんど僕と同世代である。

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そこからの出来事は書き出したら簡単には済まなくなるものであった。
とにかく彼は途方もない量のコレクションを惜しげもなく見せてくれた。というか全くみきれない分量である。
範囲もアヴァンギャルド時代のグラフィック・デザインの領域を超えて現代美術まで含まれているし、例えばクロアチアの有名なアニメ作家の場合、絵コンテ、セル画も根こそぎ持っているのだ。雑誌も微妙にサイズが異なっていたり、検閲が入ったものなどの複数ヴァージョンも。
ある種の狂気というか何と言うか。
現在の日本のコレクターも何人か知っているが全く比較にならない。むしろ(会った事はないが)昔の日本の財閥、五島慶太や益田飩翁などが想起される程そのスケールがでかい。
彼は37歳と若いが自分で会社を経営している。洗濯機を作る会社と建築会社のようだ。そこで儲けた金を全てコレクションに注ぎ込んでいるらしい。
大学教育とは全く無縁であるという。
「いつからコレクションを始めたのか?」という質問に「生まれた時から」と冗談を言っていたが、僕が今回見せられたデザインに関するものはたかだかここ数年と言っていた。これも信じられない。
僕の編集したリシツキーの本を見てそれが大学のコレクションだというと「これ皆ほしいなあ。売らないのか」と冗談を言っていた。「売るわけねえだろう」と思いましたが冗談に聞こえない所が凄い。しかも後で分かったのだが、彼は金にあかして買い集めたのではなく周りの人がその価値に気づかない時期に根こそぎ収集していたという。それを知ったフランチェスキさんが展覧会をリエカで行い(それにマイーダさんが関わっていた)それで市場では急激に価値が高まったらしい。結局かれは損をしていないのだ。もちろん売って儲けようなどとは思ってないようだったが。
日本のアヴァンギャルド、柳瀬や村山にも興味をもっているらしく、今回待ってましたとばかりにいろいろ質問された。

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戦後ユーゴスラヴィアを代表するグラフィックデザイナーのグワッシュによる原画。
この作家は数日前に高齢で亡くなったという。

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アニメーションのキャラクター設定のスケッチや音楽のスコアなど。

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始めのうちは写真をメモ代わりに撮っていたが、あまりにも膨大な量に途中からばからしくなってやめた。

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スダッチさんのコレクションのみで行われた展覧会(リエカ)の図録。
編集はフランチェスキさん、マイーダさんも英語の翻訳で関わっている。

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ユーゴスラヴィアのアヴァンギャルドはミチチ率いるゼニートと旅団(travelers)という二つの集団があった。彼らの写真、往復書簡やメモなども全てスダッチさんは持っているのだ。

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戦後のアヴァンギャルドも当然のように。

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これはもっと最近の現代美術中心の図録。背が10センチ近くある大部のもの。

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これも。

ともかくいつまでいても見切れないので、「また来たければいつでもどうぞ」という話になって皆で遅めの昼食(2時を過ぎていたか)に行く事に。
途中彼の建てたビルディングに置いてある現代クロアチア美術のおびただしい作品なども見る。
話に忙しく写真はほとんどとる暇がなかった。

その場にザグレブ芸大のデザイン史、デザイン理論の先生ブキッチさんが合流した。
昼食後スダッチさん、フランチェスキさんと別れ、ブキッチさんとあきこさん三人でステューデントセンターの展覧会に行く。
途中ザグレブ芸大を通りながら30分程歩く。
さすがにデザイン史の先生、歩きながらあの建物、この建物、町の構造の由来などを簡単に紹介してくれたのだが大変興味深い。スペシャルなガイドであった。
さすがにブキッチさんはスダッチさんのような狂気?の雰囲気はなく、むしろ控えめな感じの方だが、少し話して相当優れた人だというのがすぐに分かった。
僕が知りたいと思っていたクロアチア(旧ユーゴスラヴィア)のデザインや建築、アートに関する第一人者なのだ。
ここらへんのフランチェスキさんのセンスには改めて舌を巻く。ソボルさん、マイーダさんが「とにかくフランチェスキは凄い人だからあなたを見たらそれにふさわしいことを考えてくれるからとにかく会えば」といって人見知りだからといって渋る僕を会わせた理由が良くわかった。

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ザグレブ芸大はこの奥。

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ステューデントセンター

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ここはかつて1930年代万国博覧会の会場だった場所らしい。これはイタリア館だという。
今は無惨な廃墟である。最近同じ会場内の木造の建築が火災で焼失したという。
ブキッチ先生に「しかし、これだけのものが残っているということが凄い。修復すれば立派な文化遺産になるのに」ということを言ったら激しく同意していた。
クロアチアでは、まだまだ予算的に手がまわらないのだろうけど。

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ステューデントセンターも歴史ある場所のようだった。今夜が内覧会である。
1968年のいわゆる世界中で起こった社会変革の波がここザグレブでもあり、その当時から今日までのポスターが展示されていた。夜時間がないという僕の為にブキッチ先生はわざわざ見れるようにしてくれたのであった。

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展覧会図録。これもかなり分厚い。

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ブキッチ先生の本をもらった。英語であることがありがたい。

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同じくブキッチ先生が編集した本。Zagreb modernity and the city

僕は今回の旅ではなかば意識的に大学などのアカデミックな場所とのコンタクトは避けて来たのだが、ザグレブでの5月の奇跡的なゼニート遭遇事件以来、奇跡的な人との出会いや繋がりを考えるとこれは人知ではなく天の差配としか思えない。
なのでとにかく素直に状況を受け入れ行動しようと思う。

ブキッチ先生からレクチャーを頼まれたので1月にザグレブ芸大で話をすることにした。

この後あきこさんと別れ(彼女には一日中付き合ってもらい大変ありがたかった。今度ザダールのシーオルガンを見に行きましょうということになった。楽しみである!)

その後ザグレブの町を散策していた藤田さん、薬師寺さん一行と合流し、最後の晩餐二日目を行いお分かれする。
私たちは9時発のバスでリエカへ。
帰宅すると12時を過ぎていた。

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