0128 クロアチア、クロアチア、わが心のクロアチア。croatia, croatia, croatia of my mind

これまでの旅で集まった資料を日本に送るための整理作業や、ここに置いて行く(捨てる)本、持って帰る本の選別などの作業を終日行う。
しかし様々な資料や本を作業途中で思わず読んでしまい、その都度作業は中断され、はなはだ効率悪し。

例えば
白水社の文庫クセジュから出ているジョルジュ・カステラン著の「クロアチア」という本は旅の前に一度読み、5月頃にもう一度ここで読んだ本であった。
その時は大した事ないと思っていたし、実際小さな本だ。しかし今、読み返すと不思議に面白い。
西ローマ帝国の崩壊から、1200年前のクロアチア王国の成立、カトリックと国教会の対立、ハンガリー、オーストリア、イタリア(ヴェネツィア)、オスマントルコ、ロシアなどからの限りない干渉。
セルビア人とクロアチア人の相克、オスマン帝国の占領との闘争、ファシズムに巻き込まれた(ファシズムさえも利用せざる得なかったような)悲惨な独立運動、二つの世界大戦、その後のソヴィエトとのイデオロギー的な対立など、今頃になってありありとリアリティを感じながら読む事が出来るというのはいったいどういうことなんだろうか。
...と思うくらい興味深く読みだすと止まらない。

その理由は多分、それを「読む」ためのコードをこの間、僕が手に入れたという事なのだろう。
しかし、例えばアイルランドにおける(悲惨な)歴史の場合は、最初からあんまり抵抗なく読めたし一応普通に理解できたのに、クロアチアに関してはそうでなかったということは何か別の理由があったように思う。
今それが何故なのか精確に分るわけではない。
しかし多分恐らく、それだけこのセントラル・ヨーロッパ「バルカンの地」は特別に(と言っていいくらい)複雑な場所だったのだと思う。
宗教的にもカトリック、イスラム、正教、プロテスタントの相克があり、(もっと昔はローマ帝国やケルト、イリリアなどの古代社会の宗教も潜む)しかもそれは近代になっての社会主義時代においても単純ではなかった。
ソヴィエト(スターリン)との対立と同時に西側世界との対立など。
そして人種の問題。
国家ユーゴスラビア(南スラブ人の国の意味)内にかかえた、経済的、文化的、宗教的緊張。

そして結局それらを奇跡的に束ねていたチトーが死んだ後の1991年からの戦争。

僕がここリエカに来てすぐの頃、5月の初めだったかソボルさんが
「テラヤマさん、クロアチアは日本のメイジイシンのような激しい変革をこの2000年の間に20回は繰り返しているのです」
といった言葉が「かなり控えめ」な言い方だったということが今ならば分る。
今のクロアチア人にとって今クロアチアという独立国家が存在できることがどんなに貴重なことであるかということが、今ならば分る(というのはおこがましく)、感じる事ができるような気がするのです。

0128-1.jpg

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 0128 クロアチア、クロアチア、わが心のクロアチア。croatia, croatia, croatia of my mind

このブログ記事に対するトラックバックURL: https://www.esporre.net/blog/mt-tb.cgi/330

コメントする