ホテルにタクシードライバーで案内のジャミールが訪ねて来る。
朝8時半に宿を出て北上、死海を目指す。
ここヨルダンは南北に長い国境をイスラエルと接している。国民の多くはかつてパレスチナ(現イスラエル)に住んでいた人々である。この国境線上に死海もある。
またペトラから死海に向かう岩山が連なるヨルダン高原の途中にはネボ山がある。これはユダヤ民族を率いてエジプトを脱出し、シナイ山で十戒を授かりシナイ半島を横断し40年かかって約束の地カナン(現エルサレム)を目指し、それを目前にしたモーゼが120才で亡くなったといわれる場所である。
この死海までのドライブは視覚的にも大変変化に富み、ペトラのあった高地からはるか向こうにイスラエルの大地を見下ろす地点など忘れられない光景であった。
ヨルダンとイスラエルが上のような地理的、歴史的関係なので行ってみるまではさぞや危険な場所かと思っていた。しかしヨルダンとイスラエルは1994年に平和条約をかわして以降は基本的に平和な関係が続いているらしい。ヨルダンは王国でいわゆるイスラム原理主義ではない。ジャミールは石油もないし貧乏な何もない国と言っていたが天然ガスや鉱物は豊富にあるらしく、また国民性というか僕らが接した多くのヨルダン人はこう言っては何だがエジプトの観光客ずれした人々よりもはるかに好ましい印象を受けた。
5時間ドライブで死海に到着。ヨルダン川沿いの大平原+砂漠(低地)地帯に降りる。この一帯は農業が盛んだという。
死海で2時間程過ごした後それこそ国境沿いの道にそって南下、再びアカバの港を目指す。
ジャミールから途中温泉があるから寄るか?と誘われたが温泉は日本に帰ってからのお楽しみなので断って、そのかわり途中途中好きな所で止まって写真を撮りたいと頼んだ。
夜無事にフェリーでアカバからターバまで到着するもこの旅最後のトラブルが待ち構えていた。
本当ならば港に私たちをカイロまでダイレクトに連れて行ってくれる出迎えが待っているはずであった。
しかしそれが現れず、遅れて現れたドライバーが私たちをヌエバに連れて行きそこから乗り換えてカイロに行ってもらうという。全く遠回りになるのでそれはおかしいと抗議する。
そこからの経緯詳細はばかばかしいので省略するが私たちは3台のミニバスに乗ったり降りたりさせられたあげく夜の何もない港で結局3時間待たされ夜中の12時になって予定通りのルートでカイロに向かうことになったのだった。
あまりにもひどいので私が最後は日本語で怒鳴りまくったことは言うまでもない。
ホテルから見下ろすペトラ渓谷。
ペトラの町
廃墟になっている昔の石と土でできた家屋。
死海とその向こうに広がる「約束の地」パレスチナを見下ろす。
かつて3000年以上前にモーゼ達も同じ光景を見たのだろうか。
低地に降りる。
死海dead sea。
死海で泳いでみた。不思議な体験であった。
中央高い山の右がネボ山。
アカバの港町
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