1209 翻訳してみて思う事。

14日からのドイツ旅行のスケジュールがほぼ決まる。

自宅でひたすら英文作成。リエカとザグレブでの講義のために既にある30枚か40枚ほどの日本語の原稿を英語に置き換えていく作業。リエカではソボルさんがその英文からクロアチア語に同時通訳してくれる予定である。前にも書いたがソボルさんは翻訳家であり言語に関しては天才的なところがあるので、問題はない。問題は私が自分の考えを未熟であっても正しく彼に伝えられるかにかかっているのだ。ザグレブも含めて講義は来年の予定だが今週末のドイツ旅行の前にまず第一稿を渡さなくてはならない。

この翻訳translationという作業はとても面白く考えさせられる。実際やってることはもちろん大したことではないけれど、ノイラートの言ったtranslaterだとか、ボイスのtranslationという言葉の意味とか、単に右のものを左に持って来るというものではない。

今の僕はいかにシンプルな、基礎的な語彙を用いるかを考えざるを得ない。そうすると同時に元の日本語を添削する作業になる。日本語だと適当に書き流したような文章も1センテンスごとに吟味することになる。そもそも言いたかったことは何なのかを相対化するということ。その結果、日本語では気づかない意味がまた浮かび上がってくる。そこが何とも言えず不思議な感覚である。

造形に関するテキストなのでなおさらのことかも知れないが、身体とか自己とか環境とかをめぐって考えていると、簡単な言葉が哲学的な意味を帯び出したり...。

日本語が自由に話せるということは、ある面では言葉を意識化しないということなので、自由なようでいて実はそうでもないのではないかと思えてきた。

やむを得ずの作業だけれど日本にいては忙しさにかまけて、こんな経験をするチャンスがなかったことを思えば僕にとって「言葉」を考えるとても良い機会である。


トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 1209 翻訳してみて思う事。

このブログ記事に対するトラックバックURL: https://www.esporre.net/blog/mt-tb.cgi/277

コメントする