0123 身体がなければ、多分われわれは...。

来週26日に予定しているリエカ美術大学での講義が近づき緊張感たかまる。

もともと日本でも沢山の学生の前で話すのは苦手だし、これは何年経験しても変わらない。

こればっかりは慣れっちゅうのはないような気がする。

特にあの講義室の雰囲気がだめだ。

ゼミ室などで学生と向かい合っている時は全然OKなんだけど。

多分、ただ気が小さいだけなんだろう。今更でかくなりたいとも思わんが。

しかもこの旅ですっかり学校の事を忘れていて、今更ながら悪夢の感覚が蘇っているところである。


15日に書いた朦朧覚え書きのC.S.パースについてみぎわさんからメールがあった。

僕の旅を見ながら思い浮かべたパースの言葉があったとして以下のテキストを送ってくれた。


「......身体がなければ、多分われわれは情態というものを持たないだろう。......情態は全て認知的であり、感覚であり、感覚は心的記号あるいは言葉である。......そこで人間が動物的情態だとすれば、言葉はまさに同じく書かれた情態である」

「私は、この「ライティングスペーストラベラー」というタイトル、初めは単純に寺山さんがライティングスペースを旅しているのだと受け止めていましたが、パースの言葉を思い出してからは、寺山さんというライティングスペースが旅しているのだと思うようになりました。」

このパースの言葉もとても奥深いものがあります。「情態」という言葉がすごいですね。

またみぎわさんのタイトルへの指摘は僕も実感していたことで、最初は僕も単純にwriting spaceを巡る旅と何気なくつけたのです。しかしどうもそんなに単純な主客二分化などはできないと感じていたのです。つまり自分と世界が入れ子になっているという感覚でしょうか。それを言葉にしてくれたものでした。


かつてK先生と視覚伝達デザインの研究会の名前を「カメレオン」・プロジェクトにした時の記憶も蘇って来た。

...もしも私たちがカメレオンのように自分の身体が受容器であると同時にプロジェクション機能を持っていたとしたら...。

いや多分カメレオンのようにあからさまに目に見えなくてもそれが意味するところは同じ事なのだ。


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以下妻の写真機より。凍った水の中に浮かぶ蛇口。


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ロヴラン。


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