1212 クロアチア・デザイン史とリエカ。

マイーダさんが訪ねてきてくれる。
抹茶を飲みながら話した事。
以前ブキッチさんにもらったクロアチアデザイン史の本を読んでいて、どうにもしっくりしないところがあった。ひとつはそれがザグレブ中心で語られ過ぎているように思えた事である。もうひとつはバックボーンになるはずの19世紀末から20世紀にかけての、つまりオーストリア・ハンガリー帝国以降の国家としての政治的変遷についてほとんど触れていないことである。また同様に今は外国になっているボスニアやスロヴェニアなどについても全く触れようとしていないこと、第一次大戦と第二次大戦間がかなり抜け落ちている印象をもったこと。そして最後に僕の今住んでいるリエカについて、かなり意識的に触れていないと思われた点である。前にも書いたがリエカは1920年ころダヌンツイオがいてヨーロッパ中から未来派とダダイストが集まった不思議な時空間を持っていたはずなのに全く触れられていないことであった。なので話のついでに彼女に聞いてみた。
それに対してマイーダさんはとても懇切丁寧に説明してくれた。
歴史的にリエカは20世紀の100年で少なくとも7回政治体制が変わったこと。栄光のオーストリア・ハンガリー唯一の貿易都市時代、イタリア占領の時代、ダヌンツイオ時代、自由自治都市、イタリアとユーゴスラヴィアによる二国分割支配(ベルリンのような)、そしてユーゴスラヴィア、現在のクロアチアなどだ。
そしてリエカはそもそもイタリアの影響を強く受けているのに対してオーストリアの影響の強いザグレブとはもともと対立的な感情もあるらしい。
とにかく複雑なのだということは分かった。
今はザグレブの美術館のディレクターをしているフランチェスキさんがリエカにいた数年前にダヌンツイオ時代の芸術のアヴァンギャルドの展覧会をしたところ、「未来派なんてファシズム芸術を称揚するなんて」と非難囂々であったらしい。(この展覧会の図録は見せてもらったが大変立派なものだった)確かに日本でも80年代までは未来派=ファシズムといった短絡的な見方があったことを思い出したりした。
ダヌンツイオがマリネッティに影響を与えたからファシストで、ファシスト=ナチズムだからけしからんというのは、マイーダさんも言っていたが歴史をちゃんと知らない人間の短絡化した戯言ではある。
まあ、話はブキッチさんのデザイン史の記述にリエカに触れた部分が少ないのは何故というところから始まったのだが、それに関しては「ダヌンツイオ時代や二国統治されていた時代はクロアチアではなかったから」ということのようだ。
だから納得できますということではないけども。
マイーダさんは少なくとも僕の疑問の理由はよくわかるらしく将来もっと統合的なデザイン史、美術史が書かれるだろうと言っていた。多分時間がかかるだろうということも。
それとは別に僕にとってこのリエカという町はマイーダさんやソボルさんとの話でいろんなことを知れば知る程、興味深いところになってきた。
始めのうちはここに来たのは偶然のようなものと言っていたが最近では必然であったのではないかという確信に変わって来ている。

その後、西側ヨーロッパによる旧東側諸国への偏見や差別などについても話が及んだがそれは長くなるのでやめます。



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