※
以下は既に一回更新したのであるがソフトの不具合で消えてしまったので再度、更新する。
日にちがずれてしまったのはその為である。
※
列車で簡単な朝食をとり10時半にアスワン到着。カイロから直線距離で600キロ強南方のナイル川沿いである。ムハンマドという男が駅で出迎えてくれ、駅から近くのホテルへ。そこで彼と日程の打ち合わせをし昼食。 ここエジプトでは駅、ホテル、博物館、町中などいたるところにに自動小銃をもった兵士がいてホテル、博物館、遺跡など建物の入り口には空港にあるのと同じX線の壁を通過させられる。イスラム過激派によるテロに対する防備策であろう。列車では私たちのコンパートメントの二つ隣にいた人物が要人か何からしく(見た感じはマフィアのボス風)私服の自動小銃を持った男がその周りをうろうろしているので最初は何事かとびっくりさせられた。 ムハマンドとその旅行エージェンシーにはこの後何度もバスや船での出発時間の変更を突然告げられたり、予定とは異なるホテルに連れて行かれたりと、私たちは混乱させられることになるのだが、彼らやドライバーはそれを軍の命令で安全のためだと説明するのだが本当かどうかはあやしい。 その他諸々、私たちはエジプト的時間、エジプト的お金の計算を少しずつ学ばざるを得なくなって行くのである。(まともな人間もたまにはいるがこれまでの経験上3:7でかなりひどい) トルコも大変だったけどエジプトはトルコ以上だ。
2時から小型バスでアスワン・ダム、アスワン・ハイ・ダム、イシス神殿を見に行く。イギリス人の夫婦と我々4人のツアーで英語のガイドがついた。 ダムは当初、ナイルをコントロールし豊かさをもたらすものとして作られたものだが、結局の所異常気象をもたらし、洪水がなくなった事で農地は現在塩害が深刻になったという。 その後に訪れたイシス神殿、そして明日行く予定のアブ・シンベルも含めて多くの遺跡がこのダムのために水没しているのだ。イシス神殿やアブ・シンベルは移築されたので現在もかろうじて見る事ができるが移築されなかった遺跡は今もナセル湖の湖底に沈んでいる。 イシス神殿も本来の聖なる島から移動して現在のアギルキア島にある。 詳述は避けるがこの移築が良かったのかどうかははなはだ疑わしいと感じた。本来あった場所と構築物の関係はおそらく絶対的なものだったと思う。現代技術の粋を尽くして移築したことを自慢げに語っているのを見ると強い違和感を覚えざるを得ない。ここには典型的な近代技術への過信がある。移動してしまったら本来あった最も重要な何かが失われることに現代人はあまりにも無神経だ。言っても詮無い事だけれど。 でも正直に言うとその落胆の方が感動を実は上回っていたことも事実なのだ。 そんなことはありえないかもしれないが何百年か後に未来の人間がダムを元の川に戻すまで遺跡はそのまま湖底で眠っていた方が良かったのではないかという夢想に駆られてしまった。 ともあれこのイシス神殿はエジプト王朝末期からローマ時代、初期キリスト教(コプト教)にかけての遺構が混在している場所である。
アスワンハイダム
ダムによってできた巨大なナセル湖
普通イメージする垂直に切り立ったダムではない。
下流のアスワンダム
ボートでアギルキア島にわたる。
ナイルに戻る。
コメントする