アントワーヌ・ポンペ設計 ファン・ネック博士の診療所
今はダンス、音楽スクール
途中寄り道。
以前ここにも書いたが大学時代からの友人、菅谷君と奥さんのあやさん(ふたりともムサビの同期であやさんはグラフィック・デザイナー)が何かあった時のためにとブリュッセルの知人の連絡先を紹介してくれていた。
今回の荷物紛失事件で図らずもそのUさんと電話で話すことになった(電話が繋がった時には事件は解決していたのだが)。その折、カメラマンである旦那さんが今、展覧会をやっていると伺ったのでこれも何かの縁と思い尋ねることに。オルタ美術館の近くである。かなり大きなギャラリー。写真とハイヴジョン映像によるアフガンのドキュメンタリーで内容は大変ハード、質の高い作品群であった。
ヴェルデ設計 オトレ邸
ポール・アンカール設計 シャンベルラーニ邸
アルベルト・ロー設計 メゾン・ペルソネル
オルタ設計 ホテル・タッセル
道すがら。
旧オルタ自邸 オルタ美術館
外部に比べて内部は圧倒的な迫力がある。この時代にのみ奇跡的に実現したと思わせるような。
撮影は不可だったので以下はイメージである。
ホテル・ソルベ
その後、かなり離れているのでトラムに乗ってヨーゼフ・ホフマン設計 ストックレー邸へ。
夕方、トラムで旧市街に戻る。証券取引所。
アール・ヌーボーの意匠を残すカフェ・ファルスタッフで夕食
王立美術館は15世紀から18世紀にかけてのフランドル派絵画の宝庫であり、また19世紀末から20世紀前半にかけてのコレクションもすばらしい。
オランダの静物画、ルーベンス、ダヴィッド「マラーの死」、ボッシュ、ブリューゲル「イカロスの墜落」、クラナッハ、メムリンク、ゴーギャン、スーラ、クノップフ、カルダー、アンソール、マグリット、デルボー、キリコ、エルンスト等等。美術館全体の雰囲気も大変ゴージャス?な感じである。
ベルギー・バンド・デシネ・センターはその建築がアール・ヌーボーの巨匠、ヴィクト
ール・オルタによるものである。(元はデパート)
フランス語に翻訳された日本の漫画も見ることができる。
タンタン
タンタンの登場人物相関図
この後、昨日荷物が届かなかったので最悪の場合(当分届かないか、紛失)を覚悟し、必要最低限の衣類などを買いに行くことにする。(着るものがほとんどないのだ)
はじめはガイドブックにあるデパートに行ったのだが靴下が一つで2500円くらいするので、「ふざけるな」と思い町を歩いて勘で探すことに。ベルギーのユニクロのようなところを探して(ユニクロよりも4倍くらい高いが)を見つけてなんとか購入。
でホテルに戻ると
なんと!荷物が戻って来ていた。
買い物は無駄となった。まあ得てしてこういう間が悪い時はこんなもんだよねと妻とため息。
後で電話で話をしたベルギー在住の方に話を聞くとベルギー空港は一日で100個荷物がなくなっているとのこと。
シンジラレナイ。
それで今回アリタリア航空倒産ショック(イタリアの国営にもかかわらず!)の混乱もあるのではないかとのこと。
2日で荷物が戻って来た僕らは幸運だったということらしい。
いや、本当に「やれやれ」ですわ。
しかし今後の最悪の場合を想定して日程を若干変更。
予定よりも一日早く、今日はゲントに行くことにした。
バーフ大聖堂
東フランドルの中心地、ゲントはブリュッセルの西にありICで40分の距離である。
訪問の目的はバーフ大聖堂にあるヤン・ファン・アイク作「ゲント祭壇画」通称「神秘の仔羊」を見ることにある。これは油絵の具による絵画史上最高の部類に入ることはまちがいない。これはヤンの兄、フーベルトとの共作であるがフーベルトは謎の人物でほとんど知られていない。ヤンには他にも傑作が残されているがフーベルトはこの一点のみである。
今日一日この絵一点だけだとしても充分以上だと思える程の傑作であった。
聖バーフ教会も建築、装飾、空間ともにかなり素晴らしい。
地下にある博物館も想像以上に充実していた。
写真は当然撮れないのでこれはイメージです。
その後繊維ホールにある鐘楼に昇る。
鐘楼の巨大なオルゴール。
町の中心を流れるレイエ川にそって、中世からギルドによって栄えた町並み、市場を見、フランドル伯居城まで歩く。
大肉市場内部
フランドル伯居城
ゲントのデザインミュージアムを偶然見つけたが時間がなく入れなかった。
その後駅に歩いて戻る途中、1936年に建てられたアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデのゲント大学図書館を見る。正面に見えるのが図書館の高層部。
最後は駅の近くにあるゲント美術館へ。
この美術館も展示空間、展示物ともに豊かである。
ボッシュ、アンソール、クノップフ、マグリットなどを見る。
しかし特筆すべきは特別展で何とピラネージの大展覧会をやっていたことだった。
まるで長旅をする私の為に用意されたような展覧会であった。ローマを巡りながらずっと「帰国したらピラネージをちゃんと見なきゃ」と密かに思い続けていたのだ。
ここでも何度か書いたがローマ人がローマに気づいた最初の人々の中に確実にピラネージはいたのだ。
これだけまとまったオリジナル(といっても大半は銅版画であるけれど)ピラネージを見ることはもうないのではないかと思う。
ピラネージ
「神秘の仔羊」といい、ピラネージといい至福の一日となった。
しかしこの日、失われた荷物は届けられなかった。
3時発の飛行機でベルギーのブリュッセルへ。約2時間の飛行である。
空港で大トラブルが発生。
なんと預けた二つの荷物のうちの一つが出てこない。これで空港に1時間以上足止めをくらう。
「多分、ローマで荷物が飛行機にちゃんと載せられていないのだろう、遅れて到着したらホテルまで運ぶから明日まで待て」という説明なので一応、明日を待つことにする。
そのバッグの中身はほとんどが衣類で、本当の貴重品は入ってなかったのは不幸中の幸いであった。
ブリュッセルはさすがに寒くしかも小糠雨である。
ホテルにチェックインした後、もう7時半になっていたが、とにかく元気を出してグラン・プラスまで散策し途中夕食をとる。
明日、荷物がちゃんと届くことを祈ろう。
フィウミチーノ空港
雨でしかも肌寒く、傷心のブリュッセル第一日目となった。
グラン・プラス
この街も24年ぶりである。
一緒にいる間は別にどうということもないのだが、いなくなると急に寂しくなるものですね。
午後からはローマから東30kmのところにあるティボリという街へ行く。
ここは山の上にできた古い街である。
ティボリからの眺め。
ティボリの街よりもはるか昔、ふもとにヴィラ・アドリーナというローマ皇帝ハドリアヌスの別荘が作られた。今回はそこが目的地である。
ハドリアヌスはローマがまだ質実剛健だった時代の皇帝であり、ローマがもっとも広大に世界を支配した時代の人である。戦争と領土視察に明け暮れた人だが、とても広大な敷地にかつて自分が見た建築や景観(ギリシアやエジプトなど)を再現しようとこの別荘の建築を始めている。
復元模型
哲学者の間、読書室だったらしい。
島のヴイラ(海の劇場)
彩色回廊。ここは柱廊に囲まれていた。
右上側が彩色回廊
小浴場
大浴場
博物館
カノプスと呼ばれる池と神殿
ニンフェウム(セラーピスの神殿)
倉庫、商店、兵舎
大浴場内側
養殖池と消防士の宿舎
ドーリス式付柱の門
皇帝の宮殿からティボリの丘を見る。
皇帝専用図書館。この他にギリシア語図書館、ラテン語図書館が別にある。
皇帝の食堂
皇帝のテラスからの眺め。
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