朝5時に起き、6時に家を出て7時のバスでポルトロージュ、ピランに向かう。
ポルトロージュはリエカから直線距離だと約70キロ北東のスロヴェニアにある。イタリアのトリエステからは30キロほど南下したトリエステ湾の端にある。
イストラ半島を横断するのであるが例のごとく交通の便はすこぶる悪く、また国境(EU)越えがある。途中イストラ半島の半ばブジェットで小型バスに乗り換えコーペルへ。コーペルでバスを乗り換えポルトロージュへ到着。約3時間ほど。
イストラ半島。有名な霧を見る事が出来た。
ポルトロージュの港。
この町の南の小さな半島にフォルマ・ヴィヴァという屋外の石彫公園(open air museum)がありそれが今回の目的である。すぐ南、クロアチアと接している所にセチョヴリエという広大な天然の塩田がある。公園から塩田とアドリア海が見えるとても美しい場所である。
フォルマ・ヴィヴァは旧ユーゴスラヴィア時代の1961年から毎年、作家を招聘してきたようだ。作家はここに滞在して作品を残している。現在(48年間)までそれは持続しているところが、これまでのスロヴェニア(旧ユーゴスラヴィア)の激しい歴史的変転を考えれば驚くべきことのように思う。しかもこれに端を発してスロヴェニアは他にも鉄と木のそれぞれ素材別の同様の大きな美術館があるのだ。
旧ユーゴに限らず旧東欧諸国のこのような地味だが地道で誠実な芸術やデザインへの取り組みは情報こそ少なかったので西側諸国にはあまり知られてないが、再評価されるべきもののように思う。
フォルマ・ヴィヴァのあるセチャ公園から塩田とトリエステ湾を見る。
ここを教えてくれたのは尊敬する彫刻家のSさんで彼もここに作品を残していると聞いたのでそれと出会える事も今回の楽しみの一つであった。実際に行って見て、かなりの作品が丘全体に散在しているので果たして出会えるかと不安になったがちゃんと見つける事ができた。
彼は30年位前(1978年)と言っていたがプレートには確か1971年と書かれていた。なんと38年前である!
ディテールを見ていると、彫刻家の仕事というのは(建築家とも共通するけど)否が応でも自然との共作になるのだなあとしみじみ感じました。
まるでこれまで僕が彷徨って来た様々な遺跡のように。
多分石という素材にそもそもそのような宿命があるのだろう。鉄やステンレス、または木であれば自ずと印象は異なる。時間のスパンが全く異なるのだ。多分素材の石自体が何万年かの時間をかけて作られたものなのだから。
その後、すぐ近くのピランという町を訪れる。ここは13世紀から17世紀にかけてヴェネツイアに支配された町。いたるところにあのライオンの像がある。あのライオン像(結構間の抜けた顔の)を見ると今の国とは関係なくそこがヴェネツイア共和国であることを実感する。
これはピランに限らないが現在の国境とは何かを考えさせられることでもある。
ピランの広場
細い半島の先端にあるピランの旧市街。城壁からの眺め。
城壁
聖ユーリ教会
半島の先端にある灯台。
ここで一泊するかどうか迷ったが結局夜のバスでポストイナへ移動。
ポストイナは零下10度の冬の町であった。
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