0112 リエカ美術大学で打ち合わせ。

今日は昨年末から決まっていたリエカ美術大学での打ち合わせの日。
マイーダさんが車で迎えに来てくれて一緒に家を出る。
この学校は家から歩いてもせいぜい7〜8分のところにあり、これまでもここで何度も写真を載せて来た。いつまでたっても新築工事が進まないところである。
しかし、実際行ってみて僕が勝手に誤解していたことがいくつか判明した。
まずここトルサットの丘の西側はかつてユーゴスラビアの軍隊の駐屯地だったということが今回分った。つまり18年くらい前ということだ。当時のユーゴスラビアは徴兵制があり、若者は皆1年の兵役義務があってここトルサットはその軍隊の教育施設だったという。常時4000名くらいの若者がここにいたのだと。
その後、クロアチアが独立した後、(徴兵制度もなくなり)旧兵舎を流用してここに美術の教員養成大学ができたのだ。そこが今回私が訪れた場所である。
そしてさらにここは現在、応用技術系の総合大学として再編されつつあるということであった。現在リエカ市内に散らばっている文学、建築、法学、薬学、医学、理工学等の単科大学がここに集まるということなのだ。そしてかつての美術教員養成の学校も美術とデザインの大学として再編成されたのだった。正式な名称はよく分らないが12月に訪ねたデュッセルドルフのFH-D(応用科学大学)のようなものだと思う。
こういう総合大学ができるのはクロアチアでも初めてであることも今回知った。考えてみればクロアチアは独立してからまだ日も浅く、政治のみならず教育システムなど様々なことが現在構築中なのであることを改めて知る。
それがぼくがここリエカに滞在以来、散歩中になんとなくぼーっと見て来た建築中の建物の実態だったのだ。(もともと大学からは遠ざかろうと努力してきたので詳しいことを知らなかったのは当然であるけれど)僕がマイーダさんに「建築中の建物はすべて美術大学の建物だと思っていた」と言ったら「テラヤマさん、あなたクロアチアの人口を知ってますか?」と笑われた。確かにクロアチアの人口は450万人程。国土面積も九州の1.5倍なのだ。そんなでかい美術大学なんか必要なわけはないのだった。僕の所属する日本の大学もそもそも日本では最も学生数の多い美術大学でしかもそれは多分世界的にみても最も学生数の多い美術大学なのだ。そっちの方が一般的に考えて異常なのかもしれない。

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リエカ美術大学はこの建物で全て。彫刻も絵画もデザインも全てここに収まる。

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屋根裏を改築したところがコンピュータ・ルーム

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新築中の校舎。また改めて散歩で来ようと思います。

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講義室

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研究室にて。僕を招待して下さった先生は実は風邪でダウンしてお休みで今日は会えなかった。代わりにいろいろ面倒をみてくれたヤコブ・ザパー教授。彼はザグレブの美術大学を出た後オーストラリアのメルボルンで十数年デザイナーをした後、ここに呼ばれて来たという。まだ着任して1〜2ヶ月とのこと。彼は立ち上がると2メートル近くあります。座った写真で良かった。

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以前ここで紹介したミルコ・イリッチもそれから年末に会ったミラン・トレンツさんもそして今日会ったヤコブさんも人口450万の非英語圏の国に生まれている。そして国外に活路を見出している。そしてソボルさんがかつて僕に(彼は語学の達人でどこにだって行こうと思えば行けたのに)絶対リエカを離れるつもりはない、と強い口調で言った事を思い出したりもした。
同じく非英語圏ではあっても人口一億人の国に生まれた僕はそんなこと考えなくてこれまできた。それが幸せだったのかどうだったのかとふと考える。
もちろん選ぶとか選ばないとかの事ではなくて運命としか言いようはないことだけど。
少なくとも日本でも1000部とか2000部とかのマイナーな本ばかりデザインしてきた僕はどちらかというと450万人規模の国のほうが合っていたのかもしれないと思う。


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