1119 アスワン、ヌビア博物館、ナイルクルーズ。

朝10時に再びコンボイを形成してアスワンに戻る。

バスを降りると来ているはずのムハマンドがいない。今日はナイルを下るボートにチェックインし、エドフに向かうはずだった。カイロのエージェンシーに電話をすると別の男が現れてムハマンドの代わりだと言って私たちをボートに案内した。チェックインをしているとムハマンドが現れ、今日ボートは出発せず、明日の明け方3時に出発するという。全く聞かされていた話と異なるのでついに妻が切れる。この旅の予定は彼女がクロアチアにいた時からメールなどでやりとりしながら立てたものだった。ここまであまりにも頻繁に予定と異なる事が続いたのでさすがの妻も頭に来てカイロのエージェントに全てをキャンセルすると強く抗議する。

ムハマンドともう一人の男たちはあわてる。

その後いろいろやりとりがあったが省略。

とにかく旅は進めるしかない。

彼らはその後お詫びにといって私たちをヌビア人の帆船フルーカに乗せたいから来てくれという。こちらはただ当たり前に約束通りのことをして欲しいだけで半分有難迷惑であったがこれもエジプシャンウエイとあきらめフルーカ乗り場に行く。昨日ナイルでフルーカが気持ち良さそうに奔るのを見ていた。しかし今日は全く風がないためエンジン付きのボートになってしまった。アスワンにある中州で最も大きなエレファンティネ島の周りを走る。貸し切りであった。

その後、出発が延びたためヌビア博物館に行く。幸いここは9時まで開いているのだ。

収蔵品も展示もエジプトの中でも突出して良かった。

ヌビア人はアスワンから南にかけて支配していた民族で黒人である。

ローマに関する歴史などにはヌビア人は重要だがあくまでも脇役として(例えば傭兵)登場するが彼らはエレファンティネ島に先史時代から住み着いており大変興味深い文化を持っていたのだということがわかる。彼らが自らをエジプシャンでもなくアフリカンでもなくヌビア人だと言う強い自負があるということも頷ける。

こういった感触は書物では学べないもので、やはりここに来なければ感じられなかったことだと思う。


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ヌビア博物館


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